強制起訴の対象事件を見直さなくてよいのか? | 若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

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先日のブログで福島第一原発事故に関する
東電旧経営陣の強制起訴について触れましたが、
この事件は、過失犯(罪)が問われているものです。

私は、検事をしていた際、数限りなく、過失犯とされる事件を捜査してきました。
その際、感じたのは、過失犯は、故意犯とは違って認定が難しいということです。

刃物で人を刺したという故意犯であれば、「刺した」という積極的なアクションを認定すれば
足りるのですが、過失犯というのは、逆に、「本来するべきことをしなかった」という、
いわば、アクションが存在しなかったことを過失として認定する必要があるからです。
特に、類似事案が少ない形態の事件の場合には、本当に悩むものです。


そうした経験に照らせば、私は、過失犯を検察審査会の
強制起訴の対象にすることには、不安があります。

というのは、
過失犯の認定については、上述のように、難しさがあることに加え、
検察審査員である一般の方は、とかく、結果の重大性、
つまり、多数人の死亡という
深刻な結果に
つい目が行きがちだからです。

結果が重大であれば重大であるほど、誰かに対する刑事責任を
追及すべきで
ある、という思いは、私としても、とてもよく理解できます。
しかし、時には、むしろ結果が重大であるということを度外視してでも、
純粋な法律論議を十分に尽くされなければならない場合もあります。

そもそも、検察審査会に付される事件というのは、検事において不起訴にした案件です。
もともと、検事は、重大な結果を招いた事件については、
起訴するという前提で捜査をするものです。
そうした検事が不起訴にした事件ですから、なおさら、検察審査員が容易に
起訴すべき事案だと判断できるものではないように思います。

もとより、私は、刑事司法に、一般市民の健全な感覚や
正義感が反映されることは必要
だと考えております。

ただ、現在のように、どのような犯罪であっても、検察審査員という一般市民に、
起訴・不起訴の判断を仰いでよいのか、
検討し直した方がよいのではないかと思います。

同じく一般の人が参加する裁判員裁判に関する法律は、
3年ごとに
国会で見直しの議論をしております。
これとの比較においても、検察審査会法について、
国会で定期的に見直してよいと思います。


2016.03.08_裁判所から議事堂_R.JPG

写真は、検察審査会の入る東京地裁の建物越しに望む夜の国会議事堂です。