レコード番号:P-4405~6(Asylum) 1980年(国内盤)
イーグルス(THE EAGLES)の公式ライヴ音源といえば、2005年に”FAREWELL ONE TOUR”のDVDがリリースされるまではずっとこの”EAGLES LIVE!”(以下LIVE)だけでした。
たとえばイーグルスよりも先にブレイクし、USツアーでは彼らを前座に起用したこともあるというイエス(YES)は過去のライヴ音源、特に評価の高い70年代のものを相次いでライヴヴィデオとしてリリースしましたし、イエスほどの数ではないにしろレッド・ツェッペリン(LED ZEPPELIN)も、もはやリイシュー(再編集)の鬼(^_^;)と化したジミー・ペイジ監修のもとで高音質・高解像度の公式音源を発掘し公開‐というより解禁しています。
このLIVEは大阪府郊外のリサイクル店で見つけたのですが、改めて手に取って眺めたり、細部を調べているうちに気づいたことがあったので今回ご紹介することにしました。
ゲイトフォールドを開くとこのように、移動用ケースを模したジャケットデザインがよく分かります。
内側。
ドン・ヘンリーのみ単身、他は2人まとめてのショット。”HOTEL CALIROFNIA”以降のバンドの看板となったドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュのツインギターをさりげなくアピール。
Musical Thanksとしてクレジットされている中にJ・D・サウザーの名が。イーグルスとのつかず離れずの関係(笑)はこの頃も健在でした。
内袋の表と裏。会場から大急ぎで抜け出すメンバーを撮ったのでしょうか。
原詞の歌詞カード付き。
日本語ライナーにはD・ヘンリーにかなり肩入れした(・_・;)解説。訳詞は無く裏面は白紙です。
特典で付いてくる6面折り特大ポスター。いやホンマ大きいって(^_^;)
その裏面。
よく見ると
プロデューサーのビル・シムジクに加え、ジョー・ヴィターレの姿が。彼はJ・ウォルシュの右腕としてソロアルバムに参加しており、その縁での参加と思われます。
帯がつくとこのように。
よく見ると
『青春の日の夢と愛と思い入れでいっぱいの15曲よ、今一度みずみずしく輝け!』◝(⁰▿⁰)◜
…だそうで(^_^;)
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リアルタイムでイーグルスを聴いておられた方はよくご存じとは思いますが、ディスコグラフィ的な解説を先にしておきますと;
1976年12月のアルバム”HOTEL CALIFORNIA”のリリース後に結成メンバーのランディ・マイズナーが心身の疲労を理由に脱退、マイズナーと同じく元ポコ(POCO)のティモシー・B・シュミットが加入します。
1979年9月には新作”THE LONG RUN”がリリースされ、フォローアップツアーも行われました。
このLIVEには1977年10月と1980年7月に録音された音源が一緒くたに収められています。
これが期せずして”HOTEL CALIFORNIA”のリリースを挟んで前後の、もっと言ってしまえば商業的な大成功を境にメンバー交代を含め「変身」、いや「変質」したイーグルスの記録となったのです。
結成メンバーのバーニー・リードン(レドン)が居た頃の、軽快で朗らかなカントリーフレイバーあふれる楽曲はもはや”Take It Easy”しか取り上げられず、グレン・フライの嗜好が強く出たソウル風味の”Heartache Tonight”や、ヘンリーがそれに若干おつきあいした(?)感のある”The Long Run”、すでにAORの台頭を予期していたかのような甘々の”I Can't Tell You Why”が収められています。最新アルバムのフォローアップの模様をいち早くパッケージして販売するという目的を考えれば”THE LONG RUN”のナンバーが多くなるのも分かるのですが、リードン在籍時の曲がぐっと減らされていることに違和感を覚えたファンも当時かなりいらっしゃったものと想像します。
今回少し調べて知ったのですが、このアルバムのジャケット、およびポスターについて知られざるトリヴィアをご紹介しておくと;
〇ジャケットの表と裏には86という番号が見られますが、これは「(人を)追い出す、埋める」(;´Д`)を意味するスラングにちなんでいるのだそうです。
また、飛行機の貨物のシールと思しきステッカーをよく見るとMIAとあります。
一見すると目的地の空港のコード(識別記号)のようですが、これはMissing in actionつまり戦闘行方不明者の略でもあります。
さらに、レコードレーベルも当然のようにピクチャーレーベルなのですが、
卵と手榴弾が一緒って(ノ゚ρ゚)ノ
ジャケットに配されたこれらのネタは1982年まで公式には認められなかったのだそうですが、バンドが危機に瀕していたことの暗示だったそうです。
〇付録の特大ポスターと内袋の一部に用いられている超満員の会場のカットですが、実はこの時のステージにいたのはイーグルスではなく前座のリトル・リヴァー・バンド(LITTLE RIVER BAND)なのだそうです。
しかもその次の出演予定はハート(HEART)。この二組を従えたパッケージツアーという形式でしたが、それでもこれだけの観客を動員できるだけの力を持っていたのが当時のイーグルスでした。
なお、この頃から商業的な行き詰まりに悩んでいたハートは数年後、外部のソングライターや敏腕プロデューサーの力を借りて制作したアルバムを大ヒットさせて劇的な巻き返しを実現します。詳しくは過去の記事をご覧下さい。
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改めてイーグルスのこのLIVEを聴いていると、ロックがそれまでの一部の若者やミスフィッツ(社会不適合者)、アウトロ―のアンセムだった時代の終わりと、大衆化と引き替えの肥大化、過度な商業化の始まりの地点にイーグルスがいたことを痛感します。
また、奇しくも日本のレコード会社が付けた帯のキャッチコピーが示すように、彼らの名を知らしめたカントリーロックそのものが急速に過去のものとなり、感傷とともに振り返る対象となっていったことも忘れてはならないでしょう。
イーグルスはこのライヴアルバムをリリースした2年後に解散を発表します。しばらくは古巣アサイラムからソロアルバムをリリースしていたメンバーも、アサイラム社内で起きたゴタゴタを機に相次いで他者に移籍したことでウェストコーストの70年代ロックは、イーグルスは足早に過去の存在と化していったのです。