終戦の気配
私が学校で習った話は、「戦時中の日本は情報が統制され、国民は戦況などを一切知らず、大本営発表だけが真実として認識されていた」というものだった。
当時、父に学校で習った話をして、「当時も大変だったのだね?」と尋ねたことがあった。
すると父は、怒るでも悲しむでもなく、「みんな知ってたぞ」と言った。
父の話では、終戦の1年ほど前には、大人たちの間で「もう駄目だろう」という話が出ていたそうだ。
それは近所同士の井戸端会議での話だったが、「人の口に戸は立てられぬ」というように、都市部にはさまざまな職業の人たちがいる。そうした場所では、「最近どうだ?」という話題は必ず出る。そこで各自が、職場や親戚筋から伝え聞いた状況を持ち寄る。すると、戦況を直接見なくても、「工場では物不足や人手不足で製品が作れない」「海外に赴任している親戚から連絡が来ない」「身内が召集されて戦地へ行った」といった話が集まる。
話が出尽くすと、その場にいた人たちは皆、「これは負けるな」と思うわけだ。
学校の授業やテレビ、映画などでは、戦争に熱狂する人々や軍人たちが「本土決戦」「一億特攻」といった言葉を一般人に語り、まだ勝ち筋があるかのように話していたと描かれることがある。
しかし、父の話では、一般人にしてみれば「何をおかしなことを言っているんだ?」という冷めた感覚だったそうだ。
もちろん、それを信じていた人もいただろうが、少なくとも軍需産業で働いていた祖父たちは、すでに「もう負ける」と考えていたようだった。
ところで、父からは当時の情報伝達についても聞いたことがある。
都市部でもテレビのようなものはなく、せいぜいラジオ放送で最新の情報を得る程度だった。
それ以外で大きな割合を占めていたのが、「口伝(くでん)」だった。
例えば職場や学校では、本社や教育委員会のような機関からの情報や連絡を、上司や担任教師が口頭で伝えていた。
あるいは、隣組の回覧板のような地域ネットワークを通じた連絡もあった。
また、先ほど挙げたように、井戸端会議でそれぞれが得た情報を出し合い、そこから状況を推測するのが一般的だった。
当時、新聞自体は発行されていたものの、検閲が厳しく、大本営発表ばかりで、現実の状況を知るための情報源としてはほとんど当てにならなかった。何かが起きても、自分で直接見ない限り映像などはないため、人から聞いた情報を伝言ゲームのように周囲へ伝えていく。すると、話が誇張されたり、逆に矮小化されたりして広まっていく。
それをリアルタイムで確認する術がないため、「それしか情報がないので信じるしかない」という状態になっていた。
現代でも、自分の家から周囲を見回して直接見えない・聞こえない・匂わない出来事は、リアルという実感がなかなか湧かないのと同じだろう。テレビやニュースの映像で見ても、実体験するほどの衝撃は起きず、遠い世界の他人事のような感覚になってしまう。
現代では、AIによる映像加工や発言の切り抜きなどもあり、真実か誤情報かを自分で考え、分析しなければならない。それでも、ニュース映像だけでなく、現地にいる人が「起きたことだけ」を映像で発信することもあるため、当時と比べれば事実確認や分析はしやすい環境になっているだろう。