歐米のそれに較べて何んと云つてもまだ幼稚な我犬界にあつては、近年この種の優秀犬がぼつぼつ姿を現はしかけたとは云へ、初めてスコツチを見て、眉を顰める人士もまだ相當に多いやうである。ひよつとすると、一般日本人愛好家の眼には、スコツチのこの極端な近代型は、あまりにもグロテスクと映るのかも知れぬ。
しかし、好い意味にも、惡い意味にも、世界中一番敏感で物解りの好い日本人のことだ。まだ、世界中のどこかにいくらもゴロついてゐる大小様々の珍犬の一通りや二通りぐらゐ手鹽にかけて見ねば、腹の蟲はおさまりはすまい。
現に、ブルドツグ、ダツクス、ヘヤレス、アフガン、シーリハム、フインクス、ケアン、パピーヨン、スカイ、ケリーブルウ、シユナウツエル、チワワ等々、一度ほんの申譯けにも移入して見た日本である。ワイヤアと竝んで歐米流行犬界のトツプをゆくスコツチ・テリアを目して、珍犬だなどと云つたら、それこそ珍國扱ひされるだらう。
秦一郎「スコツチ・テリアの特性について(昭和13年)」より
いきなりスコッチ・テリアの話から始まりましたが、今回ご紹介するのはチワワの歴史です。
チワワとは、言わずと知れた世界最小の犬。最近は何かと物騒なニュースばかり流れる、メキシコはチワワ州の原産です。
因みに私、道を歩いていたら野良チワワに足首を咬まれたことがあります(もちろん日本国内で)。ズボンの裾を引っ張る奴がいるので、見たらチワワに食いつかれていたんですよ。
速攻で藪の中へ逃げていきましたが、何だったんだアレは?
そういえば、チワワが来日した時期っていつ頃なんですかね?
日本でチワワが普及したのは昭和40~50年代あたりからなので、初来日したのも同じ時代?ネット上でも「チワワの来日時期は戦後」と解説されていますし。
こうも同じ話ばかりだと、通説の逆を調べてみるべきでしょう。パグもプードルもマルチーズもポメラニアンもドッグフードも、戦後来日説はウソばっかりでしたから。
戦前の記録を調べていない怠慢を誤魔化すため、「犬に関するアレやコレやは戦後に始まった」という思考停止のキーワードを拡散し、「通説」や「常識」を捏造する。日本犬界史解説でお馴染みの詐欺話法かもしれません。
明治41年の児童雑誌で紹介された「メキシコの小型犬種」 。
チワワの来日時期については、ずっと心に引っかかっていたことがあるんですよ。
冒頭で、秦一郎氏が「一度ほんの申し訳にも」チワワが輸入されたと書いていますよね。
そして『犬の新百科(船越輝一郎著・昭和56年)』にも、「チワワは大戦前も飼育されていましたが、大戦後は急激に増加し、現在JKC愛玩犬グループの中では一〇傑に数えられ、単独本部展も開催されています」という一文が載っています。
えー?戦前から輸入されてたの?
しかし戦前の犬本でアレコレ調べても、チワワは明治時代の雑誌で紹介されている程度。マニアックな品種を載せている犬図鑑にすら登場しません。
パグやボストンテリアやパピヨンの輸入記録は見かけても、チワワは皆無。アイリッシュ・ウルフハウンドみたいな超大型犬は輸入されていたのに、「世界最小の犬」について言及している書籍は見つかりませんでした。
そうなると、戦前の日本人はチワワを知らなかったのでしょうか?明治以降、忘れられた存在になっていたとか?
「たぶん秦さんや船越さんの勘違いだろう」と、私は根拠もなしに思い込んでいたのです。
児童雑誌で紹介されたメキシコのチワワ(明治41年)
さて。
戦時中(太平洋戦争突入以前)の日本で上映されたニュース映画に、米国のドッグショーを紹介したものがあります。
当時の日本人は、どんな感じでコレを眺めていたんですかね。日中開戦前には自由に楽しめた犬の展覧会を懐かしんだのか、ドッグショウを続けている米国を羨望したのか、などと思考をタイムスリップさせつつ眺めていたところ、画面の端に小さなワンコが登場しました。
……!?
今のチワワだったよな?
もう一回見直してみたら、やっぱりチワワじゃないですか。うおおおおおおおおおお!チワワだ!!
チワワの日本史に新たな1ページが!!!
