昭和5年、香川県善通寺の陸軍第11師団は軍鳩犬班を新設。

それに伴って陸軍歩兵学校から軍犬英智や夏敏が第11師団へ送られたことで、香川県の民間シェパード界も隆盛します。

四国犬界は土佐闘犬を主とする高知県、シェパードを主とする香川・徳島県、四国犬を中心とする愛媛県と、それぞれ独自の犬界を構築。

さらに香川警察犬協会、徳島警察犬協会の設立に至った結果、それら警察犬は戦時を生き延びて戦後復興期の治安維持に活躍しました。

四国は日本屈指の闘犬王国であると同時に、日本屈指の警察犬王国でもあったのです。警視庁しか見ていない「日本の警察犬史」解説者は、視野狭窄をあらためて全国へ目を向けるべきでしょう。

 

善通寺

香川県善通寺の陸軍第11師団軍鳩犬班

 

拝啓

倶樂部益々御發展之程奉賀候。

小生入會以來何等御通信も致さず、誠に失禮に打過ぎ候段御許被下度候。當高松市地方のシエパード界は、昨年十二月下旬に第十一師團に鳩犬班なるもの出來、歩兵學校よりシエパード四頭(※英智、夏敏、實、他一頭は名称不明)及ドーベルマン一頭をもらひ受け飼育致し始めたるに刺戟されたのと、又五月に開催されたる畜犬展覧會にシエパード多數出品され申候たる程の結果、漸く其の飼育の盛大を見、目下の處全市に十四、五頭飼育され居る有様に御座候。

而して最近數日前、市兵事課は師團の命により其の飼育者に對し、犬の産地、生年月日、性別等の調査を致したる程に御座候。

目下の處、優秀犬の僅少なるには殘念至極に有居候。

 

高松市 細渓福太郎(昭和6年)

早大で設立されたシェパード愛好サークル。略称はWSKで会長は中島太郎氏。

日本シェパード倶楽部(NSC)の指導のもと、犬の飼育訓練・繁殖方法を学んでいました。

彼らが卒業する頃にNSCは帝国軍用犬協会(KV)へ吸収合併されてしまいましたが、メンバーの何名かはKVや日本シェパード犬協会(JSV)へ加入しています。

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會は、計劃の一端として會員に多くの犬を見せ、又實際に犬の訓練を見て各自の研究の資料とすると共に、一般學生にも之を公開してシエパード熱を大いに高め鼓舞する目的を以て公開訓練を行ふ事になりました所、幸にも中島會長、深澤先生、井上正夫氏(※俳優)、相馬顧問(※新宿中村屋社長)、其の他の方々の御賛同を得まして、十二月十二日大隈會館裏の庭園に於て吾が會の最初の試みである第一回公開訓練を盛大に行ふ事が出來ました。

當日は何しろ最初の事ではあり會場其の他の準備に手間を取つて、十二時半開始の豫定が二時になつて了ひました。

當日の参加犬は、井上正夫氏愛犬 文(※俳優犬の井上フミ子)、田島氏愛犬 エミ號、中島會長愛犬 フリツツ號、深澤先生愛犬、相馬顧問愛犬 レオ號、シヤロツテ號 と私のビロー號の七頭で、訓練の開始に先立つて中島幸甚君が参加犬の經歴特徴體型等に就て参會者の方々に説明をした後、訓練の實演に遷りました。

 

深澤先生愛犬は中島會長の御宅に生れた仔犬で滿五ヶ月ですが、ボールを持つて來る事など仲々よくやりました。只初めて人中に出た故か、一寸と怖けて居た様に見受けられました。

平素はもつと〃よくやるとの事でした。

熱心な深澤先生の事ですから、今後益々訓練されて立派な作業犬に仕上げられる事と思ひます。

 

帝國ノ犬達-エリー

日本シェパード倶楽部・田島庄太郎氏の愛犬エミ―

 

ビロー號

生後四ヶ月の仔犬で未だ何も出來ないのですが、坐れ、吠えろ、持つて來いをやらせましたが、遊び度い氣持の方が多く、目の前に遊び友達である仲良しのエミ號が居て、其れに戯れたりして上手く行きませんでした。

 

井上正夫氏と井上フミ子

 

