(四方の神様と四十八(よとや)の神様とは違うのですか。また、先日は「光の神」「ことばの神」でいらっしゃいましたが)
神の教えし神々とは、死の神、地の神、火の神、水(み)の神。
なれど、光は、火の神ならん。
ことばも全ての神なれば、水の神とて、ことばの一つ。
ことばがありて、物質作られ、物質全てが、働きあるなり。
人との関わり深き神なれ、いずれも尊き神々さまなり。
ことにも死の神、地の神は、この世の生死に関わる神なり。
死は生の終わりなり。
この世に生まるは、土の中から、土もて、生は養われん。
火(日)もまた、生の勢い表し、土は日を浴び、光を浴びて、さらに肥沃(ひよく)に、恵みを宿さん。
水も体の基本にあれば、水なき肉体、即ち死なり。
死とは全ての生命と、肉体持ちし全ての生物、そと切り離せぬ、縁深きもの。
なれば死さえも、恐るるなかれ。
死とは、水の枯れしとき、否応(いやおう)なしに訪れん。
大地も水が失われしとき、その生命を終えてゆかん。
火もまた然(しか)り、水なくば、燃えることさえ適わぬ力。
なれば死とは全てと関わり、全ての生の終わりにあるもの。
なれば、地の神、火の神、水(み)の神、全てが死の神、裏表なり。
ことばの神とて、同じこと。ことばの神こそ、全ての神なり。
ことばは生の神ならん。全てのものの始めにありき。
ことばのなきもの、生もなし。
さにて本日、多くを伝え、教えしことをよく考えよ。
(四方の神について、先日の私のお聞きしたことは、私の聞き間違いとして訂正し、皆さまにご報告した方がよいでしょうか)
さなり。
なれど間違いならず。
神の伝えは、解釈次第。
水の神とて、間違いならず。
ことばの神と申ししことも、誤りならず。正しき伝え。
四方の神とは、この世の原理を表す神の意味なれば、ことばの神にて、全ては表れ、現実世界は治まるものなれ。
水の神とて、一つの例え。
現実世界を治める根本。
そを表すなれば、よく考えて、何故、四方の神なるかを、おのおの考え、汲み取ればよし。
全ては元は、同じなれば、そのときどきの小さき差異に、神経使わず、広く捉えよ。
次元の違いは致し方なし。
この世の次元で、捉えんとして、かえりてあやまち、つまずくなかれ。
さにて。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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