大切な人の死に甘えない。~岩佐美代子『京極派歌人の研究』~【歌の詠み方】【後編】 | わたる風よりにほふマルボロ

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。

 

 

友人主催のオンライン読書会の

先週分のレビュー記事です。

 

そこからだんだん

コラムのようになってきていますが。

 

【前編】【中編】

まずお読みくださいね。

 

 

 

 

【中編】でリブログした哀傷歌の

その人が亡くなったのは、

2009年だったかな。

 

なので2013年、14年というと

5年ぐらいは経っていますね。

 

 

そのころには、

私が2012年に衝撃を受けた

新古今和歌が題詠である

ということも学んで知っていました。

 

なので

事実ベースの歌を詠むことは

おのずとなくなりました。

 

事実ベースの哀傷歌も

2014年のあの賞が

最後ではないかな。

 

 

 

けっきょく、事実ベースだろうが

状況設定した歌だろうが、

良い歌を詠めば

それにこそ価値がある。

 

 

良い歌か否かは、

事実か否か

とは関係ない。

 

 

題材が何であっても

揺るぎない技巧と

 

題材そして技巧に負けない

研ぎ澄ました心と

 

が、歌の出来を担保する。

 

(それを評価する目を持った読者に

 恵まれるかどうかは、別問題ですが)

 

 

 

そうして私は

永福門院の辿ったのと

同じ道を辿ります。

 

 

ただただ、心を鍛える。

 

透きとおった、あるべき形の心に

こびりついた不純物を

削ぎ落とし、

あるべき形に近づけてゆく。

 

 

その傍ら、勉強もしますし

技術も磨きますし、

古典和歌に限ればその程度は

人一倍だったでしょう。

 

が、それはあくまで2割。

 

8割は、

 

心にこびりついた不純物を

削ぎ落とし

詠むべき歌と手を握ることに

尽力しました。

 

 

そうして、

「あいつは成り代わりばかりだ」

(良くも悪くも)言われる

私の歌風に至りました。

 

そんな私を

「いいね」と言ってくださる方の

増えているのが、この1年強。

 

 

 

哀傷歌を詠むくらいですから、

2009年に亡くした人は

それはそれは

大きな存在でしたよ。

 

最初の数年は、私も

感情に負けていました。

 

 

感情を歌のために使うのではなく

 

歌を感情のために

使ってしまっていた。

 

 

それを

「愛しているからこそだ」

なんて勘違いしていた。

 

 

そういう自身の幼稚さに

嫌気が差すのと前後して

 

個人的な感情表現を一切しない

新古今和歌と出合えたことは、

 

ただただ、幸運でした。

 

 

 

その時には

わからなかったけれど。

 

個人的な感情表現を一切しない

歌を詠むこと、詠もうとすることは

 

大切な人を亡くした心、

またその他

思うようにいかない事が多く

思うところの多かった心に

 

何よりの薬として働きました。

 

 

個人的な感情なんかより

うんと価値あるものがある。

 

この世のものではない、

絶対に追いつけない、

でも追う価値のあるものがある。

 

それを追っていれば、

どんなに傷ついた心も

おのずと

喜びを取り戻しているのだ。

 

 

 

哀しくないわけじゃない。

ただ、

 

哀しいだけではないよね、

愛していたよね、

いま愛しているよね、

 

という

もっと大切な気持ちとともに

その人のことが思い出せる。

 

 

思い出すというか、

 

ともに生きるという感じ。

 

思い出さないよねw

忘れる時間がないからw

 

 

参照

思い出すには、一度

忘れている状態が必要である

 

 

 

あの時もし新古今ではなく

『古今集』や『万葉集』に

出合っていたとしたら、

 

自分以外の誰の心にも訴えない

自己満足の哀傷歌を

詠み続けていたのかなあ。

 

 

いや、

自己満足しかできない自分に

飽き飽きしていたあのころ、

 

仮に『古今集』や『万葉集』に

先に出合っていたとしても

 

「和歌ってつまんないな」

と見向きもしなかったかも

しれませんね。

 

 

それは、

和歌がつまらないのではなく

自身の感情表現に躊躇しない

『万葉集』『古今集』が

つまらないだけなのだけど、

 

初対面がそれでは、

そうしたところまで

わからなかったでしょうから。

 

 

なんにしても、ラッキーだったな。

 

 

 

大切な人を亡くすことが

どうでもよいわけではない。

 

 

ただ、

自己満足で歌を詠んでいる

わけではない自負があるならば、

 

歩むべき道を歩むことを

いつかは選ぶのでしょう。

 

 

その過程で、気づいたら

 

「そんな事もあったなあ」

「そんな事に囚われていたなあ」

と振り返る自分

 

になっているでしょう。

 

 

歩むべき道を歩むならば、ね。

 

 

それでは、またね^^

 

 

【前編】

【中編】

 

 

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