文號

今日の訓練會に於て相馬氏のレオ號と共に最も期待して居た名犬でありまして、其の舞臺に於ける演技、或は巧なるベースボール等定評のある犬です。井上正夫氏自ら命令されてベースボール、跳躍、捜索、攻防訓練をやつて見せて下さいました。

ベースボールに於ける捕球振り、打たれた球を非常な速力を以て取つて來る様など、小柄の文號はすつかり見物人の人氣を獨占した觀がありました。

主人の身を護るに嚙み付くのを禁じて單に吠えて相手を威嚇する様に仕込まれた井上正夫氏の訓練法など、尠からず参考になる點がありました。

 

レオ

新宿中村屋・相馬安雄社長とレオ

 

レオ號

相馬顧問御自慢の訓練犬で型も大きく東京に於ては實用犬として、第壹の犬だと云はれて居ります。左脚行進中に於ける諸動作、ハードル三箇の連續跳び越え、五つのハンカチーフの中から主人の物を選び分ける嗅覺訓練、或は捜索、攻防訓練、梯子登り等実に立派にやり遂げました。

殊に主人の身を護る爲の猛烈なる攻撃、高さ一丈に餘る木登り等、觀衆は只感嘆の聲を發し「あゝいふ犬なら是非所有つて見度い」と云ふ私語が彼方此方から聞えて來ました。

吾々も將來實際に犬を訓練する場合に今日のレオ號の諸動作及び訓練者たる相馬顧問の態度がどれ位参考になるかわからないと考へました。

 

犬

同じく相馬氏の愛犬シャロッテ

 

犬

中島太郎WSK会長の愛犬フリッツ

 

シヤロツテ號、フリツツ號、エミ號はマネキンBoyマネキンGirlとして觀衆の前に其の勇姿を誇つて居りました。

此くして盛會の中に會を終へたのは四時半でした。

 

小杉良和「WSK主催第一回公開訓練(昭和6年)」より

 

 

去月二十二日、早大シエパード研究會々員は陸軍歩兵學校軍用犬を見學した。

依つて當倶樂部(※NSC)からは指導兼案内として南、伊藤兩理事、評議員相馬安雄氏が同行した。

當日は日曜日であるのに、松村中隊長、湯川獸醫官、村上中尉、藤村軍曹の諸氏が在校せられて、一行の爲に熱誠なる歡待を惜しまれなかつた。晝時には既に晝食の用意をせられ、茶菓を供せらる等、全く樂しきピクニツクであるといひたい程である。

 

一行は軍用犬の活躍ぶりを見學し、松村中隊長の校門外までの見送りを受け、メンバー石原、河野兩氏に伴はれて農林省畜産試驗場に至り、兩氏の訓練を見學の後、新しき牛乳やバタの御馳走になつて、夕刻歸京した。

當日種々御世話下さつた歩校の方々、石原、河野兩氏には會報を借りて特に御禮申上げます。

 

日本シェパード倶楽部(昭和6年)

昭和6年9月18日の満州事変勃発当夜に戦死した那智・金剛姉弟は大々的に報道され、昭和10年度の小学国語読本では教材にもなりました。

モチロン、9月時点で犬が戦死したことなど日本では知る術もありません。2か月後に飼い主の板倉至大尉も戦死したことで、「国家に命を捧げた軍人と三頭の愛犬」としてニュース化されたのです。

……というのが、報道資料をもとにした那智・金剛の解説内容。

 

しかし日本犬界では、内地の新聞報道より先に軍犬たちの死が報じられていました。那智・金剛姉弟を板倉大尉へ寄贈した青島シェパードドッグ倶楽部(TSC)の浅野浩利氏による、当時の様子をご紹介します。

 

戦死から2年後、那智と金剛には甲功章が授与されました

 

拝啓時下秋冷之候處御起居如何に被在候也。其後俗務に忙殺され以外の御疎遠に打過多謝奉候。

萬寶山事件以來排日の焦點となりて、小生等の業務一頓挫を來し、之が對策及善後措置に沒頭の不仕合に至り閉口在罷。又此度も例によつて例の如く能はざるの打撃を蒙るべく夫のみ憂慮在罷候。

