RisaのDreams come true... -2ページ目

不思議な誕生日

今の現状は過去に知っていた?

出産のこと(後編)

こんにちは、risaです。
 
今回は、前回の出産のことについての続編、2人目の出産経験について書こうと思います。
 
日本では、
予定帝王切開というと、
お医者さんが日程を決める病院が多いのでしょうか。
それも、出産予定日から随分前に決めるのでしょうか。
 
アメリカ(というか私が通っていた病院)では、
先生にもよるようですが、
通常、出産予定日の1週間前あたりに、
予定帝王切開の日程を調整する場合が多いようです。
 
ですが、私の先生は、
私が帝王切開ではなく、自然分娩を希望している、ということを理解してくださっていたので、
出産予定日のギリギリまで、赤ちゃんが自分で出てくるかどうか、待ってみよう、ということになりました。
 
自然分娩を希望したのにはいくつか理由がありました。
1つは、赤ちゃんが自分の意志で、自分の準備が整った時に出てきて欲しいということ、
帝王切開より自然分娩のほうが、私自身の回復も早いだろうと思ったこと、
そして、やっぱりあの恐怖の帝王切開の経験を、またしたくなかった、ということ。
 
やっぱり、3番目の理由が、一番強かったです。
 
1度経験しているから、もうわかってはいるものの、
それでもやっぱり、怖い。
 
そして、担当医の先生は、予定日までであれば、いつでもいい、と、日程を私に選ばせてくれました。
 
どの日が一番いいのだろう、と、よく当たる性格占いで調べたりしていると、
予定日がまさにとってもいい日のようで、
結局予定日に、帝王切開の手術の予定を、入れてももらうことにしました。
 
結局、赤ちゃんは予定日よりも急ぐことなく、自分の意志では出てきませんでした。
 
そして、帝王切開手術当日。
 
娘を日本から来てくれた両親にお願いし、主人と病院に向かいました。
 
大丈夫だよ、と、主人は私を励ましていてくれていたんだと思います。
 
気持ちは比較的落ち着いていていました。
まずはモニターで私の心拍数、赤ちゃんの心拍数を図るところからスタートし、
確か12時間位何も飲まず食わずなので、IVの点滴が入り、
手術の準備を進めていくことに。
 
服も全部着替えて、いざ手術室に向かいました。
もちろん、病院に着いた時から、主人もずっと一緒です。
手術室に入ると、冷房がガンガン冷えていて、
ペラペラの病院の服しか身につけていない私は、もう寒くて寒くて。
 
寒かったからなのか、あの恐怖が蘇ってきたのか、
もうガクガク震えが止まりませんでした。
 
麻酔師の人が、背中から脊髄麻酔を入れて。
それも前回、2、3度刺し直されたような気がします。
でも、今回は1度だけ。
すっごい痛かった記憶ですが、思ったよりは痛くありませんでした。
 
これで麻酔が効く。
そのはずなんだけど、今回はどうなんだろう。
そんな思いでいっぱいで、私の顔は放心状態だったと思います。
 
でも、最近の音楽が流されていて、
室内にいる医師たちは普通におしゃべりを楽しんでいるようで、
前回の雰囲気とは明らかに違いました。
 
前回は、緊急帝王切開だったこともあり、
おしゃべりしている人などおらず、緊迫した雰囲気でした。
音楽など流れておらず、
さらに麻酔が完全に効かずで、慌てる麻酔師、叫ぶ患者、
 
今回は、ジャスティンビーバーのLove Yourselfが流れていて、
医師たちは、コスコの話をしていました。
手術始まるんだよね?そんな話してて、この人たち、大丈夫なんだろうか?と、
ちょっと不安になった位ですが、
きっと、患者を落ち着かせるために、わざとやっているんでしょうか。
 
麻酔は今回すぐに効いたようで、足の感覚はすぐになくなり、
助手の人たちに足を持ち上げられて、ベッドの脇に座っている姿勢から、
ポトッと落ちるような感じでベッドの上に寝ました。
 
音楽はいつの間にか消えていて、
麻酔師の男性が、少し大きな声で、私の名前、帝王切開の手術を始めます、というようなことを皆に告げました。
でも、テレビで見るような、医師たちに緊迫した雰囲気は全くなく、
むしろまだコスコの話を続けていたような気がします。
 
一体、いつになったら始まるんだろう、と思いつつ、多分ぼーっと天井を眺めていたんだと思います。
しばらくしてから、ホースで水を吸っているような音が聞こえたりして、
ん?と思って、目の前のカバーについている小さな窓から術中の様子を少し除いてみると、
血液らしきものがホースを通っていました。
 
そこで初めて、隣にいた主人に「手術、始まってるの?」と聞きました。
 
どうやら、しばらく前から始まっていたらしく、
今回は、いつお腹を切られたのか、全くわかりませんでした。
 
何ーーーーにも感じなくて、本当にびっくりしました。
やっぱり前回は、本当に麻酔が効いていなかったんだと、改めて思いましたが、
今回はしっかり効いているということを実感し、
そこで、私は今までずーっと持っていた出産という恐怖から
95%位、解放されたような気がします。
もしかしたら、100%だったのかもしれません。
 
