新入社員時代の私の写真が出てきた。45年前の私。 | ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

もういくつ寝るとあの世かな。
☆剣道 教士7段 、剣道コーチ
☆Harry's フォトスタジオ枚方 代表
☆催眠誘導心理カウンセラー
☆貿易アカデミー 講師
☆財務分析セミナー講師
☆元 関西外語専門学校 講師
☆元 JETRO認定貿易アドバイザー

断捨離しようと、書類箱を整理していると、

 

若き日の自分の写真が出てきた。

 

大学を出て、新入社員として働き始めたころの写真だと思う。

 

 

 

あれから、いろんなことがあったなあ。

 

写真の他に、

 

書きつづった沢山の日記ノートが出てきた。

 

紙の色もすこし茶色くなりつつあり、インクの色もすこし変色している。

 

過去は振り返るまい、と意を決して捨てようと思って、いったんは廃棄箱に放り込んだものの、

 

やっぱり、思いとどまって、手に取り直し、

 

それを開いて、ついつい、ぱらぱらと読んでしまう。

 

辛いことや、耐え忍んだ理不尽な出来事などが書きつづられている。

 

 

子どものことや、家族を養うために、仕事をどうするかということばかりが書き込まれている。

 

どんなスキルを身に着けようか、転職しようか、起業しようか、と堂々巡りのように考えている日々。

 

朝始発に乗って出勤し、喫茶店で会計学や、英語の勉強をし、通関士などの資格試験勉強をしていて、その進捗を記録していた。

 

土日にも勉強の日々。

 

家族とディズニーランドに行っても、英語の単語帳を見ていた私。

 

 

体力を付けるために運動スケジュールも立て、体を鍛えていた。

 

仕事はめちゃくちゃハードだった。

 

よくぞあんな地獄の日々を生き延びたなと、われながら感心する。

 

若かったからできたんだろうなあと思う。 今の私には、到底できない。

 

 

苦悩する日々だったことが読み取れる。

 

子どもや女房に関する記述は、極端に少ない。そこに思いを巡らす余裕が無かった。仕事のことと、稼ぐための自己啓発で、

いっぱいいっぱいだったのだ。精神的にも、肉体的にもギリギリのところで生きていたと振り返る。

 

管理部長職として、経営管理部門に出世はしたが、海外で活躍したいと勉強してきたこと、貿易で稼ぎたいと思っていたこととは違う方向に行き、仕事に生きがいは全く感じれなくなっていた。

 

もっとも不得意な分野に配属された。(同時並行で物事を考える仕事、人と協調しながら進める仕事の能力が求められる役職だった。英語は不要となった。)気づくと、 私の19歳からの夢は遠のいていた。

 

自分に向いていない仕事、職場で、人並み以上の結果を出そうともがく自分の姿がありありとよみがえる。

 

 

楽しいことが少なかったサラリーマン人生だったと思う。(耐え切れず、59歳で早期退職。)

 

そんな過去の記憶も、断捨離したほうがいいと思うので、

 

日記も捨てようとしたが、やっぱり、捨てきれないで、

 

書箱に戻してしまう。

 

 

いまさら過去を振り返っても、老い先短いのだから意味がないと思うのだが、、、

 

 

 

でも、それが自分の人生だったのから、

 

もうしばらくして、働くことも、歩き回ることもできない時が来たら、

 

走馬灯のように人生を振り返りたくなる時もあるだろうから、

 

その時に読んで、楽しんでみようと思いなおして、捨てるのを止めた。

 

どんな辛い、悔しい出来事であっても、死ぬ間際なら、すべて、そんなことがあったなあ、と平然と、端然と、粛々と、

 

味わうことが出来るのではないかと思って、日記を捨てられないでいる私。

 

 

歳を取ると、すべてが懐かしい想い出になるのかもしれない。

 

過去を振り返る時間は無い。

 

残りの人生を意義ある楽しく幸せな日々とするためにのみ、残りの時間と、脳と、エネルギーを使おうと思う。

 

その為に、過去のゴミはどんどん断捨離しよう。

 

楽しい明日につながる役立つ資料だけを残そう。

 

そんなことを想った今日の身辺整理。

 

 

ハリー・ヨシダ

65歳。前期高齢者の断捨離日記