昭和の運び屋
テレビで「株で儲けた人」の特集が放送されていた。
それを見ていた父が、ふとこう言った。
「大学生の頃にな、証券の配達のアルバイトをしていたことがある」
父が大学生の頃は昭和三十年代前半だった。
現代において株や有価証券を売買するといえば、ほとんどがネット上で完結する。証券会社の担当者と一度も顔を合わせることなく、契約書類や取引履歴はメールや画面上で確認できる。
スマホを開けば、自分が保有する株や損益の状況も一目で分かり、解約や売却もオンライン上の手続きだけで済んでしまう。
しかし、昭和の映像を見ると、新聞の株価欄を熱心に見つめる人や、東京証券取引所の建物の外にある株価表示板を、新聞片手に見上げる人たちの姿が映っている。
当時、売買の注文は電話で担当者に伝えるのが一般的だった。だが、スマートフォンどころか携帯電話すらない時代である。
自ら証券会社へ足を運んで注文したり、担当者に大まかな方針を伝えて一任したりすることも少なくなかったという。
現在の感覚では、大金の運用を他人に任せるのは恐ろしく思えるが、当時は専門知識のない人が自力で取引すること自体が難しかった。そのため、株式投資をする人も現代ほど多くはなく、本当に限られた一部の人たちの世界だったのだ。
そんな時代にも成功した投資家は存在し、そうした資産家のもとへ有価証券や株券を届ける仕事があった。
当時は現代のように防犯カメラが普及しておらず、強盗事件が起きても証拠や目撃者が乏しいため、犯人を検挙できないケースも少なくなかったという。映画でも現金輸送車が襲われる場面は定番だった。証券会社の社員がきっちりとしたスーツ姿でアタッシュケースを持って歩いていれば、「狙ってください」と言っているようなものだったらしい。
そこで、父がしていたという「学生アルバイト」の出番である。
当時の学生は、教科書などを鞄や風呂敷に入れて電車で移動するのが当たり前だった。
昭和の映画やドラマでもよく見かける光景だ。周囲から見れば、どこにでもいる普通の学生にしか見えない。
父は、その風呂敷の中に非常に高額な有価証券や株券を入れて運んでいたという。
「一番すごかったのは、千日前の飲み屋の女将さんのところへ持っていったときだな。配達したら中を確認するのだが、女将さんはそれを見せてくれてな。ものすごい額だった。億円単位だったと思う。証券会社の人からは『気をつけて持っていくように』と毎回言われたけど、中に何が入っているかまでは知らされなかった。無事に届けたから、女将さんがお小遣いをくれたんだが、それが一か月分のアルバイト代と同じくらいの金額だったな」
通常、配達後に受け取り側は中身の確認をするが、その中身を父に見せることはなかった。父も何か大切な書類や手紙を運んでいることくらいは分かっていたようだが、それが高額な有価証券や株券とまでは知らなかったそうだ。おそらく、証券会社側もアルバイトに悪い気を起こさせないための配慮だったのだろう。
同じような仕事をしていた学生は、ほかにもいたのかもしれない。
父の話では、この仕事は知人の紹介で始めたものの、途中でだんだん怖くなって辞めたという。
幸い危険な目に遭ったことは一度もなかったそうだが、自分が運んでいるものの価値を考えれば、恐ろしくなるのも無理はない。
父の話を思い出し、自分でもいろいろ調べてみた。
しかし、「学生による有価証券の配達アルバイト」について記した公的な資料は見つからなかった。
確かな証拠や記録がない以上、本当に存在した仕事だったのかは分からない。
ただ、父は馬鹿がつくほど正直な人だった。息子の立場からすれば、あの話はきっと本当だったのだろうと思っている。戦後復興から高度経済成長期へと向かい、日本全体が最もエネルギーに満ちあふれていた時代。動くお金の莫大な規模と、次々と誕生する成功者たちの熱気を思えば、そんな嘘のような本当の話があっても不思議ではない気がするのだ。