内地歸來者に聽けば(国際)聯盟の經濟封鎖驚くに足らずと頗る景氣の好き事のみ承り候得共、結局聲明毎に退一歩の有様にて終は尻尾を掴まれてあがきがつかない事になるには無御座や寒心に不堪候。

 

偖、去十七日の訓練テスト(※昭和6年10月17日開催のTSC訓練テスト)も午後より降雨の由に候得共、御支障も無く匆々御終了に候や當方幸にともならず候ひしも、曇天にて兎も角も無事修了致候。

排日の關係にて支那側の出陳皆無に候ひしも、成績は前回に比して却て良好に被存候。未成犬は牝牡とも殆んど優劣を辯じ難き有様にて、審査の上に多少の不平も有之候様子に候。斯る接戰と相成ついては誠に不正得事と存候。

 

今夏小生より獨立守備隊へ寄贈致候二頭、北大營の戰に名譽の戰死を遂げ候由、先般板倉大尉より通知致され、我國軍犬最初の犠牲とも存じ、滿足に存じ候。

之に刺戟されて軍犬寄贈者も殖えるやうにも候得ばと只管祈居候次第に候。津下氏も兩三日前一頭を引連れ商工會議所代表慰問使として赴奉の序を以て寄贈被度候。

軍犬の戰死は支那新聞にも譯載せられ、日本人の報公の念に厚きを賞賛致し居候。

 

時局の爲め、犬に關する凡ての計劃も一時中止の已むなきに至り候。小生も内地より相當の系統の仔を購入、當地にて最善を盡し飼育致度と存候得共、十六日以後の成行を見ての上に致度と見合せ候。

其内御願可申上候間別々の系統にて牝牡各一頭御心懸け置被下候。可成三ヶ月位のもの希望致候。

多忙の爲め會報も未だ纏らず困り入り候。中根(※日本シェパード倶楽部・中根榮理事)、中島(〃中島基熊理事)兩氏へ宜敷御鳳聲被下度候。匆々

 

青島シェパードドッグ倶樂部 淺野浩利「TSCの淺野浩利氏より伊藤藤一氏への來簡」より

 

当初は愛犬家だけが知っていた軍犬たちのニュース。

浅野氏がこの手紙を書いた翌月、板倉大尉は白旗堡で戦死。その一部始終は同行していた従軍記者によって速報され、那智と金剛の記事も紙面を飾ることとなります。

2010年ごろに投稿した「インネンドルフ犬ビスケット」の記事、新発売当時の記録を見つけたので再投稿します。

 

戦前の国産ドッグフードとしては、「日本水産製ヒノマル印ドッグーフード」「新宿中村屋製軍犬口糧」「新宿ボルガ製インネンドルフ犬ビスケット」などが存在しました。

最も早かったのがインネンドルフ犬ビスケットで、登場したのは昭和6年。日本シェパード倶樂部(NSC)メンバー向けに販売され、NSC消滅以降も販路を拡大しつつ戦時中まで製造されていました。

 

面白いのは、このフードがスプラッツ社ドッグビスケットへの不満から国産化されたこと。

舶来品のドッグフードは海路輸送中に傷んでしまうケースもあったようで、その結果として新鮮な国産品が求められたのでしょう(ちなみに日本で食品の製造年月日が表示されるようになったのは戦後であり、賞味期限表示の義務化に至っては昭和60年からです)。

というか、スプラッツ製品は満州事変以前から日本犬界に普及していたのね。ちょっとびっくり。

帝國ノ犬達-犬ビスケット
 

上の画像は昭和14年の広告ですが、昭和6年の発売時とは内容がやや異なっています。発売当初は下記のとおり、舶来品との違いが強調されていました。

 

國産品犬ビスケツトの販賣

 

東京市神田區南乘物町三(電話神田二三九二)ヴオルガ方で今度「犬ビスケツト」を製作發賣し出しました。

肉、ミルク、カルシユームが調味してあり、本邦における「犬ビスケツト」として最初の國産品です。

スプラツツあたりの製品は印度洋を經て輸入されるため、どうも濕り勝でおもしろくなく、且つ高いです。

ところが此「犬ビスケツト」は、燒き方が極めて完全であり、四五〇グラムが二十五錢と言ふ安價なものです。メンバー各位に敢て、此ビスケツトを使用せんことをおすすめします。

 

