ハリーの欝(うつ)体験記 (その5)
心理的な負のスパイラルが始まると、仕事、家庭、人間関係にも影響が出てきます。
綺麗な花を見ても、青く澄み渡った空を見ても、青々とした木々を見ても、それらの美しい色彩が目に飛び込んできたあとすぐに、こころに届いたときには、色あせて白黒写真のような感じがします。
楽しいはずの旅行も、少し楽しんでいる一方で、それをプラスとすると、それ以上に、マイナスの悲しいというか、空虚というか、えも言われぬ虚しさ、そして、あすからの辛い日々を乗り越えられるだろうかという不安がどこからともなく湧き出てきて、
楽しいという気持ちを消し去っていきます。
そのやるせない気持ちをどう扱えばいいのか、その不安をどう払拭したらいいのか、わからないという日々が続いていきました。
まだ、あの東日本大震災が起きる以前でしたので、東北の海岸線の景色は美しく、
自転車でサイクリングしたり、バイクに乗って、海を見に出かけました。
家の中で、布団の中でもんもんとしていては、うつ的な感情は、さらに悪化していくことを心理学を学んだ私は知っていました。
「こういう時は行動療法! とにかく、カーテンを開けて、太陽の光を浴びて、バイクに乗って、風を切って走ろう!」と、
とにかく行動をするようにしました。
バイク(ハーレーダビッドソン)に乗って高速道路を巡航速度120キロで走りながら、美しい東北の景色を見ていると、爽快!なはずでした。
知らない人が見たら、とても幸せなバイクおじさんに見えたことでしょう。
しかし、私のこころの中の60%以上は、やはり、明日からの不安、恐怖のようなものが占め、それら自分が大変な思いをしながら冷や汗たらしながら、もがくように業務を遂行している自分のイメージが脳裏をかすめますので、
なんだかちっとも、心の底から楽しいというわけにはいきませんでした。
楽しいはずのバイクツーリングを終えて、家に着き、シャワーを浴びるて、一息つくと、
また、その辛い現実のイメージが湧き上がってきました。
それを打ち消そうとやっきになってしまう自分がいました。
そして、ベッドに入ると、私はいつも、こう思いました。
「あ~、このまま死ねたら、どんなに幸せだろう。 朝目が覚めたら、自分は死んでいた。 もう息をしていない。それが私ののぞみだ。もう、何も思い残すことはありません。私はいつでも死ねます! 寝ているあいだに死ねたらどんなに幸せだろう。 神様、どうか、あす私は目を覚ますことなく、息を引き取っているようにしてください!もう、たくさんです。生きることは辛いことです。」と
助けを求めるように祈ったのでした。
しかし、すぐに次の朝が来ました。
来て欲しくない朝でした。
まどから鳥のさえずりが聞こえる素晴いい環境に住んでいながら、その鳥の声も私のそのうつ的心情を回復させることにはなんの役にも立ちませんでした。
『あー、おれは、まだ生きている。 生きているから、こんな辛い思いをするんだ。 こんな日々をあと何年、耐えろというのか? 生きていたくない。もう、たくさんだ!』
と,こころの中の自分がつぶやきます。
そのころ、大阪の実家へ法事で帰ったとき、高校時代からの仲間たちと久しぶりに会ったときに、かれらが、私をみて、こう言いました。
「ヨシダ、おまえ、どうしたんや? 昔のおまえと全然違うぞ。げっそりしてしまって、言うことも、なんか、うしろむきのことばっかりで、自信なさそうで、おい、おまえ、ほんまに、あのヨシダか? 俺たちの知ってるヨシダは、いつも、人が驚く程の夢を語り、行動して実現して、俺たちをおどろかせたんぞ。あのヨシダはどこへいったんだ? どうなったるんだ? 」
と心配してくれました。
かれらからの電話やメールでの励ましは、その後もずっと続けてくれました。
今から思えば、ほんとうにありがたいことです。
でも、当時の私には、かれらの励ましの声は、励ましにならず、ただ、あたまをすり抜けていく空虚な言葉でしかありませんでした。
ありがたいことだと認識はしているのですが、こころの問題は全く解決しないのでした。
心が弱り、負のスパイラルに陥った人は、
ちょうど、風邪で例えると、
40度の高熱が出て、それが、もう何日も続き、布団の中で、朦朧(もうろう)としてしまっている状態です。
もし、あなたに子供がいたら、その子供さんが高熱でうなされている状態をイメージしてみてください。
その子は、自分の力では、食事も、トイレも行くことはできないでしょう。
だれかが、おかゆをつくってあげたり、水をもっていってやらないと、やがて、立ち上がれなくなって、死んでしまいます。
そんな状態のときに必要なことは、適切な介護ですね。
そばにいてあげるだけでも、患者には心強いのです。
そっと、手を当てて、「だいじょうぶよ、きっと良くなるから。私、神様にお祈りしたから。ね、だからきっと良くなる。信じていいよ。」と言ってあげることです。
必要な水の補給を手伝い、トイレにあるくのであれば、肩を貸してあげる。
そういった力添えをするのが、心理カウンセラーなんです。
一人暮らしをしていた私には、家に帰ると、ひとりっきりでした。
私には、こころを支えてくれる人が必要でした。
いくらひとりで心理学の本を読んでも、限界がありました。
そこまで重症になったときは、熱を出して肺炎になって寝込んでしまった人と同じで、
立ち上がるためには、だれかが肩を貸してくれることが必要でした。
そんな時、私は、あがき、もがき続け、ふと、インターネットで、NLPの資格セミナーを見つけました。
この発見が、私にとって、特別な意味ある偶然となっていきます。
そのセミナーが仙台市内で開催されると知り、藁をも掴む気持ちで申込みました。
NLP(神経言語プログラム療法)が、うつ的状態の人を、驚異的なスピードで改善させるということを心理学仲間から聞いていて知っていたからです。
従来式の心理学的カウンセリング手法で何年かかっても、改善しなかった欝が、たった一日で治ったとか、薬を飲まなくて良くなったという話を聞いていたからです。
1970年代ごろのゲシュタルト療法の改良版といわれる、人間性心理学という、あたらしい心理療法のジャンルでした。
一日8時間のワーク、セミナーを8回行う本格的なコースでした。金額は結構しましたが、もう、藁をも掴むつもりで申込みました。
ここでの出会いと、経験したワークや、カウンセリングの実践、ヒプノセラピーの体験が、その後の私の人生を、大きく好転させることになったのです。
東日本大震災の発生の前に、私がそれを学べたことも、その後の私のあり方、生き方を変えていきました。
そこで、何があったのか、
誰に出会ったのか、
どのような体験であったのか、
次の(その6)でお話しましょう。
(その6)へ続く
そして、おかげさまで、61歳の今は、完全復帰し、
セミナー講演に残りの人生を賭けております。
ハリーのオフィシャル・サイト⇒ https://harry-office.jimdo.com/
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