第 20 話  国葬 と 日本書紀 | 日本書紀が正す「千年の誤読」       by wakoku701

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日本書紀の原文は漢文ですが、例えば「倭」字は「ゐ(漢語)、わ(和読)、い(和語)、やまと(当て字)」など
様々な内容に使われましたが、後世の「読み下し文」はすべて「やまと」と振り仮名されました。
「千年の誤読」の始まりです。それを正しているのは原文です。

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第 20 話  国葬 と 日本書紀 (改題しました)

 

「国葬」とかけて「日本書紀」と解く、その心は? 

 

安倍元首相が亡くなって、改めてその視野の広さ、新政体(レジーム)探求への信念が再評価されています。

一方、旧統一教会との関係も明らかにされつつあり、「国葬に相応しい礼賛」への躊躇も少しずつ広がっているように感じられます。

 

恐らく国葬が済めば、名前を挙げての礼賛から、取るべき物は取り、捨てるべきものは捨てて「戦後レジーム(政体)」からの脱却・模索・再構築が始まるでしょう。その先に「憲法改正」が視野に入ります。

 

ここで「日本書紀」を持ち出す、その心は、「日本書紀」は倭国レジーム(政体)からの脱却、「日本の自立宣言」だったからです。その検証は「私達の眼前の激変(ウクライナ戦争など)にどう対処すべきか」の参考になるでしょう。

 

 

● 「日本書紀」は「倭国不記載」

日本書紀は「倭国不記載」を方針としている、と繰り返し述べてきました。

その解釈は様々にありました。

 

(1) 筆者はこれまで「記紀の『倭国不記載』の方針は新日本の『唐への外交的配慮』」と解釈しました。日本国建国後、初の遣唐使が持ちかえった唐側の反応は「倭国は唐の敵だった。日本が唐と付き合いたいなら『日本は倭国と別の国』を証明せよ」(旧唐書)でしたから、それは避けることのできない配慮だったでしょう。

 

(2) 一方、「九州王朝説」は「日本書紀は滅亡した倭国を競争的・敵対的存在として徹底的に隠蔽し抹殺した」と激しく紀を(ひいては大和王権を)批判しています。

それは「徹底的に隠蔽され、抹殺された倭国を再発見した九州王朝説はすごいだろう」という自画自賛と表裏一体ですが、妥当な解釈ではありません。紀記は「倭国不記載」ですが、「倭国否定・不存在(=不実記載)」とはしていないからです。なぜなら、唐には「倭国など無かった」も「倭国=日本」も通じませんでしたから。

 

(3) 大和王権は過去も当時も倭国を兄王権として、また宗主国として立て、決して争い打倒しようと敵視したことはありません。倭国の兄弟国として、倭国に寄り添い、宗主国を代弁し、近畿地方(=日本)の取りまとめ役として、特に外征日本軍を率いて成果を挙げてきました。

一方で、倭国の頑なな「唐に対する対等外交姿勢」に疑問を持ち、倭国遣隋使・遣唐使に随行使を出した推古・孝徳・斉明は裏外交で「朝貢」を模索し続けました。それが唐の「遠交近攻策」を誘い、唐から「やまとは日本(近畿・東国諸国)をまとめ切って倭国を離れ、倭国に代わる親唐日本国になれ」と期待されたのです。そして大和王権は倭国滅亡を機にそうしたのです。

 

(4) 筆者は前項から、次の解釈もあると考えます。「『倭国不記載』は新生日本国の『自立宣言』だ」と。

 

● 自立宣言

この「自立宣言」について説明します。

 

大和王権は倭国を「内部にニニギ系王族王統の存続を許し、大和王権を再興した保護者的存在」と敬していたと思われます。大和王権が倭国を倒した訳ではないし、日本書紀編纂当時、倭国は既に滅亡し、既に王統はニニギ系で固められており、それを今更強調したり自慢する時代ではなかったのです。

 

日本書紀には新しい時代を目標にした「新規範」が求められたでしょう。その新規範とは「倭国を超える国造り」ではないでしょうか。「倭国に支えられてきた王統の正統性」はむしろ負い目になります。負い目を持ち続けては倭国を超えることは難しいからです。

 

「倭国不記載」の本意はただの受動的な「不記載」(外交上の配慮)を超えて、「これからの建国の決意」「超える為の不記載」、「もう先生は要らない」という「自立宣言」ではないでしょうか。

「大宝律令」「日本国遣唐使」「平城京」はその表現でしょう。いずれも結果として「倭国を超える」を実現しています。

 

このように、「倭国不記載(=自立宣言)」そのものが「日本国は倭国の権威を借りてきたことを認めつつ、それを超えようとしている」ことの証(あかし)だ、と筆者は解釈します。

日本書紀は過去を振り返る書ではなく、これからの「新日本国を方向づける規範の書」として編纂された、と思い至るのです。

 

問題は後世、紀に振り仮名、特に「倭」「大倭」のすべてに「やまと」と振り仮名させたことによって、「倭国」も「九州遷都」も「飛鳥」もすべて「やまと」、との誤解が定着しました。

更にその結果、記紀に出てくる地名をすべて大和のそれらしい地に移植(改称)させたのは、記紀の意図(ただの不記載)を忘れ、そこから外れた後世の慢心、藤原政治の独善であり、天皇家に対する官僚の忖度の結果でしょう。

 

紀の振り仮名誤訓から解放されて、日本書紀の「倭国不記載」を「倭国に頼らない、倭国を超える、という日本の自立宣言」、それが新しい「日本の国造り」を成功させた、と読解することが「日本書紀」を更に深く理解する「鍵」でしょう。

 

その「鍵」が、これからの「国葬」のあとに続く「新日本の自立宣言」への扉を開く、と期待したいものです。

 

 第 20 話     了

 

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