あとは、赤ちゃんが元気な姿を見せてくれれば、それだけでいい。
 
胸あたりにものすごく息苦しいプレッシャーを何度か感じ、
そしてそれが一番強くなった瞬間、バンっと大きな音がして、
出てきたんだな、とわかりました。
 
そして、5秒後位に、大きな泣き声が聞こえました。
 
2度目の出産にして、初めて聞いた、赤ちゃんがこの世に生まれた時の、第一声。
 
やっと聞けた。
 
どれだけこの声を聞いてみたかったことか。
 
もう瞬時に涙が出て、止まりませんでした。
 
私はずーっと意識があった。
 
すべてを知ることができた。
 
1人目を出産する時も、赤ちゃんが1番最初に抱っこされるのは、
自分でありたい、と強く思っていました。
 
医師が生まれたばかりの男の子を、私と主人にとこに連れてきて、
主人に渡そうとすると、主人は、私のその気持ちを知っていて、
私に抱かせてあげてほしい、と告げました。
が、私は完全にフラットに寝ていたので、それは無理だと知っていました。
でも、それでもまったくいいと思いました。
そんなことは、もうその時の私には、関係なくなっていました。
 
2度目の私の出産経験は、1度目とは180度違ったものでした。
 
あんなにも怖くて、しばらく出産なんてしたくないって、本気で思ってのに、
 
また出産を経験したことで、私はトラウマから解放されました。
 
 
 
その後、母乳育児はすぐ軌道に乗り、
小児科の先生からも、体重の増加傾向を見て、
1か月で、もう夜中の授乳はわざわざしなくていい、
とにかく素晴らしい体重増加!と言ってもらえました。
 
日本から来てくれた両親には、
クタクタになるまで私や娘の面倒を徹底的に見てくれ、
喧嘩など一度もすることなく、
いっぱいいっぱい支えられました。
 
娘は、やっぱりやきもちを焼いたり、
授乳をすると焼きもち全開で、意地悪したり、
泣いたりが多くなった時期もありましたが、
私も娘も慣れてきたのもあるのか、
もうすぐ産後4か月経とうとしてる今、
授乳中はひとりで遊んで待ってくれたり、
意地悪することも随分となくなりました。
 
もちろん、娘が何より1番の優先順位で
赤ちゃんが眠った時には、いっぱい遊んで、抱っこして、
言葉ももう達者に話すので、
きちんと言葉で、待っててくれてありがとう、大好き、可愛いね、って
たくさんたくさん伝えて。
赤ちゃんを可愛がってくれた時には、
もう大袈裟な位に褒めて。
 
同じ年齢差で赤ちゃんができた知り合いたち2人は、
上の子が乱暴になったり、言うこときかなくなったりって、
どちらも手を焼いているようですが、
私は、ここ最近、またさらに娘が成長したように感じてなりません。
 
お片付け、机拭き、おむつ捨てなどの
お手伝いを積極的にしてくれたり、
誰かが悲しかったり痛そうにしていると、
大丈夫?と励ましてくれたり、
きれいに同じおもちゃを並べれるようになったり、
ひとり遊びもすごく上達したように思います。
女の子ということもあるのかもしれませんが、
物の取り合いもしなくなったし、
叩いたりすることもなくなりました。
(お父さんにはするけど。。。)
 
子供が2人いて、以前よりもちろん大変ですが、
それを楽しみながらやれている自分がいて、
以前よりも、自分自身の気持ちの切り替えもうまくなったような気もするし、
気持ち的に、前向きなことが、多くなった気がします。
 
私は、本当に長い間、曇り空の中にいたんだと思います。
 
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
 
risa

出産のこと(前編)

こんにちは、risaです。
 
先月、無事に二人目の出産を終えました。
 
1人目と同様、帝王切開での出産。
 
とはいえ、1人目の時のように緊急帝王切開ではなく、予定帝王切開なので、
同じ帝王切開とはいえ、全然違う経験になりました。
 
1人目を出産後、右も左もわからない育児に日々多忙だったことと、
あまり記録として残したくないという気持ちもあり、
1人目の出産に関して、ここでは書いていなかったのですが、
実は、トラウマレベルになる位の体験をしたのでした。
 
今回は、改めてそのことについて書こうかと思います。
 
こうやって、書ける気になれたのも、
二人目を出産したおかげだったりします。
 
じゃなければ、私は自分からあえてあの壮絶な出産経験を、
振り返ろうとは思うことはなかったと思います。
 
私が1人目を出産したのは、2年前の同じ春。
 
初めての妊娠ということもあり、食生活には気を遣い、
毎日寝る前にはマタニティヨガをしたりし、
戌の日あたりには日本に帰国していたこともあり、
安産で有名な神社まで両親、主人と参拝に行ったり、
とりあえず「安産」ということを目指して、妊娠生活を過ごしていました。
 
というよりも、「普通に」出産する、ということしか、考えていませんでした。
私の思っていた、普通とは、陣痛あって、自然分娩をする、ということ。
出産一言でいえども、そこにお産は本当に人それぞれで、
帝王切開というものもあるというオプションは、自分には無関係のことだと思っていました。
根拠は何もないのですが、出産を経験した周りの友達たちの話を聞くと、
皆まぁそれは安産で、自分もじゃあそういう経験になるのだろう、と、
それ以外考えていませんでした。
 
