こんにちは。
主体性を育み、全身で楽しむぐちゃぐちゃ遊びの親子教室 わくチャレの松倉です。
今日は、ここ最近私が身を以て実感したことをお話ししたいと思います。
家族と過ごす日常。これって「当たり前」だよね?
毎朝「おはよう」とカーテンを明け、
幼稚園に「いってらっしゃい!楽しんできてね♪」と送り出し、
「おかえり」と出迎え、
「だいすきだよ、おやすみ」とギュッと抱きしめてから、電気を消す
一緒にご飯を食べ、遊び、お風呂に入って、子どもたちに挟まれて寝る
仕事を終えた夫に、「今日はこんなことがあってね…」とその日の子どもたちの様子を伝える。
休日になったら、家族と公園や買い物に出かけたり、
好きな本を1冊ずつ買ってカフェでまったり読んだり
ボードゲームに明け暮れたり。
そんな日常が「当たり前」だと思ってました。
「当たり前」でないと分かったときに感じる「ありがたさ」
夜ベッドに入ると、寝てるはずなのにすり寄ってくる子どもたち。
おかげで全く身動きがとれず、毎朝起きると体が凝り固まっていて、「あっちにたくさんスペースあるんだから、もう少し離れて寝てくれないかな…」なんて思ったことも、正直何度もある(^_^;)
「毎日の家事から解放されたーい!」って思ったこともあるし、
「もう少し静かに遊んでよー」って思ったことも、言ったこともある。
でも、家族と離れて過ごしてみて気付きました。
子どもたちに触ることも、ハグすることもできない寂しさ
一人で食べるご飯は、どんなに栄養バランスが良くて美味しくても、なんだか味気ないこと
毎日温かいお風呂に入れることの幸せ
無音の部屋で生活することの違和感
一日中ベッドで横になってなくてはいけない生活の辛さ
「ねーねー聞いてよ」と気軽に話せる相手がいないことの寂しさ
「当たり前」と思っている日常の中にこそ、「幸せ」があったんだなぁ…
「当たり前」だと思っていたけど、ありがたいことだったんだなぁ…
と今実感しています。
「ありがとう」の語源は「有り難し」
私達が日頃、幾度となく使っている「ありがとう」という言葉。
その語源を知っていますか?
つまり、「当たり前」の反対語は「ありがとう」だったんです。
私たちは、何かを「当たり前」と認識すると、
そのことに対する感謝の気持ちを忘れてしまいがち。
でも、本当は「当たり前」なことなんて、何もないんですよね。
いつ何が起こるか分からない人生だから
私達の人生、いつ何が起こる分かりません。
いくら予想や予定を立てたって、自分ではどうしようもない出来事(自然災害や事故・事件)に巻き込まれてしまうことだってあります。
そんなことが起こってから
「あの時こうしておけば良かった!」
と後悔するのでは遅いのです。
だからこそ、
大切な人には感謝や愛情をしっかり伝えたいし、
やりたいことは諦めずに頑張りたいし、
怒るよりも、笑顔で過ごしたい
「今日も1日楽しかった!幸せだった!」そう思って眠りにつきたい。
「ありがとう」の気持ちを忘れずにいたい。
そんなふうに思います。
そして、この気持ちをしっかり心に留めて、日々過ごしていきたいです。
皆さんは大切な人に、感謝の気持ちや愛情をしっかり伝えられていますか?
後悔してからでは遅いですよ!
ぜひ伝えてみてくださいね♡^^