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山口周遊旅2日目。
昨日からの雨も上がり、予定通り8時40分出発。
午前中は萩観光。
萩城跡指月公園
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、
別名指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、
本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、明治7年(1874)に
天守、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、
ここ一帯は国の史跡に指定されています。
旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、
総面積約20万㎡の境内が指月公園として整備されました。
![IMG_3198.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/e7/b3/j/o0640042615322110600.jpg?caw=800)
![IMG_3207.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/8d/f3/j/o0640042615322110609.jpg?caw=800)
堀内鍵曲(かいまがり)
鍵曲は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
堀内地区は藩政時代の城内三の丸にあたり、藩の諸役所や、毛利一門、永代家老、
寄組といった大身の武家屋敷が並んでいた場所です。
追廻し筋の鍵曲は、平安古地区・大児玉横町の鍵曲とともに、
城下町特有の街路の姿を残しています。
昔のままの萩らしい風情を残す閑静な散策道として見どころのひとつです。
夏みかんが実る季節になると、土塀の上から黄色の果実がのぞく風景は、
萩ならではの景観となっています。
![IMG_3223.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/73/fa/j/o0640042615322110614.jpg?caw=800)
![IMG_3227.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/37/75/j/o0640042615322110626.jpg?caw=800)
![IMG_3225.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/ad/17/j/o0640042615322110631.jpg?caw=800)
木戸孝允旧宅
桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。
生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家は、
中に入ると、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、
写真などが展示されています。
![IMG_3232.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/c5/ab/j/o0640042615322110635.jpg?caw=800)
![IMG_3234.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/20/c6/j/o0640042615322110641.jpg?caw=800)
高杉晋作誕生地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。
現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や
自作の句碑などがあります。
晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれました。
藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、
久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。
文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し
危機感を抱いた晋作は、翌文久3年(1863)に身分を問わない
我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。
討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、下関・吉田(現:東行庵)に隠居。
慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。
今回の山口周遊旅では、高杉晋作に関係するスポットが中心となりました。
〇誕生地〇松下村塾〇功山寺〇東行庵〇高杉晋作の墓
![IMG_3254.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/16/6d/j/o0640042615322110649.jpg?caw=800)
![IMG_3263.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/95/fd/j/o0640042615322110659.jpg?caw=800)
![IMG_3267.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/01/73/j/o0640042615322110669.jpg?caw=800)
![IMG_3255.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/a5/56/j/o0640042615322110675.jpg?caw=800)
萩陶苑
約400年という歴史をもつ萩焼を、より多くの方に使っていただきたい
という思いから1975年に創業された萩焼の製造・卸売の会社。
それとは別に、萩焼を作る窯元として【椿秀窯(ちんしゅうがま)】という名前を使う。
これは、萩陶苑の持つ窯の名前で、窯のある地名に由来しています。
萩焼の作家さんが、作品を作る時、誰がつくったかわかるように、
落款を押しますが、商品には窯の名前を刻印します。
おしゃれな陶器が沢山、しかもお値段もお手頃なものが沢山あった。
還暦の記念としてコーヒーカップなどを買ってみた。
![20230521_115943.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/5b/d5/j/o0640040615322110686.jpg?caw=800)
萩駅
白く美しい外観が目を引くレトロなJR萩駅舎。
半円形のドーマー窓を有する白壁に柱や梁が露出するハーフティンバー構造の萩駅舎は、
大正14年(1925)に建てられ、平成10年に当時の姿に復元・補強したものです。
平成8年(1996)に、国登録有形文化財となっています。
萩陶苑に行く途中、つい目に入って寄ってみました。
![IMG_3280.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/a9/24/j/o0640042615322110690.jpg?caw=800)
瑠璃光寺
文明3年(1471)陶弘房の夫人が夫の菩提をとむらうために、
現在の山口市仁保高野に創建した寺で、はじめ安養寺といっていたが、
明応元年(1492)に瑠璃光寺と改められました。
この地にあった香積寺は、慶長9年(1604)に萩に移され、
その後にこの瑠璃光寺が元禄3年(1690)に仁保から移り来たもの。
曹洞宗で山号を保寧山といい、薬師如来が本尊である。
防長屈指の大寺で、経文や画像など多くの寺宝が所蔵されています。
国宝の五重塔は香積寺の遺構です。
国宝瑠璃光寺五重塔は、山口を拠点にかつて西国一の力を持った
守護大名・大内義弘公を弔うために1442年に弟・大内盛見によって建てられ、
奈良の法隆寺五重塔、京都の醍醐寺五重塔とともに日本三名塔に数えられている
本市唯一の「国宝」です。
今回、約70年ぶりの檜皮葺屋根の全面葺き替え工事が行われることとなり、
五重塔は仮設の足場の鉄骨で覆われていました。
![IMG_3300.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/50/ae/j/o0640042615322110694.jpg?caw=800)
![IMG_3308.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/05/ec/j/o0640042615322110700.jpg?caw=800)
防府天満宮
学問の神様として有名な菅原道真を祀る神社は全国に約1万2千社ありますが、
最初に創建されたのはここ、防府天満宮といわれています。
京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神のひとつに数えられています。
![IMG_3326.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/87/b3/j/o0640042615322110705.jpg?caw=800)
![IMG_3332.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/e3/0b/j/o0640042615322110710.jpg?caw=800)
本日のランチ
東京庵の蕎麦寿司
瑠璃光寺の門前にある蕎麦屋東京庵香山店。
県内産の蕎麦粉を使用した独特の平うち麺は、蕎麦の風味はもちろん、
そばつゆの味もひきたてます。
”そば寿し”は、お米のかわりに蕎麦をまいた巻き寿司です。
酢入りのそばつゆにつけ、いただきます。
![そば20230519東京庵 (2).jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/93/a5/j/o0640028815322110711.jpg?caw=800)
![そば20230519東京庵 (4).jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/bf/82/j/o0640034715322110715.jpg?caw=800)
![そば20230519東京庵 (10).jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20230807/11/wakasyachi24da/6f/51/j/o0288064015322110718.jpg?caw=800)
萩から出発し山口⇒防府まで南下。
防府では、20年以上ぶりにお世話になった電気店の社長にお会いしました。
78歳現役でまだ仕事をされていました。
また防府の親戚のうちに挨拶し、宇部市の船木(元本籍地)へも行く。
その後、山口に戻り湯田温泉ホテルニュータナカへ宿泊。
湯田はかつて10年くらい住んでいた懐かしい場所です。
昔住んでいたマンションにも行ってきました。