今回のブログは実は、3回も書いている

さすがにアメブロが信用できないので、メモ帳に書いて貼り付けることにした

普通にかけるブログも作れない会社が先行利益で、社長の遊び金を作るのに十分なくらい儲かっているのが許しがたい

もう少しまともな技術スタッフを雇うくらいできないのか?

相変わらず、私のボロLet's Note(CF-LX3HEFBP)は勝手な動きをして、ブログを途中まで書いていたのに、リブログ履歴に飛んでしまい、書いた記事が全部消えてしまう

アメブロが悪いのか、パナが悪いのかわからないが、もう少し、使うものの身になったらどうかと思うが、今の利益至上主義ではこれは望めない

メモ帳に書いて、それを移せといわれて一時期やっていただ、面倒でやめていたが、さすがに今回はメモ帳に書くことになった

危機管理に問題があるのかもしれない

危機管理と言えば、ここしばらく手帳をなくしてしまって、当日のスケジュールすらよくわからない

実はアナログ人間で、スケジュールをスマホなどに移していない。やらなきゃと思うが面倒ですぐやめてしまうのだ

心配性の人ならなんらかのバックアップを取るのだろうが、なかなかそんな気になれない

今回も、取材の約束をすっぱかして電話がかかってきたが、とりあえず謝って、かけつけたらなんとかなった

案ずるより産むが易しということが多いのは体験的にわかっているし、今回も現実にそうだった

あれこれと前もって心配するより、実際の起こったことへの対処をするほうがメンタルヘルスにはよい

数日前に途中まで書いたものがリブログ履歴に勝手に飛んで、書いたものが全部消え、本日は下書きをおしたらフリーズして戻らず、で同じ文を3回書いている

それでも書くのは、本日が選挙の日だからだ
(まったく影響力がないのはわかっているが)

事前予想では、改憲勢力が3分の2になるという

9条はともかく、25条も書き直され、家族は大事にしろということで、公的介護より家族介護をおしつける内容になっている

日本人はマゾだから、それでも改憲ということになるのだろう

自民党のHPに数字でみるアベノミクスというのがある

株価は確かに上がった

円高是正というが、本当に円安がいいのだろうか?それによって、海外の企業が日本の企業を安く買えるようになったし、中国人も皇居の周りの土地を買いあさりやすくなった

それ以上に、円安でないとやっていけないような古い産業が生き残り、医療やバイオ、あるいは高級農業、高級観光などのように1ドル30円でもやっていける産業も外国人から見たら高い値段が取れてない

少なくとも産業構造の変換や内需重視という話にならない

失業率が4.2%から4.0%になったというがこれも微々たるものだし、それ以上に私の知る限り、うつ病でボロボロになった人でも生活保護を断られている

どんなにボロボロでも働かないといけないのなら失業率が下がるのは当たり前だ

その証拠に非正規雇用率もあがり、格差も拡大している

有効求人倍率が上がったというが、これも非正規の求人が増えたことと、介護職員の給料が安いために介護で慢性的な人手不足が起こっているからだろう。介護の場合は、一般企業と違って、人数が足りないと、規模の縮小を強いられるので、常に求人をしないといけない

生活保護の門前払いをやめれば、仕事を出来ない人は働かなくなるので失業率は上がるし、介護職員にまともな給料を払う政策にすれば、有効求人倍率は下がる

どちらがいい政策なのか?

GDPが伸びたというが、ドルベースでは民主党時代と比べて、20%も減っているので、一人あたりならイタリアと大して変わらなくなった

こういうことを民進党がPRし、「どうしてこれが国民に知らされないのか」というコーナーで、民放の経営者たちと安倍首相との会食リストをあげ、最後に高市発言を載せて「本当のことを知りたければ民進党」とでも日本中の新聞の一面広告に載せれば、多少なりと得票が増えると思うが、岡田というケチな党首では無理だろう

憲法改正以上に自公が大勝をすると困るのは、これから6年間、仮にアベノミクスがまずい(この政策では消費不況で国内の消費が増えないと私は見ている)ということになっても、仮に新しい与党が自公に勝っても、民主党政権時代に参議院で過半数を取れなかったために常に妥協的な政策をやらなければいけなかったのと同じように、新与党がたとえば、所得税や法人税の税率をあげ、経費を大幅に認める消費促進税制をやろうとしても、野党(自公)に潰される

