「ハイ! ハイ! ハイ!
夜はこれからでしょー?
目がトロンとしてるわよ!
みなとセンセ!」
手をパンパンと叩きながら、
キャットウォークでキッチンへ向かう。
数秒後。
淹れたてのブラックコーヒーが、
湊の机へ置かれた。
アシスタントのリュウさん。
衣装担当だ。
湊の描く作品は、
ただ女の子をエロく描きたいわけじゃない。
女の子の孤独や理想を、
服ごと描いている。
その世界観を、
リュウさんの描く衣装が
さらに際立たせていた。
繊細なレース。
パニエで大きく広がったスカート。
幾重にも重なった布の空気感。
女の子が動くたび、
裾がふわりと揺れる。
その躍動感まで、
リュウさんは異様な執念で描き込んでいた。
ただ可愛いだけじゃない。
“こういう服を着れば、
違う自分になれるかもしれない”
そんな女の子の願望まで、
服へ縫い込まれている気がした。
「やめなよ。
そのゲイバーみたいなノリ」
苦笑いしながら
コーラを飲んでいるのは、
背景担当の梶さん。
地下鉄。
駅。
南郷通を走る車。
札幌の生活感を描くのが、
異常にうまい。
ダンガリーシャツの袖をまくりながら、
梶さんはぼやく。
「…っかし、
さっきから液タブに
手ぇ張り付くなぁ……
なまら暑くねぇか?」
そう言いながら、
頭に巻いた赤いバンダナを
ぐいっと巻き直した。
「ゲイバー!?」
リュウさんが振り返る。
「アタシは
ただのゲイじゃないの!
ロリータに命かけてんの!
女装家としても、
“碇みなと。”のアシとしても、
いつだって本気なんだから!」
「ありがたや……」
湊は、
ふざけてリュウさんを拝んだ。
「あらやだ!
私が仏像に見えたのかしら?」
梶さんが、
コーラの缶を
ペコペコ鳴らしながら言う。
「リュウさんってさぁ、
その坊主頭と、
狸みたいに出っ張った腹のせいで、
なんか神様っぽいよね」
「なによそれ!」
「あ、たしかに」
湊も笑う。
「七福神の……
誰かにいそう」
「布袋さんじゃない?」
梶さんが即答した。
「お腹撫でると
ご利益あるやつ」
「やだぁ〜」
リュウさんは、
開き直ったように
自分の腹をさする。
「撫でたくなったら、
いつでもよろしくてよ」
そう冗談を言いながら、
甘いカフェラテの入った
スタバのカップへ口をつけた。
「リュウさん、
カフェラテは
一日一杯までね」
湊が言う。
「わかってるってぇ。
……しっかしさぁ」
ディスプレイを見ながら、
リュウさんは言った。
「みなとセンセ、
またこういう
危なっかしい女を主役にすんのね」
「え?」
「だって、
ストーキングして
人んち覗くんでしょ?
この子」
そして、
ニヤッと笑う。
「好きよねぇ。
今にも壊れそうな女」
その瞬間。
湊の頭に、
透子の横顔が浮かんだ。
細い肩。
少しほつれた髪。
どこか危うくて、
目が離せなくなる。
「……今は、
仕事に集中しよう」
浮かんだ透子を、
頭の中で描き消す。
湊は、
作業部屋を見渡した。
液タブの熱と、
男三人分の体温がこもった部屋。
資料用の漫画。
札幌市指定の黄色いごみ袋。
中には、
セコマのホットシェフの空き容器が、
きちんと分別されて入っている。
壁には、
リュウさん私物の
『下妻物語』のポスター。
ピンクの日傘を差した
ロリータ姿の深田恭子が、
こちらを見ていた。
ロリータ雑誌の山。
窓際には、
梶さん専用の灰皿。
冷房はついているのに、
部屋は妙に蒸し暑い。
リュウさんは糖尿病で、
時々検査入院することがある。
梶さんは頚椎症で、
作業が長時間に及ぶと
首の奥に引っかかった痛みを振り払うように肩を回していた。
湊が若くして
漫画家として成功できたのは、
優秀なアシスタント達の存在が
あったからだ。
コロナ禍以来、
アシスタントと別々の場所で
作業する漫画家が増えた。
たぶん、
今ではその方が普通なのかもしれない。
でも湊は、
あえて顔を合わせるやり方を選んだ。
F田先生の現場で
アシをしていた頃。
コロナ禍で
リモートワークになった途端、
描いても描いても
リテイクが返ってきた。
言われた通りに描いたはずなのに。
修正。
また修正。
さらに修正。
気付けば、
現場を離れていったアシもいた。
リテイクは、
なるべく減らしたい。
それに。
こうして同じ部屋で
くだらない話をしながら描く時間が、
湊は案外嫌いじゃなかった。
漫画家は孤独だ。
液タブとディスプレイ。
毎日、
同じ景色。
先日のインタビューでは、
「家族を持つつもりはない」
「将来なんて考えてない」
そう答えたけれど。
夜中。
ふと、
理由のわからない不安に襲われることがある。
自分を社会につなぎ止めているものが、
漫画しかない気がして。
もし漫画がなくなったら。
もし連載が終わったら…。
体を鍛えれば
心も強くなるかもしれない
不安を払拭するように
筋トレに励み、自宅用の懸垂バーでひたすら懸垂。
懸垂の回数は増えた。
周囲からは
「いったい何者ですか?」
と聞かれるほど
体も逞しくなった。
けれど、
未来への恐怖だけは
一回も持ち上がらなかった。
だから湊は描く。
余計なことを考えなくて済むほど、
夢中になれる瞬間を求めて。
やがて、
湊はゾーンへ入っていく。
ペンを持つ手。
ディスプレイを見つめる瞳。
まるで誰かに
操られているみたいに。
湊は、
夢中で描き続けた。
📢【更新予定】📢
📖 6月13日㈯22時
第19話 母親失格?悪いのは私なの?
📖 6月14日㈰22時
第20話 退廃する女に惹かれる理由
📖 6月19日㈮22時
第21話 結婚と生理的な閉塞感
📖 6月20日㈯22時
第22話 あの頃の息苦しさだけは、思い違いなんかじゃない
📖 6月21日㈰22時
第23話 ペールエールとあなたの香り