本品の特色

一、最良の材料を使用せるを以て舶來品に比し數等美味にして且つ榮養價絶大なり。

二、燐酸カルシユームを含有する故佝僂病、骨軟化症の豫防となり、妊娠犬是を常用すれば筋骨強健の仔犬を得。

三、黑色ビスケツトは醫療カーボニツク(※粉末状の活性炭)を多量含有して黴菌腐敗物其の他一般不潔物を吸集するを以て、常に犬の健胃强腸を保ち、ヂステムパーの豫防をなす。

四、極度の乾燥を爲すを以て、永年の保存に堪へ、獵犬、軍用犬の携帶用としては勿論、一般家庭犬の食事として最適なり。

五、純國産なるが故に舶來品に比して新鮮にして且つ輸入税無き故極めて廉なり。

◎御注意

本品は肉の含有其の他一般榮養量大なる故、是を仔犬に與ふる時は成犬に比して少量與へるか、若しくは市場一般の安ビスケツトを併用され度。

 

日本シェパード倶樂部(昭和6年)

 


 

忘年会のお誘いが入りはじめる季節。毎年毎年「ロクでもない一年がやっと終わる」と愚痴っていますが、今年も飲んだくれて忘れてしまいたいことがたくさんありました。

 

「今度こそもう駄目かもしれない」と父から電話があった8月のある日。昨晩から愛犬が水しか受けつけなくなり、排泄も垂れ流し状態になっているとのこと。

「俺と母さんが徹夜で看病したけど、今日は出張があるからお前が代わってくれ」

「それは大丈夫だけど、獣医さんは何て言ってるの?」

「老犬の延命措置は飼い主が決めろ、だって」

とうとうこの日が来てしまった。ショックで仕事も上の空のまま2時間後、妹から「さっき息を引き取りました」とメッセージが入りました。

 

有給をとって慌てて実家へかけつけると、いつも彼が寝ていた居間の隅に、いつものように彼が寝転んでいました。

いつもと違うのは、その傍らに花が手向けてあり、妹がべそべそ泣いていて、母が役所やペット霊園へ電話をかけまくって火葬の段取りをしていて。ふと窓をみると、一匹のハエがとまっていて血の気が引きました。

もう死を嗅ぎつけてきたのか。

それから別れを惜しむ時間もなく火葬施設の営業時間終了前に亡骸を運び、夜になって遺骨とともに帰宅。

「16歳だから大往生だよねえ」と骨壺に語りかける母。泣いている妹。なにを話せばいいのかわからず、黙り込む私。

 

ペットの死を「虹の橋を渡る」と表現するそうですが、虹を渡るどころか、まだ庭のどこかに居るのではないか?という錯覚にとらわれます。悲しいというよりは「犬がいなくなってしまった」という喪失感で涙も出てきません。

思うことは「俺は彼にとって良い飼い主だったのだろうか?」という後悔だけ。

形見分けで彼の首輪をもらい、「ついでに残っているドッグフードは要らない?」「要らない」と後片付けも終わり、犬のいない生活がはじまりました。

小学生の頃から我が家にはずっと犬がいて、それが初めていなくなったことで「会話が途切れたらとりあえず犬に話しかける」「手持無沙汰なのでとりあえず犬を撫でておく」という行為が大事な潤滑油だったことを思い知らされました。

なんか、犬がいないと間がもたないのです。

 

薄情な私は百閒先生のようなペットロスに陥ることもなく、以降も平々凡々な毎日を送っていました。

酷暑にウンザリしながら出勤して、食事して、洗濯して、遅ればせながら新型コロナに感染して、それで延期していた定期検診を受けるために病院へ行って。待合室でぼんやりテレビを見ていたら、NHK「みんなのうた」が始まりました。

 

そういえば、「みんなのうた」を見るのは何年振りでしょうか。

9月の放送は緑黄色社会の『僕らはいきものだから』。綺麗なアニメーションだなあと眺めていたら画面の中をイヌがウロチョロしはじめて、あ、コレはヤバいと思ったとたんに涙を抑えられなくなってトイレに駆け込みました。

あの演出は反則だろう。不意打ちを喰らったようなものです。

洗面台で顔を洗っていると、トイレを済ませたご老人が、場所が場所だけに深刻な事情でもあると察したのか「まあ、しっかりしなさい」と声をかけてくださいました。

……痛風の薬を貰いに来ただけなんですけどね。

 

