1月17日 ともに | 健康第一!アラ還おばちゃんの日々

健康第一!アラ還おばちゃんの日々

2023.4に健康診断で偶然卵巣腫瘍が見つかり、6月末に手術。早期の卵巣がん(明細胞癌Ⅰa期)で、追加治療無く経過観察となりました。退院後、深部静脈血栓症が悪化し再入院。退院後は服薬にて治療、経過観察中です。

今から29年前の1995年1月17日

ここ関西に大震災が発災しました。


当時私は結婚して3年と少し。

まだ子供はおらず、旦那と二人ダブルインカム、有給を取っては海外旅行へ行くなど、仕事と自由を謳歌していました。


震災が起きた午前5時46分、私達はまさに海外から帰国する機上の人でした…


関西空港に間もなく着陸する頃、いつもならばまばゆいばかりの灯りに包まれた神戸の夜景が出迎えてくれるはずなのに、その日は何故か漆黒の闇に包まれていました。

おかしいな…と思ったと同時に、機長からの機内アナウンスが流れ、その時初めて関西に大地震が起きたことを知りました。

乗務員達はとっくに(おそらく離陸直後)地上から情報を得ていたはずなのに、乗客がパニックを起こさぬよう、着陸間際までアナウンスを控えていたのかもしれません(今みたいに個人がSNSで自由に情報を得ることが出来なかった時代です)。


空港に降り立つと、幸いなことに空港島から大阪市内に通ずる交通機関がようやく動き出したというアナウンスが流れ、私達は空港に足止めされることなく無事に我が家にたどり着きました。


当時住んでいたマンションの部屋は、幸運にも目立った被害はありませんでした。実家も無事でした。ですが、宝塚市、西宮市に住む親戚の家は半壊しました。

私は居ても立っても居られず、電車が開通したと同時に、食料と水を入れたリュックを背負い、電気屋さんを回り回ってようやく買えたカセットコンロを抱えて宝塚まで届けました。

着の身着のままで駅まで物資を取りに来てくれた叔父と従弟、「ありがとう、頑張るから」と、受け取った荷物を抱えて二人で帰っていく後ろ姿、途中車窓から見えた平行四辺形のようにへしゃげた家屋を、一生忘れることはできません。


今年、元旦から大きな地震が石川県能登半島を襲いました。

被災された多くの方が、この寒空の中肩を寄せ合ってご苦労されていることを思うと、胸が痛くなります。

どうかお身体に気をつけて、1日も早く元通りの生活を取り戻されますように。


ともに生きていきましょう