これから先は、出産体験をツイッターで書いていたので、それをそのまま貼り付けます。
 

↓ツイッターより
 
予定日を過ぎた午前1時半。
しばらく膀胱を刺すような痛みがありトイレにいくとちょっと出血!
いよいよ?と思いつつベッドに戻ったのだけど寒気も。
 
不定期にどんよりした痛みがあるような気がするけど耐えれないほどじゃないし、
陣痛かよくわからず、気がつくと眠ってた。
 
朝5時位に目が覚め、またトイレにいくと出血。
念のために病院に電話したら、来てみて下さい、とのことなので病院へ。
 
赤ちゃんは順調、陣痛も軽いのが定期的にきているけど、血圧が138とちょっと高く、
体温が100あり、水分不足になっている、とのこと。
 
旦那さんが昨日から風邪をひいていることもあり、
私の体も風邪に対抗してるのかもしれないね、ということでコップいっぱいの水や
ジンジャエールを2杯程飲まされ、体温も98.4と落ち着き、
家に帰ってもいいよ、とのこと。
 
帰ってくるだろうなーと思ってたからよかったけど、
水分補給って大事なんだね。
今日中に陣痛くるかな?!
 

*****
 
その後、家に帰ってからどうやら出血と同時に破水してたことに気付く。
 
最初は出血だけしてると思い込んでて、混ざってることに気づかなくて。
 
家に帰って出血が収まってから気づいて。
 
でもちょっとずつだから大丈夫だろうと思い、
7時位に帰宅後お昼過ぎまで寝る。
 
お昼ご飯も食べて母親と話してたら、
破水はそこから感染の恐れもあるということで、
再び病院に電話したら、チェックするので来て下さいということで2時頃再び病院へ。
 
検査すると破水ということで間違いないということで
そのまま入院することに。
 
この時点ではこれから起こることなんて夢にも思っておらず。。。
 
病院内を歩いて自然に陣痛がきたり子宮口が開くのを待ってみたものの、
子宮口は木曜検査した時と変わらず1cmちょっとのまま。
 
ということで4時位に子宮口を開けるために
4cm位の水風船みたいなのを子宮に入れられ、
子宮口を同じ大きさになる位に促すことに。
 
それまで、朝病院に行った時には、
陣痛もぴたっととまっていたのだけど、
水風船でいっきに痛みがやってくる。
 
しかも3-5分置きと頻繁で、
無理に広げようとしてるからか痛みも半端なく、
途中からは声あげるわ、意識朦朧とするわ、
本気でこんなに痛いんだったら帝王切開でいい!って、痛すぎて涙も止まらず。
 
さらには嘔吐もあり、夜中4時位まで頑張りやっと4cmになり、
無痛分娩の麻酔を打ってもらえるように。
 
最初のだけではなぜか右の下腹部だけピンポイントで麻酔が効かず。
 
量を増やしてやっと麻酔がかかり、小一時間ほど寝る。
 
陣痛の疲労からベッドからなかなか動けずだったけど、
ここまできたら子宮口も緩くなるかな、と思い、
それに麻酔が効いてて動けないってゆうのがあるけど、
結局子宮口の開きは4cmから変わらず。
 
午前11:30頃、子宮口が開いたと助産婦さんに言われ、
手術中の先生が終わり次第お産に入ることに。
 
痛みはないのだけど、
陣痛が来る前には子宮が張るような
きゅってなるような感じがあるのだけど、
どんどんそれが強くなると同時にいきみたい感じにもなり、
12時に、先生を待たず助産婦さんの、準備がスタートし、
プッシュをスタートさせることに。
 
ちなみに陣痛は心電図みたいなメーターで
来るタイミングがわかるようになっていて、
数値が10後半から30代位まで強くなったら
プッシュ、という感じ。
 
助産婦さんと3時位までプッシュを頑張る。
だんだん体力も尽きてきた頃、先生が来る。
 
破水が始まってから時間が経ってたこともあり、
どうやら赤ちゃんがうんちをしていたようで、
もしかしたらそれが口に入ってしまっている可能性もある、とのこと。
 
万が一の赤ちゃんの状態に備え、
NICUからも人がやって来て、最後は病室が10人体制の状態に。
 
先生に背中を丸めて息を止めて、全力で力んでと言われ頑張るも、
息継ぎの時にどうしても引っ込んでしまうらしい。
 
最後の手段として2種のバキュームで頭を引っ張ってみるも、
赤ちゃんが真っ直ぐではないこともあり、
引っ張りきることができず。
 
先生が来た時には
すでに頭の一部が見えてた状態で、
最後にはあと5cmちょっとで、出てくるってゆうとこで、帝王切開しかない、と告げられる。
 
あとちょっとだったのに、
色んな痛みを乗り越えてきたのに、
帝王切開だけは避けたかったのに。
 
色んな思いが込み上げ、涙が止まらず。
手術が始まるまで号泣。
 
帝王切開の麻酔は二種類あると言われ、
ひとつは無痛分娩と同じ麻酔で量を増やしてやる方法。
もうひとつはそれよりも何をされてるかわかりにくいという麻酔。
考える時間がほしくてもそんなのはなくて、
即決を迫られ後者を選択。
旦那さんとそのまま手術室へ運ばれる。
 
