いつも無気力で
虚勢を張り
相手をバカにし
つまらないもので一時的に自分を充たし
カラになり
それを繰り返しどんどん疲れていった。
もう、もう世界なんてどう感じていいのか忘れてしまっていた。
人といると怖い。評価されるのが怖い。
みんな私を見てる。
私はしっかりしないといけない。ふざけてはいけない。
なんであなたは私だけを見てはくれないの?
なんで私を一番だと思ってくれないの?
なんで私以外の人と楽しそうにしているの?
私以外の人と関わらないで!
私を優しく包んでくれる人々を私は自分の入れ物に引きずりこむことで頭がいっぱいだった。
私は本当に怖くて、そして何もかもが見えていなかった。
いつも一人で
いつも私と二人で
いつも世界が怖くて
そして
どうしようもなく憧れ
でも一生無理で望めないものだ
私には必要もなく手に入れることはできないのだと思っていた。
人の愛し方がわからない。
どういう感情を好きというのかわからない。
二人の私、どっちが本物なのかわからない。
どれが本物?どの感情が本物?
もうそんなものすべてがわからなくて、私は一生、そこで苦しむのだと思っていた。
もはや、どれが本物なのかわからないことさえ忘れていた。
でも
様々な本を読んで、様々な言葉に出合った。
そして、わかったのだ。
私は、誰も傷つけることができない。
私は、誰にも傷つけられない。
みんなと私の感じ方は同じではない。
私は限りなく寂しくて、たくさんのものを求めている。
私は立派ではない。
そして、そのことを責めたり期待する人は誰もいない。
人は私を気になんてしていない。
私はいい子でいる必要なんてどこにもない。
・私は誰にも期待されていない。
・人は私の感じるように感じていない。
・私は人に何もできないし、する必要もない。
・誰も私を傷つけることができない。
静かに何かが変化した。
まず、
メールの返信がすぐできるようになった。
しないといけないことの順序がわかるようになった。
休憩していい時がわかるようになった。
一人でいることが怖くなくなった。
人といるとき、人が感じている声がしなくなった。
偶然会った人を避けなくなった。
人混みが怖くなくなった。
返事にどもらなくなった。
さみしいこと、怖いことはそう言うようになった。
人といるとき、相手に感じる独占欲がなくなった。
相手の話を聞いて、嫉妬を感じなかった。
嫌いな人がわかるようになった。
集中できるようになった。
よくわからないいら立ちや、焦燥感が消えた。
元気というものがわかった。
私と入れ物の中で話すことがなくなった。
私を私にしようと思わなくなった。
私の足が地についた。
感じていた世界への隔たりがわからなくなった。
人と話すとき、人と話すようになった。
話さないことを覚えた。
人と話すと面白いことがわかった。
集団を見下すことを忘れていた。
自ら会いたい人と会うようになった。
みんな私を見下していなかった。
私は何もできず、みんなも私に何もできなかった。
私を見るのは私だけ。私に責任を持てるのも私だけだった。
世界が身近になり、入れ物がなくなった。
私は、ひとりになった。
たまにくる”あいつ”を頭から追い出せるようになった。
人と話すと、会うと元気になった。一人でいるといろんなことができた。
人との間に空気を作れた。
人からの嫌な感情は拒絶できた。
人を感じること、愛することを理解し、人からの好意を受け取れた。
とても自然で、そして元気が出た。
人に求めたり、求められたりしなくなった。
私は私になった。
人が集まってくる。でも、何も感じなかった。
そこにはただ空気があって、目に見えない縁があって
ただ、私はそれを感じた。
私は、そこにいた。
~*~*~*~
次回で最終です。
久々に読み返していて思うことは
離人症状に悩んでいた時「自己と他者の境界線があいまいな状態」であったとだということです。
離人症状は、自己が出現し確立が始まる思春期に出現することが多い。
それは、自己と他者の境界を作る時期に
それを混乱させるような状況に陥ると
自己の確立がうまくいかなくなるからなのかもしれません。