正義のために悪を滅ぼそうとする人間の闘い | 2019R01のブログ

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神から人へ。人から神へ。

 

教えゆくべきこと教えん。

 

教えて残すことを伝えん。
 

なればそなたも早急に、広げてゆけよ。配りてゆけよ。

 

多くの人の手元に届けよ。

 

家々までに行き渡らせよ。
 

さにて本日、何を問うや。

 

(正義のために悪を滅ぼそうとする人間の闘いを、神は喜ばれないのでしょうか。例えば、悪徳商法の企業や宗教を、取り締まることや、被害を訴えることは、善くないのでしょうか。人間心の正義はときに、神様のお邪魔になるとのことですが、神様の喜ばれる正義とは、何でしょうか)


さても一度に多くを問うなり。

 

なれど答えん、許さる限り。
 

答え適(かな)わぬ、残りし問いは、明日にも再び問うがよからん。


では先ず答えん。

 

悪を罰することについて。

 

悪とはそもそも人の我欲よ。

 

全く我欲のなき者はなし。
 

全ての人に備わりて、己の行い支配せん。

 

なれど修行や精進により、我欲を弱め、なくしてゆくもの。


なれど多くの人間 衆生(しゅじょう)は、我欲を消し得ず、我欲に使わる。

 

なればそれらの我欲を消して、素直に従い、自由に生きる。


そが願いなり、祈りなり。

 

神の求むる昇華(しょうげ)なり。

 

そに反するは、全て悪なり。

 

神の心に適わざること。
 

何故(なぜ)とならば、正義というも、その根本には、己の我欲や義憤偽善(ぎふんぎぜん)、独善なるも潜(ひそ)まざるや。


さなる己の自己満足の、正義は要らぬ。

 

かえりて汚れよ。
 

素直に生きる、神の子ならば、悪徳業者と出会いても、直ちに気付きて、離れるがよし。


己の被害も一つの戒め。

 

早くに正し、遠ざかるべし。

 

自(みずか)ら罰することは要らず。

 

自(おの)ずと正され、諌められん。


全ての人が気付きなば、悪はなくなり、滅びてゆかん。

 

被害者なるも、加害者なり。

 

ときに傷つけ、害を与えん。
 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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