手術室に着くなり麻酔を背中に打ち始める。
麻酔が効いているかのチェックで、左側は麻酔が効いているものの、
右半身はまだ感覚もあり麻酔が効かず。
 
何度確認し直されてもやっぱり効いていなくて、
じゃあ直接右腹部に打つから、と言われ、
すぐに手術がスタートする感覚がわかる。
 
お腹を切られているのは感じなかったものの、
左上あたりを何かされてる時、
同時に痛みを感じ、どうやら麻酔がちゃんと効いていないらしいとわかる。
 
ひっぱったり、何かをしてる感覚はわかると聞いていたものの、
明らかに意識があって耐えれそうな痛みではなく、
作業が進むと同時に、
これ以上の痛みが来るのかと思うと恐怖に駆られ泣き叫ぶ。
 
急遽、麻酔師に睡眠ガスをつけられ、泣き叫ぶ中眠らされる。
 
喉に痰が絡むような不快感で咳をしながら目を覚ます。
 
手術室とは違う部屋。
 
左手を握ってくれていた旦那さん、
お腹にいた赤ちゃんがいない。
 
頭がぼーっとする中、
近くに来たナースに赤ちゃんがどこにいるのか、無事なのかと聞くと、
I think baby is okと曖昧な返事をされ、
どういう意味??と聞き返したかったものの
頭がぼーっとしすぎて聞き返すこともできず。
 
NICUに入ったのか、
それともダメージを受けてる私に伝えるには
大きすぎる大変なことがあったのか。
 
何もわからず知らない部屋をただぼーっと眺めるだけ。
 
別の看護師に、ベイビーは旦那さんと病室にいる、と言われた気がするけど、
体力がなさすぎていまいち覚えていない。
 
何もわからない状態での出産となり、
色んな不安があったものの、
元気な姿を見るまでは納得できない。
 
意識がまだしっかりしない中寝台が動き出し、
部屋に戻ってるんだな、とわかる。
 
なんだか目を開けるのが怖くて、
自分を落ち着かせることに集中する。
 
病室に入るなり、
笑顔の旦那さんがベイビーを抱えている姿が目に入る。
 
無事だったんだ、、と何も言葉にならず、
ただただ涙だけがこぼれる中、
ひとりの看護師が私の胸にベイビーを置いてくれる。
 
シワのないピンクの色をした綺麗な顔、
ふさふさの髪、小さな体。
可愛い可愛い女の子。
涙がただただ溢れ続けた。
 
 
 
******
 
 
 
これが私の1人目の出産体験でした。
 
ですが、もちろん、これでめでたしめでたし、と終わるわけではなく、
その後は傷口の痛みや、授乳も最初上手くいかず、
自分のイメージしていた出産とは違いすぎたこと、
また、麻酔が切れて目を覚ました時に感じた、あの何とも言えない疲労と恐怖は、
私が生きている中で、どちらも一番のものでした。
 
母乳がうまく出なかったこともあり、生まれたばかりの赤ちゃんは、
それはもう大きな声で毎日1日中泣き続け、本当に寝てくれませんでした。
 
主人や母も、初めて&久しぶりの新生児には手を焼きつつ、
赤ちゃんの栄養源である母乳は、私からしかあげれない。
 
当時は、粉ミルクではなく、母乳育児が何よりも大事と、
私も主人も思っていることから、(あと病院も母乳を推進するところでした)
もうそれは計り知れないプレッシャーでした。
 
たくさん吸わせたら出るようになるから、と病院で言われ、
頑張っているのに、でも出ない。
 
それでも、赤ちゃんは、その小さな体のどこから声が出ているのかという位、
それはもう大きな声で泣き続ける。
 
生まれたばかりの赤ちゃんと過ごす時間、
「普通は」とても幸せであるべき時間なのに、
泣き止まない赤ちゃんが、次第に恐ろしく見えるようになってきました。
 
可愛いくて仕方がないはずの瞬間なのだろうけど、
そんな風には思えず、憂鬱、という言葉でも足りず、
それはただ恐ろしいものでした。
 
そんな風に感じてしまう自分をまた責め、
壮絶な出産の記憶を癒す間もなく、
母や主人からの、あぁすれば?こうすれば?という言葉も重く、
どちらとも喧嘩が絶えませんでした。
 
母は、初めてひとりで慣れない地にやってきたこともあり、
母自身ホームシックのような状態にかかってしまい、
そんな中、私との喧嘩が絶えないという状況に疲れ、
実際、私たちの家を5日間程出て行ってしまいました。
 
もう、色んなことが想定外すぎて、心が追い付いていけなくて、
その時にやっと、自分は産後うつになっていることに気が付きました。
 
主人とは、育児のこと以外にも、
彼の家族関係のことで上手く話し合いすることができず、
そっちの問題でも激しくぶつかりました。
 
私は自分に余裕が本当になくて、母にも主人にも、
きっとすごく難しく、きつい態度だったのかもしれません。
 
母には、自分が産後うつにかかっていることを伝え、
その後お互い理解し、父もこちらにやってきたこともあり、
帰る頃には関係は修復されましたが、
主人とは問題がありすぎて、
私はもうこんな生活が続くのだったら、いっそう消えてしまいたい、と
しばらくの間、その考えが頭から離れませんでした。
 
自分が死んだら、、、なんてことを、
何度も何度も、考えてしまっていました。
 
でも、それ位、追い込まれていたのです。
 
こうやって、その時のことを書けるようになったのは、
私の中ではものすごく大きな前進ですが、
それでもやっぱり、こうやって思い出すと、
とても悲しくなってしまいます。
 
