最近は「ファクトチェック」という言葉が広く使われるようになり、SNSやニュース記事で情報の確からしさを検証する機会が増えた。

ここで使われる「信憑性(しんぴょうせい)」と「信頼性」は、似ているようで少し意味が異なる。

  • 信憑性:その情報の内容自体が「事実として正しいと思えるか」という評価。 (例:「その数字は正しいのか」「その出来事は実際に起きたのか」といった内容や裏付けに関する判断)

  • 信頼性:その情報を発信している人物や組織、情報源を「信用してよいと思えるか」という評価。 (例:発信者の実績、専門性、責任の所在、これまでの発信内容などから行う判断)

つまり、「信憑性」は情報そのものの正しさであり、「信頼性」は情報源に対する信用である。この二つは密接に関連しているが、決して同じものではない。

世の中には、事実の捏造とまではいかなくとも、偏ったバイアスが加えられた情報が多く出回っている。SNSでの個人の発言だけでなく、動画などのコンテンツにもそうした傾向は少なくない。

 

ただ、SNSや動画サイトは、言わば「個人評論家」や「個人放送局」のようなものだ。最初からメディアと同等の精度を求めるのではなく、あくまで自由な発想による創作や個人の意見として受け止めれば、必要以上に振り回されずに済むだろう。

 

一方で、情報を信じるかどうかを判断するうえで、発信者の肩書や実績が大きな要素になるのは事実だ。

 

例えば、大手メディアは長年の歴史と多くの従業員を抱える企業であり、社会的責任を伴うため、情報源としての「信頼性」を高く評価されやすい。個人による発信であっても、これまでの実績や専門性があれば信頼を獲得できる。

 

反対に、実績のない人や匿名のアカウントが発信した情報は、仮に内容が真実であったとしても、初見で信用するのは難しい

 

そのため、プロフィールに学歴や経歴を掲載し、信頼性を高めようとする個人も多い。

しかし、中には経歴を詐称しているケースや、実力以上の実績をアピールしている場合もある。実際、私自身の身近にもそうした例が見受けられる。

 

では、専門知識がない分野において、情報の信憑性(内容の正しさ)を見極めるにはどうすればよいのだろうか?

冒頭で触れたファクトチェックにしても、検証機関の基準によっては、その名称だけで鵜呑みにはできない場合がある。

 

一つの有効な手段は、「公式発表や一次情報と照らし合わせる」ことだ。

国や企業による公式発表は、発信者の責任問題に直結する。万が一、虚偽の発表を行えば、社会的な信用の失墜だけでなく、法的な損害賠償リスクも負うことになる。こうした重い責任が存在するからこそ、公式情報には一定の正確性が担保されやすい。

 

もちろん、公式発表であっても100%正しいとは限らない。しかし、少なくとも検証の「確かな基準点」として参照する価値はある。

 

例えば、SNSや報道で「これだけの人数が集まってデモを行った。国民の大半が賛同している」という主張を見かけたとする。そこで公式の人口データや有権者数を調べてみれば、「全体の何%にあたるのか」「数字として主張が成立しているか」を客観的に検証できる。

 

このように客観的な事実と照らし合わせる習慣をつけると、情報自体の「信憑性」だけでなく、「この発信者は誇張癖があるのではないか」という情報源の「信頼性」まで見えてくるようになる。

 

公益社団法人 日本広告審査機構(JARO)のCMにある「うそ・大げさ・まぎらわしい」に惑わされないためにも、まずは公式発表や客観的なデータと照らし合わせることが大切だ。

情報そのものの「信憑性」と、発信者の「信頼性」を分けて考えること。

この二つの視点を持つことが、情報過多の時代を賢く生き抜くための強力なフィルターになるだろう。