神に頼りて、己れ努力せず。 | 2019R01のブログ

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人から神。


人から神に伝え、捧げ、祈る祈りと、感謝の心は、その者を浄め、その者を高めその者の周囲をも救い、その者の家族、知人友人、関係ある方々の全てを浄めゆくことが可能なり。


なれば、人は、神に捧げる 感謝の心も厚く、神に祈る 祈りにも心込め、おのが我欲、我執、我妄に囚(とら)われぬ、浄き祈りを捧ぐることが大切なり。重要なり。必要なり。


なれど、人の多くの祈り、奉納、感謝の中には、不純物多し。

 

汚れ多し。迷い多し。偽(いつわ)り多し。
 

神に頼みて、己れを糺(ただ)さず。

 

神に頼りて、己れ努力せず。

 

ただ神に任せ、己れ振り返らず、神に全てを押しつけ、そをもちて、神に委ねしとぞ申す。

 

真(まこと)、厚かましく、おのが勝手の表れなり。
 

なれど、人はそれにても、許さるる。救わるる。与えらるる。


神は人の弱さ、脆(もろ)さ、儚(はかな)さ、愚かさ、全てをご承知なれば、多少の過ち、失敗も、多くは見過ごし、見ぬ振りなさりて、次の機会を、次なる精進を、お待ちになられる。見守りなさる。期待なされる。
 

なれば、人は、一に感謝。二に感謝。
 

神に祈りと感謝を捧げ、神の許さるる行を行い、ただひたすらの思いを高め、おのが我欲を取り去るよう、おのが執着消しゆくよう、努力と精進、傾けるべし。磨くべし。高めるべし。


神は、人の強き欲望、人の頑(かたく)なな執着、人の深き迷要を、全てお見通しであられるなれば、多少の迷いも、多少のごまかしも、ときに見過ごされ、ときに許され、ときに諌められ、ときに戒めを お与えになられよう。


なれど、その中に秘められたる ご神意は、人の真の感謝と精進、人が己れの行を通じて、おのが欲望に打ち勝つの強さ、おのが執着を 振り切るの強さ、そして、おのが我を一つ一つ消しゆきて、ついには神の心に近付き、神の真の手伝いし得る、さなる魂となりて欲しきの み心なり。


なれば、人は、神の愛、神の許しに甘えることなく、神の期待を裏切ることなく、神に仕えることを望み、さらなる精進、さらなる昇華を、神に誓い、約束せんかな。


おのが一人の生にあらず。

 

おのが一人の行にあらず。

 

おのが一代のこの世ならず。
 

ゆきゆきて、繰り返さるるが、人生なり。

 

魂なり。修行なり

 

 

 

 

 

 

 

 

~神から人へ〈上〉 :今日の話題社: 新版 (2003/09)ひふみ ともこ より~

 

 
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