そんな自分がいた、という事実は、変わらないですから。
 

結局、私たちはマリッジカウンセラーに数回会い、
第三者が入ることで、主人はやっと私の気持ちに目を向けてくれた、
というよりは、当時は本当にお互い顔を見るのも嫌だった位険悪だったので
向けざるを得ない状況になった、というほうが正しい気がしますが。
でも、おかげで関係は少しずつ改善されていきました。
 
母乳は2,3か月目から軌道に乗り、
育児も少しずつ慣れ、
主人との危機を乗り越えれたと思ったのは、
産後から1年後くらいでしょうか。
 
ただ、私の中でぬぐえないものが、出産のことでした。
 

検診等で病院に行く機会は産後もあり、
自分が入院していた部屋の前を車で通るのですが、
そのたび、毎回本当に涙が出ました。
 
軽いPTSDみたいなものだと思います。
 
今でも、まったく大丈夫か、というと、
やっぱり、こうやって思い出しながら書くと、
涙は溢れそうになります。
 
産後1年が過ぎた頃、ようやく症状は落ち着いたような気がしますが、
出産に対してはやっぱり怖い、というイメージしかなく、
二人目もまだしばらくは考えたくない、というのが本心でした。
 
なので、二人目の妊娠がわかった時は、
実は喜び、というよりは、不安のほうが強かったです。
 
妊娠検査薬の陽性反応を見て、涙し、パニックになりました。
 
その夜、主人にプレゼントのようにラッピングした箱に入れて検査薬を渡し、
嬉しそうな姿を見た時、初めて、ポジティブな気持ちになれました。
 
1歳児のお世話で忙しかったこともありますが、
あまり妊娠とか、出産のことは考えないようにしていました。
 
でも、出産まであと2、3か月と近づくにつれて、
不安はどんどん大きくなっていって、出産のことを考えると、
怖くて精神的に落ち着かなくなることも、何度かありました。
出産の話をすると、やっぱり涙が出たり、
もう、どうしよう、どうしよう、という感じで、考えると息苦しくなったり。
ホルモン的に安定していないことでマタニティブルーと、
前回の経験が重なったような感じでしょうか。
 
そしてついに、帝王切開の予定日がやってきました。
 
続きはまた次回書きます。
 
長文、読んでくださり、ありがとうございます。
 
risa

断乳、その後

久しぶりに前回書いたブログを読みました。

不思議なもので、まだ2ヶ月位なのに、今では娘も私も、授乳していたなんて不思議な位、全くその存在すら、なくなりました。

断乳後、しばらくは昼寝をさせるのが難しかったものの、ランチ後、しばらくしてから一緒に絵本を読んで、私も寝たふりしたり、眠いふりをすると、娘も私の横に並んで寝て、そのままゆっくり眠りにつけるようになりました。
もちろん、ふりだけじゃなく私が眠ってさしまうのも多々、ですが(^^;;

夜中は、寒かったりとか、多分怖い夢?を見たり以外は、ほとんど起きず、朝までぐっすり眠れる日のほうが断然多くなりました。

授乳を終えて、本当に変わったと思います。

夜しっかり眠れるので、翌日疲労でイライラもないし、家事や一緒に遊んであげたり、色んなことがはかどる他、私が本来の私としてファンクションしている、という表現が、一番正しいかもしれません。笑

体力的にも、精神的にも。

授乳は確かに特別な時間。
でも私は終わってほっとしてます。

risa


突然の断乳

楽園と孤独

私がインスタントにある時期にタイムバックする曲。




もう5年位経つけど、その時の自分の気持ちや状況が、クリアに出てくる。


Ke$haの「We R Who We R」と


Usherの「DJ Got Us Fallin’In Love」。




どちらも、普段はほとんど聴かないアーティスト。



しかも、この曲の歌詞や曲調が特に好きというわけでもなければ、

どちらも別に真剣に聴いてたわけでもない。


どうでもいい、多分それば一番ふさわしいのだと思う。


じゃあどうしてこの曲がそんなに私にとって残っているのかというと、

「どうでもいいわ」と人生で一番強く?思った時期に聴いていたから。




どうでもいい時の、どうでもいい曲。




その時期というのは、ハワイに引っ越してまだ1か月位の間もないころから、

今の主人に出会うまでの期間。


だから、たった2か月位の期間ではあるのだけど、

この時の感情って、ある意味すごく強いものだったと思う。




ついにハワイでの仕事も決まり、無事に引っ越すことができた。




引っ越したはじめの頃は、日本人家族のお家に間借りで住んでいたのだけど、

アップダウンの激しい家庭で、落ち着かなかったのと、

職場までのアクセスが予想以上に悪かったので、

予定よりも早く別のところに引っ越すことに。


その時に見つけたのが、ブログでもアップしたことのある、景色が最高のところ。


ワイキキのど真ん中で、私もよく知っている場所。




あとは、ハワイに住む日本人。


ハワイ暮らし初心者の私に対して、色んな人たちがまず私に言ってきた言葉。


「ハワイに住む日本人には気をつけて。」


言ってきた人たちももちろんそのうちのひとりなわけなのだけど(笑)、

まぁ出会う人色んな人にとにかく言われた。




どういうことかというと、どこのエリアでもそうかもしれませんが、

色んな人たちがいる、ということ。




ハワイに住んでいる日本人は、思っている以上に多いし、

そんな人たちの中には、いい人もいれば、それを利用して悪いことをする人もいる。




ハワイを居住地に選ぶ位だから、普通の人とはちょっとずれてるのよね~、と言う人も何人かいました。

(本人は自分もそこに含めてるのかはわかりませんが。。)