近代日本犬界をネット上で再現するのだ!などと意気込んで2009年にスタートしたこのブログですが、愛犬をうしなった2024年現在は、まるで無数の犬たちの墓守りをしているような心持ちになってきました。

信仰心ゼロの私がいうのも何ですが、百年前にこの世を去った彼らへの「慰霊のようなもの」を軸に据えるべきなのかもしれません。

 

しかしまあ、本当にロクでもない一年だったな。

 

 

 

生年月日 不明

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 大橋氏

 

阪急の蘆屋に降りて、長い登り坂を山頂の方へ登つて行くと、その一番上に大橋さんの家がある。

刺を通ずると猛烈な唸り聲と吠聲で開き戸の上に飛び上り乍ら、私に吠え付く猛シエパードこそヌツクであつて、何十頭と種々な犬の居る此の家の主人公大橋さんは、丈の高い方で親切に應接間にヌツクを入れて色々と話して下さつた。

獨逸の名手キヤザリンの傑作になるヌツクの姿は、ドツグの誌上で度々見たが、實物は今が初めてゞある。その美は腰から後脚にかけて著しい。

大きい均整のとれた犬である。

毛色はブラツクターン。茶が一寸濃い。偉大なものだ。

俗界を離れた古城の様な此處に居るヌツクには、野生美も横溢してゐる。蘆屋の城主ヌツク多幸なれと祈り乍ら長い坂を降つて歸る頃陽はすつかり六甲の西に没して港の灯がちら〃し始める頃であつた。

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會 中島幸基「神戸の名犬を尋ねて(昭和6年)」より

生年月日 昭和4年生まれ

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 ヘンリー・K・ラムスデン氏

 

布引の瀧の裏路を岩の方に登つて行くと、人家の盡きんとする處に、ラムスデン氏の家がある。

一段低く百坪近い運動場がある。遠く扇港の見る景勝の地である。

先日牝を盗まれたとかで、警戒される女中さんに禮を厚くして、近着の名犬トレツフを見せて貰ふ。

堂々たる骨格美に先ず眼を壓せられる。着いたばかりで運動不足らしく、重苦しい感が無きにしもあらず。

ブラツクターンの彼は一九二十九年の十月生れだから未だ若い。厚い胸と太い脚が特に目をひく。

女中さんと犬を玄關に出させて長くは居れぬ。禮を失せぬ裡にと、歩容も見ずに辭去して、一丁ばかりの下の橋爪氏の犬を見せて貰ふ。

アンカはおなじみだ、相變らず美しい。

ピツツオを父に持つたアンカの仔犬二頭、一年近い故か母犬よりずつと大きく、すく〃と伸びて氣味がよい。唯耳の弱いのは榮養過多の故ではあるまいか。

聞えぬ人語をその弱い耳に惜しみ乍ら直ぐ辭去。

一段低く一寸した運動場が此處にもある。神戸の愛犬家の熱心振りが伺はれる。

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會 中島幸基「神戸の名犬を尋ねて(昭和6年)」より

生年月日 

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 セレス氏

 

私の家のジム、カウント等々の故郷に、それ等の慈母ジユターを尋ねてセレス氏を訪ふ。長い大きな顔に昔日の美を偲ぶだけで、既にその姿態、その年齒共に過去の犬である。

初めて彼女を見た日、猛烈に吠えられて逃げ場を失つたその日から四年、その仔犬達が日本シエパード界の第一線に立ち、その孫達へも第一線に出んとする時、老犬の忘られ行くも仕方があるまい。

然し彼女の持つ顔、耳、胸毛、並毛色の美が、殆ど見る人の目にものこらず、消え行くことは、堪え難い哀愁を私の胸に滿すものである。

犬界又無情と言ふべしだ。

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會 中島幸基「神戸の名犬を尋ねて(昭和6年)」より

生年月日 

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 森本元造氏

 

エドックスの仔と伝えられているピーター號がこちら。

 

瀬野さんの犬ボーイさんに案内されて、森本さんの家に行く。さつきの小川に沿つて海岸近く右へ曲つて二丁ばかりの處だ。

ガランとした酒庫の立並んだ間を行くと、矢張り大きな酒庫のある森本さんの家に着く。廣い砂原の様な庭と、使用中でない大きな酒庫は、その一黨の爲に晴雨兩様の最良の運動場である。