当たり前のことを忘れていました。犬の資料だけではなく、映像作品の分野にも犬の記録はあるんですよね。
それで映画関係の資料も漁ってみたら、戦前・戦中の映画雑誌にチワワの記事を幾つか発見。有名どころでは、ハリウッド女優のジョーン・ベネットに抱かれて『キネマ旬報』昭和15年5月1日号の表紙を飾っていたりしました(キネマ旬報は1919年創刊です)。
アメリカで愛されたチワワの姿は、映像を通して戦前の日本へ伝わっていたのです。
「犬の調査には犬の資料だけ読めばよいのだ」などと勘違いしていたツケといいますか。戦前の犬を知るには、戦前の社会や文化について知る必要があります。
しかしその範囲は広大過ぎて、何をどうしたものやら。
満鉄警戒犬を調べた時は満州国関係の、猟犬史を調べたときは猟友会関係の、牧羊犬史を調べたときは畜産関係の資料が山積みになりましたが、今回集めた映画関係の資料は日本俳優犬史の追加調査に役立つかもしれません。そろそろ書庫がパンクしそうですけど。
「世界で最小の犬種チウワウのキング號をキネマ女優のルウペ・ベルツ嬢が愛撫してゐるところ……(昭和9年)」
チワワを取り上げている戦前の書籍も、ようやく見つけました。
チワーワ The Chihuahua
メキシコのチワーワ地方を原産地とする小犬で、もと野生で容易に捕捉し難かつたが、米國印度人(アメリカンインデイアン)が苦心の末、若干匹を手に入れ、それに自家飼養の犬を交配させて得た仔を今日のやうな家犬に飼ひ馴らしたものである。ただ飼育に頗る困難な犬といふ。直立した耳をもつブルテリアの小型とも云ふべき、恰好の美しい俊敏な犬であるといふ。獵犬・捕鼠犬の性能を多分に備へてゐるから、原産地では有害小動物の驅除に使役してゐる。リトリーヴァの獵能をも有し、何でも拾來する癖がある。
頭は圓い所謂林檎形で、口鼻は小さく突き出てゐる。眼も飛び出してゐる。
耳は大きく、やゝ斜に傾けつゝ直立してゐる。
臀部から尾へかけての傾斜がなか〃美しい。
毛質は短毛で美しい光澤を放つてゐる。尾は長くして巻く。
毛色は多様であるが、赤色を帶べる黑色と黄褐色との交りを普通とする。
體量は二封度(ポンド)から六封度まで。
『最新流行犬百種(昭和8年)』より
ナルホド。世界最小の犬は、戦前の日本でも知られていたんですね。いずれも翻訳や伝聞っぽい文章なので、実物の輸入はなかったのかも。
これで調査終了、めでたしめでたし。
……などと思っていたんですよ。
先日のこと。
昭和4年10月6日~7日に中央畜犬協會が開催した「御大典紀念・第十三回全國畜犬共進會(於・恩賜上野公園)」の出陳犬リストを眺めておりました。
さて、満洲事変以前の流行犬種はどんな感じでしょうか(軍犬報国運動勃興前の、ある意味「健全」な時期ね)。ポインターやセッターは勿論、ブルドッグ、マルチーズ、マンチェスターテリア、フォックステリア、コッカースパニエルあたりは定番です。
日本シェパード倶楽部設立の翌年ですが、既にジャーマン・シェパードは大流行。ドーベルマンの輸入が本格化したのも、やはり昭和3年以降か。
日本犬保存会も設立されたのに、そちら方面は秋田犬と土佐犬だけで淋しい限り。昭和7年のハチ公ブーム到来まで、和犬消滅の危機的状況は続いていたのでしょう。
驚くことに、ディアハウンドやベルジアン・シェパードみたいな超希少犬の出陳も散見されます。支那犬ってのはチャウチャウのことかな?大正時代に輸入済みのスコティッシュテリアやワイヤーヘアードが見当たらないけど、この時点では本格的な流行前かあ。ふーん。
スカイテリアとかセントバーナードも明治以降の輸入が続いていたんですねえ。あと、チワワー種とかスコッチコリーもいますねー。
……。
え?チワワー?
チワワがいたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!あ!
チワワの日本史に新たな1ページが!!!
しかしマジか。メリーさん一等賞なのに何で誰も注目しないんだよ。昭和犬界の大事件じゃねえか。90年くらい後に鼻血が出るほど喜ぶ奴がいるかもしれないんだから、後世に語り継げよ。
チワワの日本史において、忘れられた「戦前のチワワ」が他にいたのかもしれませんね。
ここから先の調査は、チワワ愛好家に任せるしかないのですが。