でも、確かにそうだと思います。


実際私がそういう人たちから被害を被ったということはなかったけれど、

そういう例はたくさんあるし、

被害を受けて泣き寝入り、なんてこともざらにあったりするみたい。



実は、ハワイに引っ越すまでそういうことは全く知らなくて、

会社の人からもまず言われたのは、

「日本人でも優しいからといってすぐに信用してはダメ。」ということ。




ハワイとはいえ、やっぱり海外。



しかも、ハワイ暮らしに慣れていないとわかると、

日本人だから安心するという弱い部分をついてくる。


私も、今になるとわかるけど、

日本から来たばかりの人って、ずっとハワイに住んでいる在住者とは違う、

フレッシュな雰囲気を持っている気がする。


日焼けの具合もあるかもしれないけど、それだけではない、

日本にいた日本人らしさ、というか。




ハワイのぬるい風に当たり続けた人とは違う、

しゃきっとしてて、ピシッとしている感じ。




長期でハワイに滞在している人でも、そういう人はいるけれど、やっぱり少し違う気がする。





まぁそれはいいとして、

そういうことを出会う日本人の人たちから散々アドバイスされ、

元々警戒心の強い私は、さらに警戒心が強まったのです。




最初に出会った日本人が、アップダウンの激しい日本人家族だった、というのも

さらにその言葉の信憑性を強めたのかもしれない。


会社の人たちは別として、それ以外で出会う人たちは、

もう心の中では警戒心が最強だった私。


一瞬人間不信になりそうだったよ。(笑)