酒庫の中の風車式の運動器具は、完全に雨天時の―、特に近頃の様な雨期の―運動不足を償ふであらうと大に羨しくなつた。

が、それよりも尚羨望餘りあるものは、エドツクスとその一黨の優秀さだ。デタ、リンデイ、クロツテイと一夫多妻の上に、エドツクスとデタの仔、ピツツオとクロツテイの仔と、その一黨の何んと多きことよである。而もその何れもが垂涎ものばかりだ。

エドックスは春の展覧會で既知の間柄だが、鋭いその眼と、厚い胸と、太い整つた脚と、低い腰が私の目を一層新にした。何と言つても日本の王座を狙ふものだらう。

唯併し姿態に漲る元氣の薄いのを物足らなく思つた。

行届いた訓練が家人と一緒の訪人の私に、警戒の一聲を先ず與えなかつたのかも知れぬが、一方そう思えてならなかつた。

併し犬も王座に近付けば斯くなるものなのかも知れぬ。王座を狙ふ犬の氣品だらうか。

デタはエドツクス王座に着きたるときのクヰンである。牝に珍しい太い骨格、大きい顔、後脚と腰の美、更にその凡ての人を魅惑し終わる如き眼こそは、彼女に千釣の値を附してゐる。幼き仔を持つて居たからでもあらうが、漲る如き野生美はエドツクス以上に私の眼を喜ばしたものである。

エドツクスとデタ、伉儷好偶又何をか言はんやである。加ふるにリンデイ、クロツテイの二美犬を擁する黨首エドツクスこそ幸福犬の最たるもの。

二美犬共に一流の牝犬。かくして上海にデニスチエン氏(※東洋最先端だった上海デニスケンネルのこと)、神戸に森本氏と併稱の日の來る様、そしてシエパード犬普及の爲め、その一黨益々發展を祈り乍ら、又阪神電車へ。

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會 中島幸基「神戸の名犬を尋ねて(昭和6年)」より

生年月日 

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 森本元造氏→瀬野氏

 

五月の末、競走の爲甲子園に遠征したついでに叔父(※日本シェパード倶樂部の中島基熊理事)に聞いた神戸の名犬を見せて貰つて來た。

シエパードに就ては全くの黄嘴青二才である自分には、名犬の名犬たる所以の全てを見得なかつたであろう。從て之は單なる見聞素描である。

 

阪神電車の魚崎に下車して、岩手の方に小川に沿つて二丁ばかり行くと、(※日本シェパード倶樂部)メンバー瀬野さんのお家の裏に出る。白砂と青松のお家だ。

氏の愛犬マダム・ベツチナは四頭の愛兒と共に、一寸私に警戒の吠聲をあたえた後迎えてくれた。

ドクター・ローズベツクのSG賞とベターセン・シチユルズ氏のV賞を持つてゐる。妖艶人を魅するの甘美さは無いが、典雅の氣品がある。

一寸下つた背は仔を産んだ、母になつた印で、その若々しさを少し傷けては居るが、まだ三歳餘の若い母である。一年前の日の溢るゝ元氣と美しさを偲ばすものが多々ある。成熟美は之からだ。

後脚飛節の美は申す迄もない。その走容には貴婦人の冒し難い威嚴がある。

シエパードの持つスマート、輕快、威壓美を殘りなく備えた此の犬に、頑健美を求めるはマダムなるが故に恕すべきであらう。

此の點を補ふものにその愛兒がゐる。四頭共に牡である。隆々たる骨組は將來の大成を思はすには充分である。その巨大なオデコに至つては、素晴しい顔面美を生後四十餘日にして既に約束してゐる。

此の犬はミスターエドツクス、兩親の名を辱しめざるものと言ふべく、マダム・ベツチナの眞價も亦此の犬等に依て實證されるであらう。

愛犬家瀬野さんの得意滿面の様子を、仔犬の巨大なオデコのあたりに見乍ら辭去する。

 

 

早稲田大學シエパード・ドツグ研究會 中島幸基「神戸の名犬を尋ねて(昭和6年)」より