【正月から読者を減らす方向にぶっちぎる回】イデアの話【第1章】 | わたる風よりにほふマルボロ

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。

 

 

クリスマスに一言も触れず

通常運転した梶間和歌ブログも、

 

さすがに年始ぐらいは

挨拶……

 

 

すると思いました?

 

 

 

いえ、挨拶はしましょう。

 

どんなに本文が通常運転でも、

挨拶ぐらいは、しますよ。

 

本年も、引き続き

よろしくお願いいたします。

 

 

 

さて、

本日の通常運転はイデアの話。

 

 

相変わらず

「怖い」と言われる記事に

なったかもしれません。

 

というか絶対になった。笑

 

 

ただ、私は

 

これを「怖い」と感じない方、

「そりゃそうよね」

「多少言葉はきついとはいえ

 言っている事はまっとうだわ」

と感じられる方に

このブログを読み続けてほしいな、

 

といつも思っております。

 

 

(こんな大晦日)

 

 

 

私の歌集を買ってくださる方の

ほとんどは、

 

梶間和歌や梶間和歌の歌論、

また和歌そのものに対する

良き理解者です。

 

寄せられるご感想にも

深い理解とリスペクトが

滲んでいて、本当に心地よい。

 

 

なかには、

「和歌のことは知らないけど

 和歌さんのことを応援したい」

と買ってくださった方もいます。

 

そういう方は、

しかし、謙虚ですよね。

 

自分は和歌に明るくない、

歌集の読み方の作法も

わかっていない、

 

という前提で読んでくださる。

 

だから、

送ってくださる感想にも

 

「わからないながらこう感じた」

とか

 

「もしピント外れだったら

 失礼ですが」

とか添えてくださいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどはね♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌集の「あとがき」の一部を

引用しましょう。

 

承認欲求の塊だった私は、詠歌を始めて半年で新古今和歌に出合い、衝撃を受けた。

誰かに承認されることを目的に生き、理解されようとして歌を詠む……なんてつまらない事をしていたのだろう! オナニーもいいところだ。

そんな事よりうんと楽しく、意味のある歌の詠み方がある。

すなわち、主張したがる自我のおもいを徹底的に削ぎ落とし、「詠むべきもの」をつかみ、「詠むべき形」に表すこと。

この世ならざる絶対不変の美のイデア「及ばぬ高き姿」の一端を、五感で認識できる形に下ろす――歌人であれば、三十一文字(みそひともじ)の歌の形に表すこと。

私を感動させた歌の作者である、藤原定家をはじめとした新古今歌人たちは、そうした営みにしのぎを削っていたのだった。

 

私は自詠から「我」を排除することを決めた。

仮に自分の経験を使うにしても、それは「使う」ものであり、経験や感情を表現することのほうを目的としてはならない。

そうしたがる自我の甘えを削ぎ落し、「詠むべき歌」を詠み続けることは、私にとり我慢や忍耐ではない。たましいの踊る営みだった。

新古今和歌との出合いからもうすぐ八年になる。

 

最初の歌集をすべて「成り代わり」の連作とする構成も、そうした詠歌姿勢からおのずと導き出された。

現代と過去を章ごとに行き来し、歴史上の、また物語上のさまざまな人物に成り代わって歌を詠む、現実や物語中のその人以上(・・)()その人らしく……。楽しかった。

お察しのとおり、いくつかの章には私自身をモデルとした作中主体もいる。

あくまでモデルであり、物語を最も美しくするために私のなかの特定の要素をデフォルメしていること、事実より真実の美を描くことを第一としていることは、ご理解いただきたく思う。

 

 

 

この太字部分を読んでいない、

読んだとしても理解していない

状態で書かれたと思われる

感想やアドバイスが

 

たまーーーーーに送られます。

 

 

それらを送ってきた方のことは

 

片っ端から出禁にしています。

facebookならブロックね。

 

 

梶間和歌読者である資格

ありません。

 

リスペクトがなすぎる。

ブログ読め。

ブログを読まないでも、せめて

自分の意志で買った歌集の

あとがきぐらい読め。

 

 

 

 

和歌も中世になれば、

贈答の歌や

一部の雑歌でもないかぎり

ほとんどが題詠です。

 

(そもそも贈答の歌が減ります)

 

 

中世和歌の題詠というのはね、

 

現代短歌の結社やサークル、

雑誌やテレビ番組で

募集されるような

 

「題は「月」です。

 「月」に関する短歌を

 自由に詠みましょう」

 

なんてものではありません。

 

 

「月とは何か」

 

「月の月たるゆえんは何か」

 

「月を最も月らしく表すには

 何を切り取り

 何を排除すべきか」

 

「月を

 月以上に月らしく表すことは

 できないのか」

 

といった“月のイデア”の探究が

 

中世和歌の題詠です。

 

 

「歌のなかに「月」が入っていれば

 OKですよ」

 

とかいう現代短歌の題詠は

あくまで現代短歌の題詠です。

 

それに意味がない

とは言いませんが、それは

従来の“題詠”とは別物。

 

 

 

古典の世界、中世和歌の題詠は

そんな甘っちょろいものでは

ありません。

 

イデアの探究、

その表現の可能性の追究

ですよ。

 

 

というところで

今日の記事は一度区切ります。

 

ますますヒートアップする

続きの記事は

明日の掲載をお待ちください^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも応援ありがとうございます。

 

それぞれの及ばぬ高き姿を

それぞれ追ってゆきましょうね!

 

 

引き続き、応援

よろしくお願いいたします^^

 

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それでは、またね。

 

 

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梶間和歌の評論の掲載された

『短歌往来』2020年4月号

 

「現代短歌社賞」応募作8首抄

掲載された『現代短歌』1月号

 

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