永陽門院少将 はださむく | わたる風よりにほふマルボロ

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現代短歌新聞2021年4月号

作品掲載

 

new「源氏で紡ぐ和歌便り」

2021年8月分掲載new

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秋歌とて

 

はださむく風も秋なる夕暮の雲のはたてをわたるかりがね

 

永陽門院少将

玉葉和歌集秋上587

 


 
【現代語訳】

肌寒く風もなり、

秋のそれとなった夕暮れの雲、

その果てを飛び渡る雁がねよ。

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

はださむく風も秋なる:

 「はださむく風も成る」と

 「風もあきなる」を掛けるか

 

はたて:果て

 

かりがね:雁。

 秋に北国から飛来し、

 春に帰る渡り鳥。

 群を成して飛ぶので、

 ここでも一羽二羽ではなく

 一列(つら)の群となった雁を

 指すか。

 「かりがね」は元は「雁が音」で

 雁の鳴き声を指したが、

 じきに「かりがね(雁/雁金)」で

 雁そのものを指すようになった。

 ここでも鳴き声ではなく

 雁そのもののこと。

 

 

 

『玉葉和歌集』秋上巻の後半、

雁の歌群のなかの一首です。

 

 

言うまでもないですが、

これは特に訳ではなく

歌そのものを読んでほしいです。

 

こんなにも音の整った歌も、

訳すとこうなってしまう……

という好例。

 

 

「はださむく風も秋なる夕暮の」

の初句が

文法的にどう係るのだろう

と考えたのですが、

 

「はださむく成る」

「秋なる夕暮」

の掛詞と考えれば

文法的揺らぎは許容されるか、

 

と考え訳しました。

 

ちょっと、自信はありません。

 

 

それとも、

「肌(の)寒く、風も秋なる夕暮」

とでも受け取るべきか。

違う気がしますが。

 

 

 

『玉葉集』秋上巻の

雁の歌群は、28首。

 

そのうち、

結句「わたるかりがね」は

3首ですね。

 

ほかに、結句「初雁の声」が

4首あります。

 

 

伝統的なお約束に縛られず、

観念を心で濾過し結び直した

景を

正確に言葉に起こしてゆこう、

 

というのが

京極派の主張ですが、

 

そのなかでも

好まれた言葉や言い回しは

あったわけですね。

 

 

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なお、先の

「伝統的な……」の一文

については、『玉葉集』が

京極派の勅撰集であることを

前提に

京極派の特徴を

書いたわけですが、

 

「はださむく」作者である

永陽門院少将は……

“京極派歌人”というくくりで

よいのかしら? どうなのかしら。

 

春宮時代の伏見院に仕え、

その後

後深草院(伏見院の父)皇女

永陽門院(伏見院の同母妹)

出仕したとのことで、

 

京極派に近い存在である

とは思います。

 

 

いくつか読んだ彼女の歌からは

京極派的な歌風を

感じましたが……どうなのかしら。

 

 

はださむく風も秋なる夕暮の雲のはたてをわたるかりがね

 

 

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