岡山県津山市
僕の生まれ育った町です。
その津山市は明治の初め頃から
作州傘 と呼ばれる傘作りが行われた町でも有りました。
そして、その傘作りは昭和30年頃まで
およそ70年以上もの間続きました。
鉄砲町という町内を中心に
古い文献から紐解いた傘屋関係は40近くを数えます。
それも大正末期から昭和20年頃までの記録で
それ以前の記録は残ってません。
作州傘の名は
鳥取県米子市淀江町の淀江傘の記録の中にのみ残ります。
そして
作州傘を調べ始めた頃
残念ながら
無責任で調べようともしない
周りの誰かに問う事もしようとしない
行政の担当者に
「津山で傘は作られて居ませんでした!」
と、言われました。
津山・作州傘
和傘の歴史は
津山から無かった事にされてました。
町中が仕事場だった 津山朝日新聞連載エッセイ集
著者 白石齊
発行所 株式会社 津山朝日新聞社
発行 2018年4月
以前も書かせていただいた
の記事や
他にも
様々な津山の仕事が書かれています。
昭和の頃の事
現代では忘れ去られた
様々な仕事が
様々な人達が
頑張って生きていた証明の本でも有ります!
有り難い事に
こんな貴重な町の歴史書に
傘屋の名が刻まれました。
その傘屋の項には僕の話まで乗せていただいてます。
思えば
津山市史に残る事も無く
「津山に傘屋は無かった」
そう言われた町の
歴史を綴る本に
和傘屋の記録が載ってます。
その傘屋の仕事を
実際に幼少期に見られた白石さんだからこそ
仕事の話の中に傘屋を入れてもらえる事も出来ました。
僕の知らぬ当時の事なども教えて頂く事が出来ました。
本当に感謝しきれません。
僕なんぞが偉そうに宣っても
耳を傾けてくれる人なぞたかだか知れてます。
ましてや
こんな町の資料としての書籍を残すなど
到底出来っこありません。
他所の土地の人が語り継いてくれた津山の傘の事
やっと
津山の本の中に活字として残りました。
こんなに嬉しい事が有るだろうか?
改めて
津山に傘屋は有った!
と、声を上げて良かったと思います。
その声が
白石さんに届いてくれた事に感謝します。
岡山県津山市
古くは美作国作州
作州傘の歴史が
この後も、この町の歴史の一片に
傘屋の項が残る事を喜ばしく思います。
この本は
僕の郷土・津山の
本当の市史なのだと思います。
改めまして
この場をお借りして
白石さんに感謝致します。
たかだか初代の馬鹿な小僧が調べて来た事を
わざわざ倉敷まで足を運んで聞いて頂いたおかげで
ひとり抗ってきた歴史に
少しの意味を残せました。
無駄と言われながらも
調べる事をやって良かったです。
そんな
津山の和傘屋が沢山有った鉄砲町は
母親の生家の在る場所でもあります。
そして、父と母が結婚して住んだ家は
元々は傘骨職人さんの家だった事も
傘屋になってから知りました。
無縁だと思っていた和傘
実はとても近いものだった事を
自らが調べた事で知りました。
傘を調べた意味が有ったのだと
とりあえず
実家の仏壇にも報告しましたわ(笑)