12歳から患った、離人症症状が治った20歳の時に

その場で書きつけた文章です。

長くなりましたが、今回が最終回です。


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まだまだ、たくさんのことが変わった。

興味が子供じゃなくて、同じ年代の子になった。

鏡を見なくなった。

キョロキョロしなくなった。

人と一緒にご飯が食べられるようになった。


私は今までになく自然だ。

+もーもない。0なのだ。


人の感情がわからなくなった。

でも、人の感情なんてわからないものだ。

感じていたものは、きっと、私が作り出したものだったんだ。

私は何もわからないのだ。

私には私の世界があり、それと同時に人にもその人の世界がある。


そういうものだと思っていたこと

わかっていると思っていたものが

本当はわかっていなかったんだということがわかった。

そして

本当にわかるようになった。

人からの好意を好意として感じること。

私を私のままで感じること。

現実を現実として感じること。


それがこんなに満たされ、元気になることだと知った。

とても自然だと知った。


神様ありがとうございます。

今感じている感謝は本物です。

前に神様に感謝するときは涙を流していた。叫んでいた。

そんなことがなくなった。

あの涙、あの叫びはきっと感謝じゃなかった。


今感じている感謝は、とてもフランクだ。

楽に笑える感謝。

人といても感謝できる。

もう「ありがとう」といった時に涙が出ない。

「嬉しい嬉しいんだ私は」と叫ばなくていい。

あれはSOSだった。

あれはきっと嘘だった。

もしかしたらまた

この嘘に侵略されるかもしれない。それは少し怖い。

でも今、怖いと思えるから、

きっと、何とかなる。


私は誰にも何もできない。

誰も私に何もできない。

私に責任を持てるのは私だけ。


私は0になってここにいるよ。

ありがとう。

生まれて初めて本物の空を見た気がする。

世界を楽しめる気がする。

自分を本当に大切にできる気がする。


自殺する人、殺人をする人

いじめる人、見下す人

そういう人の感情をとても身近に感じ

親近感さえ持っていた。

それを感じられる私は、すごい人だと当たり前に思っていた。

その感情を、今私を感じているように

自然に感じられた。


人の好意より、そういうものが私にとって

身近で理解しやすいものだった。

これはとても怖いことだ

とても恐ろしいことだったんだと、今はわかる。


そして

こういう感情を持つことは、

とても悲しいことなのだと同情することができる。

自分の中にではなく

外から、この感情を眺めることができる。

この感情は

現実や、真の真実とはものすごく

かけ離れたものなのかもしれない。