宗尊親王 旅人の | わたる風よりにほふマルボロ

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現代短歌新聞2021年4月号

作品掲載

 

new「源氏で紡ぐ和歌便り」

2021年8月分掲載new

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雑歌の中に
 

旅人のともしすてたる松の火のけぶりさびしき野ぢの明ぼの
 
宗尊親王
玉葉和歌集旅1175(1176)
 
 
 
【現代語訳】
 
旅人が夜のあいだ灯して用い、
朝を迎えるとて捨てた
松明(たいまつ)より、
煙が細く立ち昇っている。
その煙の様子がなんとも寂しい
野路のあけぼのよ。
 
(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

夏むしのともしすてたるひかりさへのこりてあくるしののめの空

二条院讃岐 千五百番歌合夏二、794

 

松の火のけぶり:松明の煙

 

野ぢ:野路

 

 

 

宗尊親王の家集のひとつ

『中書王御詠』雑231、

「旅歌とて」という詞書の

12首のうちの7首目です。

 

 

こちらにも書いたとおり、

宗尊親王は後嵯峨天皇(院)

事実上の第一皇子で

鎌倉幕府6代征夷大将軍、

 

のち鎌倉幕府にとり、

ということは

北条さんたちにとってかな、

彼らにとり都合が悪くなり

 

謀反の嫌疑を掛けられ

帰京することになる人です。

 

 

東下以前、

後嵯峨天皇の事実上の長子

として誕生した時から

父には愛されていましたが、

 

幕府を憚った父院に義絶され、

帰京直後は

父との面会も叶わなかったとか。

 

(帰京2年後には父院の五十賀試楽に

 内々に出席しています)

 

 

 

彼は文永三年(1266年)七月に

京に戻ってきますが、

 

『中書王御詠』は

文永四年(1267年)に自撰し

為家に加点、加判を求めた

親王の家集、ということで。

 

 

「旅人の」について

 

「征夷大将軍の座を追われ

 失意のうちに帰京した親王の

 旅の歌を、後世

 佐渡に流刑となり、その後

 帰京した為兼が撰んだ」

 

という旨の文章を読みました。

 

(「平時の住居を離れて

 一時他所へ行くこと」が「旅」なので、

 将軍としての東下からの帰京も

 罪人としての配流も「旅」です)

 

その文章に従うと、

 

「旅人の」詠は帰京の途で、

または帰京ののち

『中書王御詠』の編まれるまで

の短期間で詠まれたもの、

ということなのかな。

 

 

「旅人の」の詠歌時期までは

調べておりません。

 

ただ、調べていないながら、

帰京後の詠だとして

納得できる気配は

この歌から感じられます。

 

失意や悲しみを

前面に押し出さない態度も

好ましいですね。

 

 

 

以前

『武士はなぜ歌を詠むか』

という図書を読んだのですが、

(「武士」の前提については

 私の捉え方とかなり異なりましたが、

 和歌についての部分は

 参考になりました)

 

征夷大将軍の座を追われた

のちの歌境について

しっかり述べられていた

記憶があります。

 

 

宗尊親王や今川氏真など

興味深い歌人が

扱われていましたよ。

 

よろしければ、こちらもどうぞ。

 

 

旅人のともしすてたる松の火のけぶりさびしき野ぢの明ぼの

 

 

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