京極為兼 足引の | わたる風よりにほふマルボロ

わたる風よりにほふマルボロ

美しい和歌に触れていただきたく。

♪゜・*:.。. .。.:*・♪♪゜・*:.。. .。.:*・♪
リーディング短歌書き下ろしサービス

リニューアルしました。

 

『源氏物語』を題材に心理学講座を開催。

第13回講座は本日

オンラインで予定しています。

その後のスケジュールはこちら

♪゜・*:.。. .。.:*・♪♪゜・*:.。. .。.:*・♪

 

 

春たつこゝろをよめる
 
足引(あしびき)の山のしら雪けぬが上に春てふけふは霞たなびく
 
京極為兼
風雅和歌集春上1
 
 
【口語訳】
 
ああ、山の白雪のまだ消えぬその上に
春を迎えた今日は霞がたなびいている。
 

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

足引の:「山」を導く枕詞。

 

けぬが上に:消えないその上に。

 

春てふけふ:春という今日。

 「てふ」は「といふ」の変化した語で

 平安時代以降和歌に多く用いられる。

 

霞:立春を迎えると霞がたなびくもの

 として和歌では詠まれる。

 
*:..。o○ ○o。..:**:..。o○ ○o。..:*
 
京極派和歌は
従来の和歌の約束事に囚われず
自然も心も丁寧に見つめ
緻密に描写している、と言われますが、
 
だからといって
和歌の心を捨て去ったわけではなく。
彼らは皆
旧来の二条派的な和歌を詠む技量も
持っています。
 
そのうえで、
贅肉のように蓄えられたものを削ぎ落とし、
残すべきものは残し、
必要ならば
和歌では避けられてきた言葉や歌題も
積極的に用い、
必要ならば旧来の和歌の約束事も
必要だから取り入れる。
 
伝統を無視したわけではないです。
伝統を踏まえて乗り越えたのが
京極派和歌です。
 
 
勅撰和歌集の巻頭を飾る
京極派和歌のおおもとである為兼の歌に
「立春になれば霞が出る」という
和歌の約束事が用いられていること。
 
興味深いではないですか。
「立春になったからといって
 必ずしも霞が出るとは限らない」
と疑う姿勢も
彼らは持っていたと思いますが、
けれども立春の歌というのは
挨拶の歌の要素もあるわけで。
 
その挨拶の心、
暦や自然、和歌の伝統に対する
敬意というものがあったからこそ
為兼はこのように
約束にある程度のっとった立春の歌を詠み、
その歌が彼の死後
やはりそうした敬意を以て編まれた
『風雅和歌集』の巻頭歌に選ばれたのでは。
 
*:..。o○ ○o。..:**:..。o○ ○o。..:*
 
『風雅和歌集』をとうとう買いましたキラキラ

 

これで手元にはバイブルが3冊揃いました。

今後のブログ更新も楽しみです^^