二次元はすばらしい。~岩佐美代子『京極派歌人の研究』~【後編】 | わたる風よりにほふマルボロ

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。

 

 

友人主催のオンライン読書会の

今週分のレビュー記事の

続きを書きますね。

 

昨日の記事は

こちらの【前編】をお読みください。

 

 

 

 

愛し合っているだけで

良い歌が詠めるわけではない。

 

 

京極派というグループで

切磋琢磨しても、

 

全員がパートナーと

愛を育むわけではないし、

 

全員がふっくらした歌を詠む

人間性を育むわけではない。

 

(鋭い和歌や張り詰めた和歌、

 和歌の魅力もそれぞれだし)

 

 

天皇と中宮(正式な奥さん)

愛し合って労わり合って

生きること自体が奇跡的、

 

 

さらにそのふたりが

伝統的、主流派の

二条派ではなく、

 

自らの心に誠実であろうとする

異端的な京極派の和歌を

選んだことが

またさらに大変な奇跡。

 

 

詳しくは語りませんが、

 

いくつもの(危機を含む)奇跡が

あってこそ、

私たちはこのふたりの和歌、

特に永福門院の秀歌を

現在目にしているのだなあ、

 

と思うと感無量です。

 

 

 

永福門院は

伏見院の死後25年生きました。

 

夫の生前の

永福門院の恋歌より

彼女の晩年の恋歌のほうが

格段に優れていることは、

研究者や愛読者の総意です。

(あくまで題詠であることが前提)

 

 

ということで、

この章の最後の部分を

引用しますね。

 

 

>美しく生きた人の生は、

>その死によって更に浄化される。

>

>追想の中の伏見院は、

>現実の姿よりも一そう美化され、

>その愛情と期待もまた

>現実のそれよりも

>はるかに高次のものとして、

>永福門院の心の中に

>定着したに違いない。

>

>かくて伏見院の志は、

>歌道についても

>皇統内の団結についても、

>その生前より

>はるかに純粋な形で、

>永福門院によって

>達成されたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論:二次元最高。

 

 

 

結論でウケに走った感じも

ありますが、結論も本音。笑

 

 

和歌というのは

(それが全員できたわけでは

 ありませんが)

 

イデアを追究するものですからね。

 

 

三次元で経験した事や

 

自分は経験していないけれど

物語や人の話から擬似体験した事、

 

頭のなかで巡らせる想像、

 

 

そうしたすべてを手掛かりに

 

別次元にある

詠むべきイデアに到達し、

 

それをつかみ、

純度をなるべく下げずに、


その一端でよいから

三次元に降ろす。

 

 

 

という営みを、

 

新古今時代の人たちは

新古今時代歌人なりに

 

京極派の人たちは

京極派歌人なりに

 

それぞれの純度でおこなっただけ。

 

 

それを怠った人たちが

つまらない歌を残しただけ。

 

たとえその時代で

評価されていても、ね。

 

 

「二次元最高」は

あながちウケ狙いでもないのです。

 

三次元に囚われている

現代短歌の皆さんには、

ウケ狙いとしか

読めないでしょうけれども。

 

 

 

それでは、またね^^

 

 

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