そのうちに、この与党もダメということになって、ずっと日本の経済状況が変わらないということが続くことだ

5年やってうまくいかない経済政策が10年やってうまくいくとは思えない

日本の将来は暗い

格差社会は確実に広がっていく

格差社会に対抗するために、子供に教育をつけよう、学歴をつけさせようという主張も私は続けている

本日も大阪で家庭教師のトライで講演を行うが、先週の東京も大盛況だった

やはりアベノミクスなど信用できないので、賢明な親御さんは、子供を医者にしたいのだろう

これにしても安倍政権が続く限り、2021年にはすべての入試がAO化され、有力者の息子は面接で入りやすくなる(ただ、面接官がアメリカのようにプロを雇わず、大学教授なので、対策さえ立てておけばチョロイが、ただ、その対策にお金をかけられない地方の子供や貧乏な人の子供には確実に不利になる)

同じように格差社会から這い上がる人にエールを送る映画『受験のシンデレラ』を2007年に作ったが、本日10時よりNHKのBSプレミアムでドラマ化される

プレビューをみたり、脚本を読む限り、かなりいい

ぜひ見てほしい







またブログを30分以上書いていたが、ふと消えるのが心配になって下書きを捺したらまったく反応しない

そして、20分待ってもフリーズしたまま

自民党の批判を書いていたのがまずかったのか

本当にさっさとアメブロをやめたいが、どこのブログ会社にも声をかけられない自分が情けない

共産党の藤野保史(やすふみ)政策委員長が26日のNHK番組で防衛費を「人を殺すための予算」と発言したということで騒ぎになっている

よく放送の本番中にこんな発言ができるものだと、確かにあきれるが、「人を殺すための予算」は言い過ぎとしても、長期不況の中で「人を殺す予算」であるのは、私も否定しない

昔のように豊かな国で、うつ病の人や夫にDVを受けて逃げてきた主婦が確実に生活保護を受けられる時代であれば、防衛予算をいくら使ったところで、人を殺す予算にはなっていなかった

しかし、今は、防衛予算を介護費用なり、生活保護費に充てることができれば、死なないでいい命が救えたのにと思うことは少なくない

現実に、冷戦も終わり、中国の指導層がアメリカに隠し財産をしているような資本主義の時代なのだから、在日米軍や自衛隊がいなくなって丸腰でも、中国が日本に攻めてきて、人を殺すことはないだろう(もしあれば近隣諸国にそうしているはずだ)

せいぜい、尖閣に軍艦を出して、実質支配をするとかいうレベルだろう

何千人も拿捕されて、何十人も殴り殺された挙句、竹島が実効支配されているのに許しているのだから、何兆という防衛予算を使ってまで尖閣を守るより、その金を日本人の命を守るのに使ったほうがましという気が私にはしてならない

こういうことをもともと思っていたところに、男性の苦悩を長期フォローという形でルポを続けている奥田祥子さんの新刊『男という名の絶望』という本を目にした

ブラック魏業が騒がれているが、想像を絶する職場が今でもあるらしい

ちゃんとした大学を出て、テレビの制作会社に勤めていた中年男性は、プロポーズした女性に非正規雇用であることがばれると擦れられてしまい、それをきっかけにその会社をゆめる

そして、結果的に雇われたのは、時給780円の菓子の袋詰め作業の現場だった

6時間の仕事の中でペットボトルの水を飲むことも許されず、10分だけトイレ休憩ができるのだが、トイレが地上に上がってから数百メートル先にあり、10分で帰ってこれなかった(遅刻した)という理由で、一回の遅刻ごとに1時間分の給料が差し引かれる

自衛隊がいなくなると、あるいはレイプをして人殺しをしても日本で裁判ができないアメリが軍にいてもらえないと日本が滅んでしまうと本気で考えるほど心配性の国民が、自分たちの明日はこんな風にいつなってもおかしくないとか、うつ病になって生活保護を受けざるを得なくなると思えなくなる能天気さを持ち合わせるのがどうしてなのかがよくわからない

少なくとも、この本に書いてある苦悩は、このような貧困だけでなく、一方的に妻に擦れられたり、浮気をされても泣き寝入りしたり、子供に見放されたり、親の介護(要介護高齢者の主たる介護者の割合が、なんと息子が嫁を抜かしたのである)を一人でしょいこまされたり、そのせいで家庭が崩壊したりなど、明日は我が身の内容の連続だ

放射能や外国が攻めてくることより、現実に起こりうることへの心配をしたほうがいいし、国の予算も、そっちにつけたほうがいい

もちろん本書で論じられているのは、男たちの「かくあるべし」思考(これがいちばんうつ病に悪いとされているが)に縛られた姿であるが、世論の向かうべき方向性や、現実的な心配というのももっとほかの方向にあるのではないかと本心から考えさせられた

安倍政権が、人の命を救うための予算をケチっている限り、自衛隊が「人を殺す予算」といわれても仕方がないと考えるのはいけないことなのだろうか?

少なくとも、この本を読んでから、この言葉の意味を考えても遅くない(災害救助のために自衛隊が必要なのはわかるが、災害で死ぬ確率より、この手のことが我が身にふりかかる確率のほうが高いのも確かなことなのだから)