和傘 は この町で作られてません


生まれ故郷 津山で

行政関係者に言われた言葉です(-_-#)



日本から伝統は無くなる と

僕は言い続けてます


調べもせず

学ぶ事もせず

責任感も無い


町の歴史は

そんな不勉強者に殺されるからです(-_-#)

 

 

昭和20年代

日本和傘新聞 と言う業界紙が

岐阜で発行されていました( 'Д`)



昭和二十二年九月二十八日 発行の 第四十四号

の一部に書かれていた記事




この日本和傘新聞は

国立国会図書館のマイクロフィルムにのみ残されるだけ


しかも

この資料はアメリカで見つけられた

GHQ関連の資料

プランゲ文庫の物です( 'Д`)

 

 

記事の内容は


 

「岐阜和傘の向う張って」


津山で日傘大量生産


岡山県津山市和傘授産場では郷土特産の和紙と竹工を高度に利用して輸出日傘を生産することになり、外人好みのデザインの研究部を新設、まづ月産二十本の目標で準備を進めているが来春から改めて作州地方に十数ヶ町分工場を新設、岐阜日傘の向うをはつて大量生産に乗り出すことになった


と、あります( 'Д`)



岐阜は日本一の和傘の生産地


その和傘生産地の向うを張って と



思うに 月産二十本の…

てのは新規デザインの事ではなかろうか?

いや、それでもデザイン的にも少ない(^_^;)


いや 十 と 千 の 植字間違えか?

それでも少ない

月産二万本ならば? 

それでも少ない


月産二十万本 ならば、年間二百四十万本

これだと多いか?( 'Д`)


謎です(^_^;)


残念ながら

この工場は稼働したのかも分からない


多分、されなかったのだろう…



何故ならば


津山の和傘は昭和30年頃には無くなったのだから


もしかしたら?

と、思うのは

津山市ではなく 国鉄・津山線 弓削付近に

和傘の工場が在ったと聞いた事がある

詳細は不明だった


※弓削は現在の久米郡久米南町


 

郷里 津山の和傘は

その資料を残そうとしなかった為に

存在さえ否定される物となった 


津山の和傘の資料は


  鳥取県 淀江町の資料の中の 作州傘

  各種名簿の中

  そして、今回の日本和傘新聞


全ては

津山以外の場所に残されていて

津山は何一つ持ってはいない

自分の町の事なのに ね( 'Д`)


町はその存在を無くそうとした

町は自らの歴史を殺しかけていた

いや 殺していたんだよね(-_-#)


だって

この町で和傘は作られてない

って言えるんだから(-_-#)

 

それでも

言われっぱなしは腹立つので

調べに調べて


現在

作州民芸館の一角に


津山の和傘の資料を展示しています



全て、僕が探してきた物たちだ

資料も探して

名簿を作り

地図を作った


その名簿の中から訪ねた家で

昔、傘屋をやってた方に道具を頂いた


書籍は 津山朝日新聞発行

町中が仕事場だった 津山朝日新聞連載エッセイ集

白石齊さん


の本だ


和傘は作られてない!

と、言われた町で

和傘が作られたって事を

ちゃんと綴ってくれた


僕個人としては 記念の本だ( 'Д`)

この本の和傘の項に関われた事は

本当に光栄な事だった

 




誰かが動かなければ

何もかもがこの国から無くなってしまう



そして


誰かを待つ暇は無い


 

気付いた者が

自ら動かなければ


この国の文化は

無責任な国の関係者に殺される


 

 

そして


何もしなければ


この国は


日本って名を持つだけの

空っぽな心を無くした物真似文化だけの

偽物の国になるのだと思いますや( 'Д`)




そんな事はない!

って言う人は


この国を殺してる一人って事ですや( 'Д`)


何もしないで

言うだけならば

馬鹿でも言える


まあ


僕も馬鹿の一人ですがね( 'Д`)


 

 

夏休みは永遠じゃない


宿題は日々やらなきゃ

最後の日になったら何も出来ずに終わります(-_-#)