生年月日 昭和5年

犬種 ポインター雑種

性別 牡

地域 東京府

飼主 中澤澄男氏

 

これまでも、何頭かの学者犬を紹介してきました。

 

トミー1号

http://ameblo.jp/wa500/entry-10471817524.html

 

トミー2号

http://ameblo.jp/wa500/entry-11911793159.html

 

メリー

http://ameblo.jp/wa500/entry-11845164810.html

 

これらに続く学者犬がジョン。訓練法まで記された興味深い記録です。

 

 

加減乗除何でもござれの算術犬ジヨン君―、そのジヨン君を訪ねて本郷西片町十番地ろの九號中澤澄男氏宅を訪れる―。

ジヨン君のことは、既に愛犬新聞で一寸御紹介したが、今日は一つ本人に逢つて、親しく算術振りを拝見しようといふ譯。

 

探す程もなく、中澤氏宅はすぐ判つた。門柱のベルを押すと、女中さんが細目に門を開けて

「あら、ジヨンを尋ねていらしたのですか。はあ、あの小舎にをります。少々お待ち下さい。お取次ぎ致します……」

ジヨン君に取次ぐのかと思つたら―(下らないことを云つてはいけない)女中さん再び現はれて「あの、奥様がどうぞお玄関へお廻り下さいと……」

玄関へ廻ると、まつ子夫人がニコやかに記者を待つてゐた。

「新聞へ出たものですから、すつかり有名になつてしまつて。さ、お上がり下さい。直ぐジヨンを呼びます。いゝえ、家の中から見て頂かないと、知らない人が側にゐたのでは氣を取られまして……」

 

應接間に招じられて、窓から庭を見てゐると、夫人に伴はれて庭に現はれたジヨン君、牡七才、雑種とは云へポインターを臺にした中々スツキリした犬振りである。白地に黒い斜點、所々茶がかつてをり、却々綺縹よしである。

所がジヨン君、一向元氣がない。

 

「昨晩お客様があつて、少し御馳走がジヨンに廻り過ぎて、今朝お腹をこわしてゐるものですから……。

さあ、氣分が悪いらしいので、今日はやりますか知ら……」

夫人がいろ〃にジヨン君の御氣嫌をとるが、彼氏大儀さうで一向に様子が浮かない。

「氣分の悪い時は静養が一番です。小舎へお連れになつたら……」

 

「今から七年も昔、ポインター種で、これもジヨンと云ふ犬が宅にをりました。十二才で亡くなりましたが、この犬が、一つ吠えろと云ふと一つ吠え、二つ吠えろと云ふと二つ吠え、此方で云ふ數通り吠えるものですから、今のジヨンにも數通り吠えさせて見ようと思ひ立つたのです。

宅へ來た時は三ケ月で、もう七年もゐる譯ですが、このジヨンは始めどういふものか、ちつとも吠えない犬でした。

それで、吠えさせるには骨が折れやしまいかと思つてゐましたが、試めしに私が「ワン」と云ふと、ジヨンも「ワン」と吠えるではありませんか。「ワン、ワン」と二つ云ふと、真似して「ワン、ワン」と二つ吠えるのです。

そこで、これなら數を吠えるやうになるなと考へ、「ワン」と云ふ代りに指を一本示して一聲吠えさせ、二本示して二聲吠えさせるやうにしました。

之が基礎となつて、指の代りに數字を示して吠えるやうに教へ込み、今では八十代の數字までは吠えることが出來ますが、澤山吠えると疲れて可愛相なので、あまり大きな數は吠えさせないことにしてをります。

 

算術は、一つと二つを加へるのだよ。三つですよ。ホラ、ワンワンワンと云つた式に教へ、次いで式を黒い板に書いて吞込ませ、この要領で引算から掛算、掛算から割算へと進みました。加へ算と引算は三桁まで、掛算は一桁、割算は百以下の數なら、二桁まで間違ひなく答へます。

 

―それは、もう根氣仕事で、一日十題位を日課にし、毎日新らしい式を教へ、済んだ分を練習します。宅では之を「お勉強」と云ひ「お勉強だよ」と云ふと、ジヨンはすつかりその氣持になり、算術するのが楽しさうです。

苦心したのは、加減乗除の記號を教へることで、式を見せて答を吠えさせるには一方ならぬ骨折りをしました。

今では割つて寄せる算式でも楽に答へます。それから始めは一つ、二つで教へたのを途中から一、二と改めましたが、勝手が違ふので大分ジヨンも面食つてゐました。

式の數字は算用數字ですが、日本字の數は、この頃やつと十まで讀めるやうになり、この分なら數を離れた字を教へても讀めるやうになると考へてをります」

 

そこへどうやら元氣恢復の知らせが來て、ジヨン君の計算振りを拝見する。最初は小手調べで「ジヨンはいくつ?」と夫人が聞くと、七つ吠えたので、記者少したぢたぢになる。

カードの數字を讀ませると、間違ひなくその數だけ吠え、嬉しさうに尾を振つてゐる。

夫人もニコ〃である。

 

次が愈よ算術で、ご主人が黒板に書いた、91÷13をジヨン君に見せると、立所に七つの吠聲を出し、25-5を書いて示せば、二十回吠えてみせる。

「フーム」と記者が感心すると、「今度は六ケしいよ」と夫人は言ひ乍ら18÷3+4と云ふ算式を書く。

ジヨン君、黒板を見てゐたが、すぐ十回吠えつゞけて、これも満點の解答振りである。

なほも種々の式をジヨン君に示したが、氣分すぐれぬらしく、大儀な様子を示すので、ジヨン君の算術はこれで終りとなつた。

 

さて、この算術犬ジヨン君の身許は?

生れは千葉で、東京のある老婦人に貰はれて來た所、近所の下駄や靴を咥へて來るヤンチヤ振りに、老婦人呆れて、ジヨン君を近所の牛乳屋の主人公に譲つた。

所が此處でも主人公が秘蔵の植木鉢を齧つたので、忽ち追放の憂目に逢ひ、牛乳屋からこの中澤邸へ持ち込まれたもの。

嫌はれ者のジヨン君がこんな算術の名犬にならうとは、勿論當時誰も知らなかつた。自分の才能を算術に發見したジヨン君、記者が帰りがけに小舎を覗くと、さも疲れたやうにグツタリ寝そべつてゐた。

 

「算術犬ジヨン 中澤夫人苦心の結晶」より 昭和12年