(人間のなすべきことは、何でしょうか。できることは何でしょうか)
そもまた始めの問いならん。
幾度も教え、示ししを。
神の望みし人への行は、偏(ひとえ)に感謝と謙遜、昇華。
そのみを望みて待ちておらるる。
(でも、人類の全てが変わることは、永遠に不可能に思われます。人類の何%ぐらいが変われば、神様は封印をお解き下さるのでしょうか。また、封印を解かれたとき、どのようなことが起こるのでしょうか)
神の心に適(かな)いし数は、人の全ての精進努力。
なれば人の一人たりとも、変わらぬならば、何も起こさず。
神の心に妥協はあらず。
神の認める人の昇華を、全ての人類、生あるものが、果たさぬ限りは、神は許さず。
神の認める精進努力、神に捧げる奉仕と謙譲。
豊かな愛と誠の感謝。
一人一人が変わらぬうちは、何をなせども、無駄なこと。
神の決断、采配は、人の勝手な解釈求めず。
ただに受け取り、委ねるのみ。
封印解きし後に起こるは、先ずはこの世の浄めと浄化。
次元上昇その前の、全ての不浄を浄め去ること。
なればそのとき汚れし者は、自ずと消され、残ることなし。
神の厳しき禊ぎに耐えて、神の認める魂のみが、神の浄めに耐えうるなれば、封印解くは恐ろしきこと。
あだや人の知恵や力で、神の封印解くは能わず。
真の封印解き得る者は、この世の人の全ての祈りが、神に通じて、届きし後に、神自らの決断により、全てが変わりゆくものなれば、人は焦らず待つことをのみ。
さにて心を浄め高めて、神の禊ぎに備えることのみ。
己一人が助かるようにと、願う汚れを改めるべし。
神の禊ぎは厳しきもの。
ことばの封印解かれし後には、ことばは元の言霊持ちて、汚れしことばを使う全てを、厳しく禊ぎて、許すことなし。
なれば今よりことばを改め、清らなことばを、正しきことばを、広げて禊ぎに備えゆくべし。
(ことばの封印と「いろは」とは、どのような関係があるのでしょうか)
ことばの封印解くことば、祈りが「いろは」に込められし意味。
なれば「いろは」は浄めを進め、神の禊ぎに耐えうるための、神の祈りを表すものなり。
なれば「いろは」の書も然り。
文字の光は人を浄めて、封印解かれし後の禊ぎも、きつき禊ぎとならぬためなり。
(人間が「いろは」を唱えることには、意味があるのでしょうか)
ことばの持ちし霊力により、唱える者の魂浄め、神との波長を合わせゆかん。
なれば「いろは」を感謝を込めて、唱えることも、昇華とならん。
(よくわかりました。ありがとうございました)
~続 神誥記 :今日の話題社: (2005/03)ひふみ ともこ より~
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