小金沢昇司さん死去。 | wagontakaoのブログ

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こんばんは。

またしても訃報が入りました。

演歌歌手の小金沢昇司さんが、今月11日に呼吸不全のため亡くなっていたことがわかりました。65歳でした。

ネットからですが、↓です。

「「ありがとう…感謝」などのヒット曲で知られる演歌歌手小金沢昇司(こがねざわ・しょうじ)さん(本名同じ)が11日、神奈川県内の病院で呼吸不全のために死去したことが15日、分かった。65歳。神奈川県大和市出身。所属レコード会社が発表した。92年にのど薬のCMで「歌手の小金沢くん」としてブレークし、お茶の間の人気者に。昨年が歌手生活35周年の節目だった。葬儀はすでに近親者で行った。

「歌手は歌わなければ『歌手』でなくてただの『カス』。だから声が出る限り全力で歌い続けますよ」。いつもそう言って“生涯現役”を誓っていた小金沢さんが旅だった。  関係者によると、22年夏に新型コロナウイルスに感染し、その後に自宅で誤嚥(ごえん)性肺炎を発症。その後は体調不良から入退院を繰り返し、年明けの11日に病院で亡くなった。最後は子どもや姉がみとった。  実家は神奈川県大和市のラーメン店。家業を継ぐために調理師免許を取得したが、歌手になる夢は諦められなかった。「料理の修業のため」と両親にうそをついて上京。新宿・歌舞伎町のクラブの調理場で働きながら、音楽の専門学校に通った。たまたま、新宿コマ劇場で北島三郎の大看板が掲げられているのを見て弟子入りを決意。以前のインタビューでは「日本で一番の歌手のところに行こうと思った。事務所の近くにある公園で野宿をしたりして、約3カ月通ってやっと弟子入りを認めてもらった」と話していた。

 

この時は25歳。それから約4年間は付き人兼運転手だった。「自分が慌て者だからオヤジ(北島)にはよく怒られました。靴の片方だけを持って行ったり、早変わりの時にズボンと一緒にパンツも下げちゃったり」。この話をする際に「一生懸命はみんな同じ。だから自分は人の倍の『一生懸命』をやらないといけないと思ってきたんだ」とも付け加えた。何事にも真面目で、そして不器用な人だった。  88年に「おまえさがして」で念願のデビュー。4年後に、のど薬のCMに「歌手の小金沢くん」として出演し、一躍全国区の人気者になった。14年には北島音楽事務所から独立。順調な滑り出しを見せたがコロナ禍が直撃。仕事が激減してしまった。20年11月には飲酒して車を運転したとして、道交法違反(酒気帯び)の疑いで逮捕された(後に不起訴処分)。この時、反省の思いから芸能活動を自粛した。以来、人前で歌うことを控えていたが、「歌わないと声が出なくなるから」と、歌手復帰を目指してカラオケでひんぱんに歌っていた。歌手生活35周年の節目に65年の早すぎる生涯を閉じた。」とあります。

 

もう一つもネットからですが、↓です。

「演歌歌手の小金沢昇司さんが呼吸不全のため神奈川県内の病院で死去したことが分かった15日、同僚の歌手やSNSの間で追悼の声が広がった。

かつて小金沢さんと同じ事務所に所属していた演歌歌手の山本譲二さんは、自身のX公式アカウントで「昇司が亡くなりました。寂しいです。実の兄弟のように育ってきました。ぽっかり風穴があきました。本当に寂しいです。どうか皆様、昇司の冥福を祈ってあげてください」とつづった。

小金沢さんは、平成4年から放送された口腔用ヨード剤「フィニッシュコーワ」のCMに「歌手の小金沢君」として出演し、人気者になった。訃報を受け、Xでは「歌手の小金沢くん」が一時トレンド入り。「CMでの『歌手の小金沢くん』の印象が強かった」といった声や、「八代亜紀さん、冠二郎さんに続き小金沢昇司さんまでお亡くなりに」と演歌界で相次ぐ訃報を悼む声が相次いだ。」とあります。

数年前は、酒気帯び運転で逮捕され、経営していた芸能事務所が倒産になったりと不祥事続きが多かったので最後は呼吸不全で他界と晩年は体調面も良くなかったみたいですね。

本当に、2024年は演歌歌手の訃報が多い予感がしますね。昨年は有名ミュージシャンの訃報が多かったので。

改めて、小金沢昇司さんのご冥福をお祈りいたします。