空襲時の心境
第三海軍燃料廠は、母の家から約2km圏内にあった。
空襲を受けると、爆撃の音や爆風が届く距離だったのだろう。
普通に考えれば避難するのは当然だが、祖父は「逃げても同じだから飯を食べる」と言い、家の中で悠然と食事をしていたらしい。
祖母と母は家の前に掘られた防空壕へ避難していたが、空襲が終わるまで祖父は普段と変わらず過ごしていたという。
当時、母の家では土佐犬が飼われていて、祖父は犬と一緒にのんびり過ごしていたそうだ。
さすがに犬も爆発音には驚いただろう。しかし、祖父があまりにも落ち着いていたためか、暴れたり吠えたりすることもなく、おとなしかったらしい。
※1945年5月10日(昼間)、B-29約80〜117機による精密爆撃・高性能爆弾による攻撃が行われ、第三海軍燃料廠、大浦油槽所、徳山鉄板工場などが攻撃を受けた。第三海軍燃料廠はほぼ壊滅し、死者は500人以上(廠内だけで約297人)、重軽傷者は約1,000人以上に上ったとされる。学徒動員されていた生徒も犠牲となった。
また、都市爆撃では目標周辺約2km以内は深刻な被害を受ける危険性が高い範囲の一つの目安とされることがある。
ただ、母の家は地形や爆撃の方向などを考慮すると、「比較的危険度が低い〜中程度」の位置だった可能性もある。
たまたま爆撃の中心が反対方向へ向かっただけなのかもしれない。
昔、ザ・ドリフターズのコントで、いかりや長介さんが空襲に遭った際、防空壕へ避難しながら雑炊を食べていたという体験談を語っていた。
そして、防空壕のことを「今で言うカラオケボックスみたいなものだな」と、ユーモアを交えて話していた。
もちろん、彼はコメディアンでもあるため、自身の体験も笑いを交えて語っていたのだろう。
ちなみに、そのコントをテレビで見た当時の私は、その話も含めて腹がよじれるほど笑った記憶がある。
ところで、そのような状況でも慌てふためくのではなく、普段どおりの行動を取るというのは、人間に見られる心理や行動なのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎった。
この件について考えたのは、事実そのものを検証するというより、「なぜそのような行動を取ったのか」という視点からだった。
1. 正常性バイアス
人間には「いつも通りである」という前提を維持しようとする心理がある。危険が迫っていても「まだ大丈夫だろう」と考え、普段通りの行動を続けようとする事がある。災害時に避難が遅れる代表的な理由と言われているものだ。
2. 習慣の維持
強いストレス下では、新しい判断を下すよりも慣れ親しんだ行動が出やすくなる。「食事の時間なら食べる」「仕事中なら仕事を続ける」といった行動は、心の安定を保つ心理的防衛の役割を果たしているようだ。
3. 統制感(コントロール感)の維持
「飯を食べる」という行動は、自分の意志で選べる数少ない動作だ。極限状態においては、日常動作を続けることで「自分はまだ状況を支配できている」という感覚を保とうとする側面がある。
4. 危険への慣れ
空襲警報や爆撃を何度も経験すると、人間はある程度その状況に慣れてしまう。「毎回避難しても何も起こらなかった」という経験が積み重なると、「今回も大丈夫だろう」と考えやすくなる。
5. 運命の受容
祖父の「逃げても同じだから」という言葉は、ある種の運命論とも言える。爆撃の規模によっては、防空壕の中にいても直撃すれば助からないという現実を当時の人々は知っていた。そのため「どうせなら落ち着いて過ごそう」と腹をくくっていたのかもしれない。
6. 犬の反応
犬は飼い主の感情をよく読み取る動物とされている。
飼い主が極度に慌てると犬も興奮しやすくなる一方、祖父が平然としていたことで、犬も落ち着きを保っていた可能性がある。
もちろん爆発音には驚いていただろうが、祖父の態度が安心材料になったとも考えられる。
7. いかりや長介さんの体験
いかりや長介さんが「防空壕で雑炊を食べていた」と語った体験も、人間の適応能力の一例として考えられる。
空襲が日常化すると、防空壕は単なる避難場所ではなく、長時間過ごす生活空間にもなる。
そこで食事をしたり会話をしたりすることは、異常な状況を日常として受け入れる適応行動でもあったのだろう。
つまり、祖父の行動も、いかりやさんの体験も、「恐怖を感じなかった」ということではなく、人間が極度の危険や繰り返される脅威に適応し、精神的な均衡を保とうとする心理的・生理的なメカニズムの結果として理解できるのではないかと思う。
もちろん、このように考察してみても、すべての要素が当てはまるのか、どれくらい当てはまるのかには個人差がある。家族を安心させるために、あえて毅然と振る舞っていた人もいただろう。
当時の祖父が本当はどんな心境だったのかは、今となっては分からない。 ただ、「いつ死ぬか分からない」という極限下において、何が正しい行動なのかは誰にも答えを出せないものだ。現代とは異なり「逃げるよりも腹をくくること」を重んじられた時代背景を考えると、祖父のように腹をくくって日常を貫いた人は、案外多かったのかもしれない。