離人症の症状から抜け出してから

劇的に感覚は変わりました。


何か幕がかぶっているような感じ

息苦しさ

生きていないような感じ

浮遊感

感情の鈍化


そんなものが、外から眺められるようになりました。


でも、すべてがすっきり

すぐになくなったかというとそうではありませんでした。


鬱でも、治りかけが一番危険だったりすることがあります。

今まで、活動性が低く

自分で動くのもおっくうだった人が

実際に動けるようになり

”自殺する元気”が出てきてしまうからです。


死ぬのにも元気がいるのです。


離人症症状を呈しているとき

人はなかなか本当に死ねない気がします。

詳細に色々考えて、実際に行動してみる

そんな気力がなかなか湧かないからです。


私の場合、離人症症状から抜けた後も

気分といいますか、調子の波がありました。

時に、鬱状態に陥り

しんどくて、動けなくて、眩暈・吐き気がして

パニックになり

また、離人症の時のような症状を呈することが月に何度かありました。


この波は、抜け出してからもしばらく続き

徐々に波が穏やかになり、8年くらいしてほぼなくなりました。

最初の2,3年は本当に苦しかった。


そして

その度に”死のうか”と思うのです。

離人症症状を患っているときより、明確に死ねる気がしていました。

でも、生きていることの美しさを一度感じた私は

「もう一日、生きたい」

その思いで、日々を乗り切っていました。

「明日になったら、また新しい世界が見られる。

明日まで生きて

明日もどうしようもなくしんどかったらまた考えよう。

どうしても、どうしてもしんどかったらいつ死んでもいいよ。」


橋の下を見下ろしながら

包丁を自分につきつけながら

タオルを首に巻きながら

そんなことを自分に言い聞かせました。


今こうして書くと

こうして、よく自分と話していた気がします。


「今日の体調はどう?」

「何かしんどいことはない?」

日々、自分に語りかけていました。


嘘の自分じゃなくて、しんどいことも、嬉しいことも

本当の自分の感情を知りたかった。

今は、意識的に語り掛けなくても

自分の気持ちを知ることができます。

でも、当時はできなかった。

だから、よく自分に話しかけ、

よくわからなければ、わかるまで何度も何度も何度も、語り掛けを続けていました。






8年患った離人症症状から突然抜け出して

私は、茫然としていました。


「これからどうしよう」という期待と不安。

12歳から20歳という

友人と上手く付き合うという練習をすべき期間を

離人症状を抱えて過ごしてきた私は

人との付き合い方がよくわからなくなっていました。


でもなぜか、前向きにとらえた私がいました。

この時を0歳!と

ここを0地点として、生活を始めた私がいました。


「0歳だからしょうがない」

わからないことがあっても、いいやと、思考がどんどん外に向かうようになりました。


世界が毎日キラキラしていました。

毎日が新しく

知らないことばかりで感動していました。

初めての夏、初めての秋

初めてのことばかりに感じられました。

感情も、視覚、触覚、味覚、聴覚なにもかもが新しかった。


本当に、本当に、8年間

感覚がなくなっていたのだと改めて感じました。


ガラスが割れたのは夏休み前。

それから始まる夏休みの2か月間

私は家に閉じこもりました。

友達もおらず、所属する場所もないため、最低限しか出歩かず

ひたすら寝転がり

今までのことを思い出し

初めて、体を休めだらだらすることを味わいまくっていました。


朝、日が昇ると起き

時間が流れ

昼になり

お腹が好き

のどが渇き

少しずつ、空は暗くなり

セミや虫の声がし

眠たくなり

寝に落ちる。


体には血が流れ

心臓の音がし

内臓が動き

体中に神経が行きわたり

指先まで動かすことができ

体は重く

同じ姿勢でいると、体が痛くなる。


それだけを、毎日毎日感じて過ごしました。

それさえも新鮮で

それだけで私は十分だったのです。






12歳から患った、離人症症状が治った20歳の時に

その場で書きつけた文章です。

長くなりましたが、今回が最終回です。


~*~*~*~*~

まだまだ、たくさんのことが変わった。

興味が子供じゃなくて、同じ年代の子になった。

鏡を見なくなった。

キョロキョロしなくなった。

人と一緒にご飯が食べられるようになった。


私は今までになく自然だ。

+もーもない。0なのだ。


人の感情がわからなくなった。

でも、人の感情なんてわからないものだ。

感じていたものは、きっと、私が作り出したものだったんだ。

私は何もわからないのだ。

私には私の世界があり、それと同時に人にもその人の世界がある。


そういうものだと思っていたこと

わかっていると思っていたものが

本当はわかっていなかったんだということがわかった。

そして

本当にわかるようになった。

人からの好意を好意として感じること。

私を私のままで感じること。

現実を現実として感じること。


それがこんなに満たされ、元気になることだと知った。

とても自然だと知った。


神様ありがとうございます。

今感じている感謝は本物です。

前に神様に感謝するときは涙を流していた。叫んでいた。

そんなことがなくなった。

あの涙、あの叫びはきっと感謝じゃなかった。


今感じている感謝は、とてもフランクだ。

楽に笑える感謝。

人といても感謝できる。

もう「ありがとう」といった時に涙が出ない。

「嬉しい嬉しいんだ私は」と叫ばなくていい。

あれはSOSだった。

あれはきっと嘘だった。

もしかしたらまた

この嘘に侵略されるかもしれない。それは少し怖い。

でも今、怖いと思えるから、

きっと、何とかなる。


私は誰にも何もできない。

誰も私に何もできない。

私に責任を持てるのは私だけ。


私は0になってここにいるよ。

ありがとう。

生まれて初めて本物の空を見た気がする。

世界を楽しめる気がする。

自分を本当に大切にできる気がする。


自殺する人、殺人をする人

いじめる人、見下す人

そういう人の感情をとても身近に感じ

親近感さえ持っていた。

それを感じられる私は、すごい人だと当たり前に思っていた。

その感情を、今私を感じているように

自然に感じられた。


人の好意より、そういうものが私にとって

身近で理解しやすいものだった。

これはとても怖いことだ

とても恐ろしいことだったんだと、今はわかる。


そして

こういう感情を持つことは、

とても悲しいことなのだと同情することができる。

自分の中にではなく

外から、この感情を眺めることができる。

この感情は

現実や、真の真実とはものすごく

かけ離れたものなのかもしれない。