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若尾きみえのオフィシャル日記

楽しく、元気でいたい!日々の実感伝えます。

ときどき夢中になるドラマが出現しますが、

今回、私の心を捉えてきゅーんとさせた

テレビドラマがある。

それは、NHKの「アシガール」だ。

戦国時代を舞台にしたラブロマンスで、

原作は森本梢子の漫画を実写化したもの。

 

昨年の9月から12月にかけて放送された番組が好評だったことから、

2月に連日再放送となったそう。

 

最初はなんだ、「足ガール」だなんてギャグでみたいなタイトルで、

戦国時代にタイムスリップするなんて、

ちょっとおかしなコメディなのかなと、軽いのりで気分転換にと思って見始めたのですが、

これにどんどん引き込まれてしまった。

 

役者黒島結菜が演じる唯のコメディー性と、イケメン俳優の健太郎が演じる若君のやりとりが、

とてもういういしくて、見ていて楽しかった。

黒島結菜のフレッシュな雰囲気と、健太郎の持つ俳優としての雰囲気もドラマの魅力を高めているのだろう。

 

接点のない現代人の唯が若君に出会って、一目惚れし、若君を守ると決意してから、

どんどん、二人の関係性が接近し、発展していくところが絶妙でおもしろい。

 

見ているうちに、コメディーであり、あり得ない設定なのだが、戦国時代でいつ敵に攻められるかわからない。

いつ戦で命を落とすのかもわからない時代に入り込んだ主人公 唯が本当に若君をうまく守れるのか、

妙にリアリティーを感じて、うるうるきたり、はらはらしたり。

 

恋に落ちていく二人の無事を祈らないではいられない。

 

唯を戦国時代に送り出す唯のお父さん、お母さん、弟が過ごしている平和な現代の暮らしと、

戦国時代の戦の場面のギャップが、強いメッセージを放っている。

 

戦国時代とは、戦で死ぬことが日常の時代、戦さえなければ、若君も家臣も無事だし、

若君が大好きな主人公 唯もハッピーで、戦国時代の時間を無事で過ごせる。

 

ういういしくて、切なくて、きゅーんとなる「足ガール」ははいろいろな世代の人たちに楽しんでもらいたいドラマだ。

 

DVDも販売されるようですね。

 

このドラマを見てつくづく思う。

 

戦のない世の中の今の時代にやっぱり感謝しないではいられない。

 

「アシガール」の続編もあるようで楽しみだ!

 

 

 

 

 

 

マントラがおもしろい。そして、すごい!

この頃、ガヤリーマントラの音楽にはまってしまった私。

 

育った環境から、子どもの頃から、仏教とお経は私にとって、とても身近な存在でした。

しかし、インドで生まれたサンスクリット語のマントラは唱えたことも、意識して聴いたこともありませんでした。

 

マントラとは、サンスクリット語で「文字」や「言葉」を表すそうで、それが転じて真言(真理を表す秘密の言葉)になったそうです。

 

テレビ番組で知った細野晴臣の音楽とマントラ

 

マントラって何?って意識し始めたのは、ある番組を見たのがきっかけです。

またま見た「オー!!マイ神様!!」というテレビ番組。

 

その時のゲストは、Yahooを「ヤホー」と読み間違える漫才で人気のお笑いコンビ・ナイツの塙宣之でした。

塙(はなわ)さんは、マイ神様は細野晴臣さん。

「ヤホー漫才」誕生は細野さんのおかげと言います。

 

細野晴臣さんと言えば、私も高校時代さんざんはまって聞いたイエロ・ーマジック・オーケストラ、YMOのメンバー。

 

なぜ、漫才と音楽が関係あるのか。

ナイツの二人は、自分たちが演じる漫才がおもしろくない、心地よくないと感じ、悩みながら、演じていたそうです。

そして、よりよい漫才をめざし、

さまざまな漫才に挑戦したものの「全然ダメ」。

悩んだ塙さんは「漫才も音楽」と考え、自分が気持ちいいテンポの漫才をつくると決意したそうです。

それが、テクノポップのテンポのように、一定のリズムでボケ続ける「ヤホー漫才」をつくり出すことになったというのです。

 

ナイツの漫才は、平均6.5秒間隔でボケ続け、だんだん脳が気持ちよくなる漫才と言われており、確かに聞いていると、リズミカルで心地良いおもしろさがあります。

 

塙さんは、細野の音楽の魅力に子どもの頃からはまっていたそうです。そのひとつが、『インソムニア』という曲。

塙さんは、中学生の時にYMOのCDを買ってずっと聞いていたら、はまってしまって眠れなくなったそうです。

それにしても、大好きで聞いてきた天才音楽家、細野晴臣の音楽から、自らの漫才の方向性を見いだした塙さんは、すごいなって思います。

 

細野晴臣もマントラに注目し自らの音楽に活かしていた

 

細野晴臣の音楽の魅力には、計算されつくした中毒性。ループ、規則的なメロディに変化を加えるなどし、ズレから快楽性という要素があると言われているようですが、確かに聞いてみると、はまるのもわかるなと思いました。

 

事実、私も高校生の時、中毒みたいに聞いてしまう音楽がYMOでした。なんか聞きたくなっちゃうんですよね。

 

そして、その細野晴臣さんがその『インソムニア』という曲をつくるヒントとしてのが、マントラだそうです。

なるほど。

 

そこで、このマントラとは何か、マントラの音楽ってどんな音楽なのかとネット検索してみたら、ありました、ありました。

 

ストレスがたまって疲れ果てた時に、このガヤリーマントラを試しに聞いてみたら、心地よさにこてっと気を失うほどの、深い眠りに落ちってしまった私。

なんかとても心地よいのです。

 