どうやって人を信じればいいのやら。


素性がよくわからないような人とも出会ったり、


色んなものが拍車をかけていたけど


元カレのこともあったと思う。


人なんて、よくわからないし、信じれない。





友達と呼べる存在だっていなかった。


会社の人とは徐々に仲良くなっていったけど、


それでもやっぱり、とっても無に近かった。



頼れる人もいないし、一緒にいて落ち着く友達もいなかったし、

自分にはなんにもないと思った。


でも、自分がずっと夢に描いてきた場所で暮らしていて、

それはもう本当に最高だって、毎日感じてた。


週末にはビーチクルーザーでビーチ行ったり芝生で寝ころんでひたすら音楽聴いてたり。


ハワイのゆるくてぬるい時間と風を感じて、サンセットはいつもキレイで、胸いっぱいだった。

ほんと、そういう表現が正しいの。


周りが友達たちと楽しそうにしていても、そこまで苦ではなかった。


でも、やっぱり少しは寂しかった。


大きな夢を叶えて超ハッピーだったけど、

欠けてるものが、近くにいてくれる人、だった。


特別な人とかそういうのじゃなくて、一緒に時間を過ごせる友達とか、ね。




話はKeshaとUsherの2曲に戻って、

この曲はこの時に聴いてたものではなかった。


だいたい、二日酔いで動けなくてプールサイドでぐったりしてる、土曜のお昼に聴いてた曲。


特に予定が入るわけでもないから、いくら飲み潰れても平気だった。


次の日にげっそりで何もできなくなるので、ちょうどよかった位。


プールサイドで、お日様の下、水着で好きなだけ昼寝。


この2曲は多分、クラブとかで流れてたからダウンロードしたんだと思う。


私がどうなっても、気にする人は誰もいない。


私がクラブで誰と話そうが踊ろうが、それを嫌がる彼氏はいなかったし、

どれだけ飲み潰れても、それを心配する人はいなかった。




超ーーーー自由だった。




そして、なんにもなかった。




大きな夢を叶えたところで、

それに浸ってるだけで次に大きな目標を持ってたわけでもなかった。




最高にひとりを楽しんでた時間でありつつ、

本当に孤独を感じた時。




相反する気持ちだった時を思い出させる、そんな曲。

欲しかった言葉に出会った日

自分が住んでいる場所から得られるものを得る。




最近、娘と犬を公園で遊ばせている時。


犬の散歩をしていたちょっと変わったおじさんに話しかけられました。

最初は犬の話から始まり、娘の名前→日本の話という流れだったかな。

住んでいる場所の話になりました。

来年、またどこに住んでいるのかが?になってきたこともあり、

どこに住むんだろう?、どんな暮らしが待っているんだろう?と、

期待ももちろんあるけれど、住むエリアによっては不安もあったりで、

住む場所について考えることが多かった。



そんな時に、


シャツの前ボタンやや全開


(時期と場所を間違えていたら警戒強だったけどビーチ近かったからまぁOK。


それでも警戒はしてましたが)だけど、


まぁそれもちょっとこじゃれたように見えなくもないおじさんが、


何度も何度も繰り返して私に言った言葉。




「自分がいる場所から得られるものを得る。」




おじさんはいろんな国や州にいたらしいのだけど、その時の私にはとても心に落ちることだった。


あ、多分このおじさんは私の心の中を読んで話しかけてきたんじゃないか、と思うような。


時々あるんだよね、そういう時。


私が考えていることを、なぜだか街中で出会った人が突然その話題を持ち出してくる時。




そういう言葉を、もしかしたら私は誰かに言ってほしかったのかもしれない、と後で思うのです。




不思議なことだけど、これもきっと意味のあることなのかな、とか思ったり。




私は今この時間にこの土地で、何を得るのがいいんだろうか。




とか考えつつ、今年はやっぱり消極的でいようと思う。



自分から積極的に何かを得に進むのは、今年は違うような気がする、やっぱり。



自然に得られるものを、しっかり感じていよう。



自分に素直に、感じるものをそのままに。



Risa

忍耐と辛抱の0歳期

結婚して、子供もできて、最近大きく変わったことは、
私がとっても受け身になったこと。

車がないこと、娘がまだ幼いことなども付随して、
とりあえず自分のやりたいようにできてない!というストレスが、
知らず知らずのうちにどこかに蓄積されてる感じ。


以前、「私はカメレオン」の記事にも書きましたが、
まぁどんな状況もとりあえずは楽しもうとするタイプなので、
ずっと家に娘といても、まぁなんとか過ごせるのですが、
それでも元来、いろんな人と関わるのが好きで、
とりあえず新しいもの、行動することが好きな私にとっては、
やっぱりどこかでストレスが溜まるのです。。。


一時はストレスをどうやって発散すればいいのかわからなくて、
よく爆発しては主人に突撃のごとくぶつかったりしてましたが、
最近は、こうやってネットを使ったり、
ひとりでスタバに来たり、
ストレス発散方法がなんとなくわかってきた、のかな。


話は戻って、受け身になっている、ということ。


受け身というか、受動態というか。


車がないから主人がいないと行きたいところに行けない!


モールとかお買い物も、バスに乗らなきゃいけなくて、
そうなると子供とストローラーが大変だったりで、
簡単に断念しちゃう自分がいる。


とりあえず歩きたい時期だけど、まだ
雑草とか枝とか気になったり、
あっちこっちに行ってしまう時で、
一緒に手をつないで歩ける、なんて優雅なものでもないから、
やっぱりひとりだったら不安、っていうのもあるのかな。


だから、行きたいところとかは週末にばーっとしてしまう。


行きたいところがありすぎて、やりたいこともあるけれど、
娘を連れて出かけるとなると、まだ離乳食後期だから、
お弁当準備して、とか、
あんまりカーシートやストローラーばっかり座らせちゃかわいそうだしな~とか思うと、
行くところも考えもの。


人が多いところは自然と避けるようになった。


こうやって書いてると、

なんだか私は子育ての愚痴をこぼしているように聞こるけど、
別にそういうわけではなく、
ただ、子供ができるってことは、
それだけライフスタイルが変わる。


私の場合、結婚する前からひとりの時間が大好きだったので、
その時間が週に1度の2時間スタバタイムと、
毎日寝かしつけをしてからの
夜30~1時間くらい

(シャワー浴びたり夕食後の片づけとかは別にして、本当に何でもできるフリータイム)

あればいいほうになり、
1年と少し経って今やーっとそんな状況にも慣れてきたという段階なのです。


時間、かかりましたね。(笑)


こんなに順応するのに時間がかかったのは、初めてかもしれない。


それ位、子育てって予想外なものってことなのかな。


1人目っていうのもあるのかな。


何よりやっぱり、自分よりも何よりも大事な存在ができると、
身勝手に行動もできなくなるもの。


働きたい!という気持ちもあるけれど、
今仕事復帰するのは、この子にとって本当にベストなのかどうか、とか。

正解も不正解もないことだけど、
子供にとって、家族にとっていい、ベストなチョイスを選択したい。

ワーママも専業主婦も、大変なのはどちらも同じ、ですからね。


ちなみに私のプランはというと、来年あたりには仕事復帰をしたい、と考え中。


働きたい気持ちはずーっとずーっとあるのだけど、
妊娠やら育児で、本当にこのタイミングか?ってずっと問いかけ続けて、
仕事したい!でもできない!!という風に思ってました。

でも、本当は、
仕事したい!でもできない!!ではなくて
仕事したい!でも今はしない!!だった。


やろうと思えば、まぁできたはず。

産後2,3か月で職場復帰するなんてアメリカでは一般的。


私はずっと、できないできないって不満をこぼしていたけど、
そうじゃなくて、しない、っていう選択肢を選んでた自分を、
ただ認めたくなかっただけなんだな、と。


なんなのかな。

娘と意思疎通もできるようになってきて、子育ても去年と比べると随分とラクになってきた今、
すごく冷静で自分のことを見れるようになったなぁと思う。


そういうことができなくなるくらい、
初めての子育てに私はてんやわんやだったのね。。。


ポジティブにいうなら、私はそれだけ娘に一生懸命だった、のかな。


ダメなママになりたくなくて、
乳幼児の時期の子育てがその子の性格のベースになるとか、
ネットで流れる、あれはダメ、これはこうしなきゃいけない、とか
まぁありとあらゆる色んな情報に流され、
あーでもない、こーでもないって毎日毎日試行錯誤で。


