宮内卿 しぐれつる | わたる風よりにほふマルボロ

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現代短歌新聞2021年4月号

作品掲載

 

new「源氏で紡ぐ和歌便り」

2021年10月分掲載new

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後鳥羽院に五十首歌たてまつりける時

 

しぐれつるこのした露はおとづれて山ぢの末に雲ぞなり行く

 

宮内卿

玉葉和歌集冬840(841)

 


 
 
【現代語訳】


たった今まで降っていた

時雨のために

梢の含んだ露が、

木の下に音を立てて滴り、

いっぽう空を見上げると

山路の末の遠くに

時雨の雲が離れ行くのだった。

 

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

しぐれつるこのした露:

 文字どおり訳すならば

 「時雨れた木の下露」。

 「つ(つる)」は

 完了の助動詞なので、

 時雨の降るのが現在ではなく

 現在と断絶した過去でもなく

 「たった今まで」「先ごろまで」

 であった、というニュアンス。

 

おとづれて:「訪れて」「音づれて」

 両義を響かせる。

 

山ぢの末に雲ぞなり行く:

 理解しやすい語順にするならば

 「雲ぞ山ぢの末になり行く」。

 これを

 「雲は山路の末遠くに

 成り行くのだった」

 と訳すと

 「ぞ」のニュアンスを

 汲み取っていないことになる。

 

 

 

『玉葉集』冬部巻頭から7首目、

昨日の定家詠「しぐるるも」

次に配列された歌です。

 

 

先ごろまで降っていた時雨の

名残としての木の下露、

 

ということは、と思い見上げると

時雨の雲ははるか遠く

山路の末に去っていた、

 

という描き方ですね。

 

 

宮内卿の兄である具親、

それに宮内卿にもほかに

目の前の景から

遠くの景を思やる歌があった、

 

と記憶していたので

調べ直しました。

 

衣手に涼しき風をさきだてゝくもりはじむる夕立の空

宮内卿 風雅和歌集夏395

 

月をなほ待つらむものかむらさめの晴れゆく雲のすゑの里人
宮内卿 新古今和歌集秋上423

 

晴れ曇る影をみやこにさきだててしぐると告ぐる山の端の月
源具親 新古今和歌集冬598

 

 

「……や……らむ」

「……や……けむ」

のようなうるさい構文を

濫用しなくとも

 

目の前の状況から

目の前のものでない何かを

想像、想定する歌は

詠めるものです。

 

彼らの先例を無下にせず、

姿の美しい歌を

私も追い求めてゆきたい。

 

 

 

さて、この歌の文法ですが、

 

「しぐれ“つる”」といい

「山ぢの末に雲ぞなり行く」

の語順といい

「雲“ぞ”なり行く」といい、

 

真剣に読もうとすると

文語にいい加減な現代人の

言語に対する誠実さの程度の

炙り出されやすい歌

 

かもしれません。

 

 

現代短歌業界では

 

音数合わせで

「き」と「けり」が

入れ替えられたり

 

どう考えても完了、存続を

表していない場面で

これも音数合わせで

「り」が使われたり、

 

平気でしますからね。

とんでもない話です。

 

 

「専門家じゃありませんから」

「趣味でやっているだけですし」

だとしてもどうかと思います。

 

が、プロ歌人でも多くが

そういう事をするものですから、

 

それらを手本にしてしまう素人が

後を絶たないのも

無理はないのかな、なんて。

 

 

しぐれつるこのした露はおとづれて山ぢの末に雲ぞなり行く

 

 

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