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2021年1月分アップしました
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いつしかと汀(みぎは)ちかづく波の音に春風しるき志賀のあけぼの
藤原有家
三百六十番歌合春16
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
小夜ふくるままに汀や凍るらむ遠ざかりゆく滋賀の浦波
快覚 後拾遺和歌集冬419
氷ゐし志賀の唐崎うちとけてさざ浪よする春風ぞ吹く
大江匡房 詞花和歌集春1
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づるありあけの月
藤原家隆 新古今和歌集冬639
「いつしかと」は
「三百六十番歌合」中の一首。
この歌合は、序文によれば
正治二年(1200年)八月二六日
成立。
ですが、
建仁元年(1201年)二月
「老若五十首歌合」、
同年三月「新宮撰歌合」の歌も
含んでいるとのことで、
歌合の一応の完成が
正治二年八月、
完全な形での完成は
建仁三年三月以降と考えられます。
こういう事例はありますよね。
『新古今集』の事例など有名です。
『古今集』成立から
ちょうど300年後、
当時の価値観だと
「300年」ではなく
「60年×5周期」でしょうか、
元久二年(1205年)三月二六日に
『新古今集』の完成を祝する
竟宴がおこなわれました。
が、
その後激しい切り継ぎ
(いったん入った歌が削除されたり、
新たに詠まれた歌が
入れられたりすること)
がおこなわれ、
承元三年(1209年)六月一九日に
再び完成、
それに少し補訂したものが
翌四年四月二五日に完成、
披露され、
それが流布していった、とされます。
従来は建保四年(1216年)の
源家長の記録が
『新古今集』の完成形
とされていましたが、
これは資料の価値の捉え方が
誤っている、
建保四年の家長の記録を
「集の完成を記したもの」
と捉えるべきではない、
と現在ではされている、
というふうに記憶しています。
すみません、
きちんと覚えていないのですが、
手もとにある田渕句美子氏の
こちらには
承元三年(一二○九)に再び完成に至って、四年に少し補訂されて、流布していったと見られる。
とあるので、
同じ田渕氏の
こちらで詳しく
「家長の記録は
新古今完成の記録ではないよ」
と検証されていたのではないか、
と思います。
もし違ったらごめんなさい。
『新古今集――後鳥羽院と…』
のほうも欲しい……
手もとに置きたい……。
話がそれました。
このように、
これこれの一応の成立は
何年ですよ、
ですが
私たちのいま見ている形に
なったのは
どうやら何年らしいですよ、
という例はちょこちょこあります。
日本社会には、実情(……である)より
当為(……であるべきだ、であるはずだ)
を重視するところがありますし、
完成を祝う竟宴を
然るべき年月日に執りおこなえば、
実際の完成はずれ込んでもOK、
ということなのでしょうね。
当為と実情については
歴史家の本郷和人先生の
数々の著作に詳しいです。
そのおかげで、
昔からどうにも理解しにくかった
日本史のあれこれが
すんなり腑に落ちました。
こちら、その一部です。
ご参考までに。
いつしかと汀ちかづく波の音に春風しるき志賀のあけぼの