仕事だったら、結果が目で見えてくる。

セールス時代は、売上とか、新規開拓できた数とか。
コンサル時代は調査して、レポート作って、納品して、プロジェクトが終わって。

どこかに達成感とかゴールがある。


でも、0歳の間は、泣き止む方法をあれやこれや考えてやって、
でも毎回同じようにはいかなくて、
色んな手段を用意しても予想外のことが起きるほうが当たり前で。


色んなおもちゃを持って行っても、
レストランで泣いちゃっておちおちごはんも食べれなかったり。


家でもそう。
寝てる間にお昼ごはんを、何でもいいからお行儀悪いけど、
とりあえず詰め込んで食べる感じ。


味わう、というよりは、とりあえずお腹に入れる。
食べ方だって随分とだらしなくなった。


一生懸命うまくやろうとしてるつもりなのに、
寝たい時には起こされ、
寝てほしい時には寝ず、
もーーーどうしてほしいの?!と泣いてしまうことだってあった。


毎回それを吹き飛ばしてくれたのは、彼女の成長を見た時。


まぁまた次の課題が出てきて今度はそれに奮闘するんだけどね。


離乳食、どうやって始めるの?
せっかく作ったのに食べない!
それどころかおもちゃにされて、
私なんてろくに食べれてないのに、なんでこうなの??とかね。


でも、本当にやっと「ふぅ。。。」と一息できるようになったのは、
1歳過ぎてからだなぁ、と思う。


泣くことも随分なくなって、ひとりで遊ぶのも上手になって、
言葉こそまだちゃんとしゃべらないけど、自分のしたいことを行動で伝えるようになってきて、
あ、、、私、ちゃんとここまで来たんだな、って。


そこでやっと一息つけた感じ。


そして色々自分のことも考えられるようになった。


仕事ができるようになったら、どんなことをしようかとか、
具体的にもっと考えられる余裕ができるようになったし、
こうやってまともに文章を書けるようにもなった。(笑)



忍耐、辛抱。



私には結構欠けていた部分だけど、
子育てと、今のこの車なし出かけられない状況で
強くなったのかな。


前厄だったり、細木数子やらやらの占い曰く、
今はそういう時期らしいので、
まぁそれもなんとなく納得。


大殺界、最後の年なんだそうで
おとなしくしとくのが一番いいみたい。

だからやっぱりおとなしくしておきます、今年は。


来年からはどんんどん運気が上がっていく、というのも
なんとなくわかるので、その波に乗ろうかな。


ということで、考えてます。


動きます。来年。



risa

1歳

お久しぶりです、 risaです。


もう少しで母になり、1年を迎えようとしています。

なんだかんだ、あっという間に時間は過ぎるものですね。


泣く、ミルクを飲む、寝る以外は何もひとりでできなかった娘も、

1歳を前に、

私たちの言っている言葉を理解し、喜び、

怒られて悲しみ、

遊びたい時にオムツを替えられ怒り、

私の姿が見えなくなると寂しくなったり、

感情の成長はもちろん、

頭にタオルや服を乗せて歩くのが好きだったり、

食べ物をつかんで自分で口に運べるようになりました。


生まれたばかりのころはとにかく激しくよく泣く子で、

早く大きくなってほしいとばかり思っていましたが、

まぁあっという間に大きくなるものなのですね。


つい先日、

知人が生まれてまだ1か月少しの新生児を連れて遊びに来てくれました。

抱っこした時、その軽さにまぁ驚きました。


こんなに軽かったんだっけ?と純粋に。

そして、目もまだいまいちよく開けれず、ブランケットにくるまれているその姿が

なんて愛おしいものなのだろうと感じました。


決して新生児のころに戻ってほしいというわけではなく、

ただ、私が娘と過ごしてきたこの1年は、

本当にプレシャスだったなぁと、改めて感じた、かな。


子育ては大変、と言うけれど、

その言葉の大きさは、実際親になってみないと、本当にわからないもの。


「私はほかの人と違って大丈夫」という

どこから来るのかわからない妙な自信があった。


どういう仕事でも一応こなしてきたし、

自分の親を見ていても、

そんな大変そうには見えなかった。


だから特に、妊娠中は産後のことを多くは調べたりしなかった。


Safetyのクラスは取ったけど、

自分のことに関しては、本当に無知のまま。


母乳育児のこと、新生児のこと、などなど。


生まれればなんとかなるだろうって、

出産をゴールにしていた自分がいた。


忙しくなること位はわかっていたけど、

その忙しさが、

ゆっくり「新生児の育て方」みたいな本を読む時間はもちろん、

歯を磨いてお風呂に入ってという

当たり前のことすら、

したんだっけ?

わかんないけど、疲れたからとりあえず、

お願いだから

とりあえず寝たい!!

と切望する位、忙しくなるなんて、思ってもなかったかな。


想像と現実のギャップが激しいのと、

産後は帝王切開の傷口の痛みや、

母乳育児もうまくいかず、

産後うつ状態が3か月は続いたかな。


主人とは喧嘩も激しく

マリッジカウンセラーに初めて通うことになったり。


そんなこともあったなぁ、と振り返られる今、

落ち着いたなぁとほっとする自分もいる。


頑張っているのは私だけじゃないから

大きな声では言えないけど、

私、母1歳お疲れ様。

そして、おめでとう、娘と私。(パパもね)


Love,

risa