ガヤリーマントラの音楽の魅力

塙さんがはまった『インソムニア』は、不眠症の意味で、塙さんは聞きながら眠れなくなってしまったようですが、ガヤリーマントラは、よく眠れます。しかもぐっすり。


ネットで探してみると、マントラの音楽はいろいろあるみたいですが、今私がはまっているのは、デーヴァ・プレマール(Deva Premal)というドイツ育ちのマントラ歌手のものです。

 

サンスクリット語の意味はもちろんわかりませんが。

真言がうたわれており、魂の浄化をすることができると言われ、世界中の人たちに唱えられているのがマンドラのようです。

 

デーヴァ・プレマールさんのガラリーマントラにも、心を洗うような癒やしがあります。

 

細野晴臣が、音楽の創作のヒントにしてマントラ。

 

よかったら、細野晴臣さんの『インソムニア』とガヤリーマントラ一度聞いてみてください。

そして、疲れている人は、ぜひディーヴァ・プレマールのガヤリーマントラを聴いてみてください。

 

お勧めです!

 

 

 

久しぶりにブログを書きます。

残念ながら4月の選挙で負けてから、一時はとても落ち込んでしまった私です。

会う人ごとに、応援したのに、残念だった、一週間ずっと泣いていたんだよ。

とか、本当に悔しくて仕方なかったよ。

とか、今度こそ大丈夫だと思って一生懸命お手伝いしたのに。

こんな風なお話をお聞きしていると、

私本人は、もちろん悔しさ、残念さでいっぱいですが、

こんなに多くの方を落胆させてしまった私って、なんてダメなんだろうと、何度も思っているうちに、どんどん落ち込んでいってしまったわけです。

でも、このままだと、具合悪くなっちゃいそうだなって思って、

自分を元気にするために、自分の好きなことだけをしばらくやってみることにしました。

だから大好きな富士山を見に行ったり、
お花を植えたり、

大好きな陶器を買って、食卓を一新したり、

それから、昔英語の講師をやっていたので、13年ぶりにすっかり忘れていた英会話の勉強を始めたり。

ずいぶん、気晴らしになりました。

やっぱり好きなことをやることは大切ですね。


そしてもう一つ私がやったことは、断捨離です。


前回落選した時ほどではないですが、選挙事務所から引き上げてきたものとか後片付けもしなければならないし、片付けは、やらなければならない残務処理ですが、

それだけでなく、再度断捨離をすることで、自分自身、どうやってこれから生きていこうかなって、心の整理をしたかったというのもあります。

断捨離はずいぶんやってがらくたはもはやないのですが。
今回は、やはり若干増えてしまった洋服と本の整理をしておきたいと始めました。

この断捨離をするときに、いつも私は、バイブルとして何冊かの本を読みながら断捨離をやります。

一番お気に入りの本は、「タニアのドイツ式部屋づくり」という本です。

タニアさんは、お母さんがドイツ人でお父さんが日本人。
お母さんから受け継いだドイツ式の整理収納や文化的なものと日本の文化を融合したような

日常生活を送っている。

この本を読んだ時、なんてすっきり暮らしているんだろう。

でもインテリアも大切にして、食卓も豊か。

断捨離研究として何冊も本を買って読みましたが、この本はぜひ皆さんにも読んでほしい本です。

日本人はかつて簡素の美というセンスがあったと思いますが、

戦争ですっかり焼け野原になり、日本人は、必死で戦後復興を進める中、物を持つことが豊かさになってしまった感があります。

大量生産、大量廃棄の消費文化で私たちは生きていますが、

物は増えてもちっとも幸せではない。

むしろ、溢れるものに翻弄されながら生きている。

もう一度、生活のあり方を考えていくことが大切だと思います。


ごみ問題が私の政治活動の原点でした。
そして、ごみ問題をずっと考えていくうちに、ごみ問題の解決は最終的にはライフスタイルの提案でもあると思い始めました。

だからこそ私は、断捨離の実践と、ライフスタイルの研究をしたいと余計に思います。


しかし、この頃断捨離という言葉も、近藤麻理恵さんが注目を浴びたことで、ことば自体はずいぶん浸透はしてきましたが、本当に目指すところが伝わっているのか疑問を感じる時もあります。

最近は断捨離が全部捨てることだと勘違いしている人が出てきているような気がして、それは違うなって。

断捨離は、本当に自分にとって必要なものは何か、物を通して自分自身に向き合う作業です。

いわば大切なものを見極め残す作業。

でも今日も話題になりましたが、

ある若い世帯で、どうしちゃったかなあと言うような断捨離後の風景。

子どもの机も処分。

テーブルもない。絨毯もない。

テレビもパソコンで見れるからない。

子どもたちは、寝袋に入ってスマホ。

旦那さんは、自分の場所で、パソコン。

家族の団らんまで捨てちゃったような家庭の様子を聞くと

これって違うんじゃない。

文化まで捨てないでって言いたくなります。

家族が家族らしくコミュニケーションするためには、テーブルとか、くつろぐ空間として

絨毯を敷くとか、テレビを一緒に見られるようにするとか。

必要なものはあるはずです。

味気ない空間を作るのが、目的ではないわけです。

私の断捨離は、洋服をもう少し減らしたいなと思っていますが、

でも食器は大好きですし、家族が食事をおいしく食べるための大切な
舞台装置の一つだと思っているので、減らす気はないです。

自分のこだわりと、そうでないところを見極めていきながら、

物の総量を増えすぎないようにしていくことが大切だなと思います。

そして、物を処分する時には、リサイクルショップに持って行って
他の人に使ってもらえるような一手間をかけていく。

ただただ捨てるのが断捨離ではない訳です。


文化を活かす断捨離と文化を捨てる断捨離。

やはり心や文化の豊かさを生み出す断捨離にしていきたいですね。