『八月十五日の神話 ――終戦記念日のメディア学』 | けものみち

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日記のようなものです。

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『八月十五日の神話』という本を読みました。
サブタイトルは「終戦記念日のメディア学」。

カテゴリに「読書」を作ってあるのに、いったん「ブログ」に投稿しました。
感想らしい感想が書けないからです。
あいにく、阿呆にて…(*'д')
しかし「読書」欄に入れる事にしました。
後になって、自分で読み返してどう変わったか、考えたいためです。

8月15日というと、毎年正午に黙祷をします。
テレビやラジオのかける号令が時間が正確と思われます。
私は皆さんと同じ時間には、それをしそびれることがあります。
若い頃には遅い時間に「そうか終戦記念日だったか」なんて事もありました。

8月15日の正午。
1945年には、日本の敗戦という形で戦争を終結させると
玉音放送のあった時間です。

ですから、それをもって終戦の瞬間とする事に対して
私は全く疑問を抱かずにまいりました。

その頭に「ちょっと待て」をするのがこの本です。

色々な方向から、戦前、戦後の歴史を見ることで
なぜ私が疑問も抱かず「8月15日が終戦の日」と思うに至ったか
教えてくれる本でした。

そして、8月15日の正午にうなだれる日本人像ばかりを終戦イメージとして持つことの
危険性というか、ある種の卑怯さも教えられた様に思います。
(2度の原爆やシステマティックな空襲の数々、ソ連抑留、終戦後の外地で行われた凄惨のために、被害ばかり気にしている事は認識していましたが、改めて。)

私が意識すべき日は、この15日の他にも沢山あるのです。

9月18日(1931年)、満洲事変のはじまり(柳条湖事件)。
12月8日(1941年。現地時間12月7日)真珠湾攻撃。

この事に関しては、ただ日付を記憶に留めるだけでなく
どうしてそこに至ったのかも考えねばなりません。

9月2日(1945年)には、東京湾に停泊する米軍戦艦ミズーリ号で
降伏文書への調印がありました。

知ってはいても、馴染みのない言葉です。「降伏」。
考えたい言葉です。
ところで、誰に対しての降伏であったのか?
これもまた考えるべき事です。

誰と戦っていたのか?何故なのか?
私は本当には知らない。

1952年4月28日には、サンフランシスコ講和条約が発効されました。
調印は前年の9月8日であったといいます。

この条約に調印した国々と、この時ようやく戦争状態が終結したのです。
それまでは戦争状態であったというわけです。

また、この条約に関する会議に参加できなかった国や、参加しなかった国
会議に参加したけれど調印しなかった国もあったそうです。
幾つかの国との国交正常化はもっと先になりました。

参加できなかった国には
ポツダム宣言受諾の時とは、国の中身が変わってしまった国もありました。

この国も何となく知っていた気がしたけれど
やっぱり全然知らなかった。

児童・生徒時代、私は絵ばかり描いていました。
私が絵ばかり描く事を先生方は諦めていて
「このままやらせてみよう」と、進学できるだけの点数を下さって
私は絵描きぶって生きてまいれたのですが
その分、他の人と比べて、知らない事が沢山あります。
近代史だけでも、勉強しなくちゃいけない事が沢山あります。
他の人が知ってるところまでは行かれなくても、少しでも知りたいです。
自分自身が生きているうちに。


基点に帰って、さて、8月15日をなんとするか。
お弔いの日になっているけれど
「先の戦争」で亡くなられた方々にしてみたら
この日はどういう日であるのでしょうか。
お弔いはこの日であるべきでしょうか?

考えながら過ごしたい。

この日が正しいかはともかくとして
1日であれ、そういう日が頭に打ち込まれた事は
私にとっては幸いでした。


政府をもって正式に(?)この日を追悼の日とされたのは
随分最近であるという事も、今回読んだ本で知りました。

さらに、ラジオからテレビへという、主力メディアの交代劇や
盂蘭盆会法要の扱いの変遷
日本の国定教科書問題、海外の教科書での終戦の扱いなど
興味深い話が多い本でもありました。

もう幾らか戦争に関する本を読んでから
また読みに戻ってみたいと思います。
もっと、理解できる事が増えていることを願います。