神から人へ。人から神へ。
教えゆくべきこと教えん。
教えて残すことを伝えん。
なればそなたも早急に、広げてゆけよ。配りてゆけよ。
多くの人の手元に届けよ。
家々までに行き渡らせよ。
さにて本日、何を問うや。
(正義のために悪を滅ぼそうとする人間の闘いを、神は喜ばれないのでしょうか。例えば、悪徳商法の企業や宗教を、取り締まることや、被害を訴えることは、善くないのでしょうか。人間心の正義はときに、神様のお邪魔になるとのことですが、神様の喜ばれる正義とは、何でしょうか)
さても一度に多くを問うなり。
なれど答えん、許さる限り。
答え適(かな)わぬ、残りし問いは、明日にも再び問うがよからん。
では先ず答えん。
悪を罰することについて。
悪とはそもそも人の我欲よ。
全く我欲のなき者はなし。
全ての人に備わりて、己の行い支配せん。
なれど修行や精進により、我欲を弱め、なくしてゆくもの。
なれど多くの人間 衆生(しゅじょう)は、我欲を消し得ず、我欲に使わる。
なればそれらの我欲を消して、素直に従い、自由に生きる。
そが願いなり、祈りなり。
神の求むる昇華(しょうげ)なり。
そに反するは、全て悪なり。
神の心に適わざること。
何故(なぜ)とならば、正義というも、その根本には、己の我欲や義憤偽善(ぎふんぎぜん)、独善なるも潜(ひそ)まざるや。
さなる己の自己満足の、正義は要らぬ。
かえりて汚れよ。
素直に生きる、神の子ならば、悪徳業者と出会いても、直ちに気付きて、離れるがよし。
己の被害も一つの戒め。
早くに正し、遠ざかるべし。
自(みずか)ら罰することは要らず。
自(おの)ずと正され、諌められん。
全ての人が気付きなば、悪はなくなり、滅びてゆかん。
被害者なるも、加害者なり。
ときに傷つけ、害を与えん。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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