犬たちも戦争にいった 戦時下大阪の軍用犬
著者 森田敏彦
出版 日本機関紙出版センター
2014年

満州事変ニ於ケル軍犬「那智」「金剛」ノ功績
作成・配布 関東軍軍犬育成所訓練室(通称 満洲501部隊)
昭和17年

夏休みの自由研究、卒論、ただの趣味などで犬の歴史を調べる場合、資料探しに難儀する人は多いでしょう。
『犬の現代史』や『犬の帝国』など、優れた歴史テキストは幾つもあります。児童文学でいえば『シェパード犬カロー号』『ボクちゃんが泣いた日』も、当時の関係者に取材しただけあって描写は正確そのもの。
ペット献納運動を描いた『犬の消えた日」や、帝国軍用犬協会国防犬隊(民間のペットで編成された実在の義勇部隊)を登場させた『ああ!五郎』みたいな作品も興味深いですね。
残念ながら、読むに値しない作品(当時の記録を調べてすらいない脳内ファンタジー)も散見されますけど。

とても嬉しいことに、新たな良質のテキストが出版されました。
今回ご紹介する森田敏彦著『犬たちも戦争にいった』は、「戦時下の大阪」に時代・地域・分野を限定した畜犬史。内容は正確ですし、よくある「東京視点で語られる日本犬界史」とも違います。

勘違いされやすいのですが、近代日本犬界を東京中心で纏めるのは無理があるんですよね。
東京の出版社が東京の国会図書館で調べた東京在住の著者の本を出版する場合、東京視点の内容になるのは仕方ありません。困るのは、「東京の犬界史」を読んで「これぞ日本の犬界史である」と拡大解釈する読者が量産されること。
それは、「東京のウドンは汁が黒いから、全国どこでも黒いのである」などとノタマウが如き暴論なのであります。

その点で、大阪の出版社から大阪視点での銃後畜犬史が出版された意義は大きいかと。
戦時犬界史を把握するためには、まず「近代日本」の範囲を地図で確認しましょう。現代は日本列島だけ見てればいいんですけど、近代日本は違います。
その上で、内地犬界(日本列島)・外地犬界(南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾・南洋諸島)、および日本犬界の双生児たる満洲国犬界や関東州を含めた鳥瞰図的視点をとるか、本書のようにエリア限定で犬の歴史を深堀りする「虫瞰図」に徹するしかありません。
それらの集合体こそが「日本の犬界史」なのです。「東京エリアの戦時犬界史」が通用するのは、せいぜい関東エリアのみ。

何が言いたいのかというとですね、この本が取り上げているのは「大阪エリアの戦時犬界」であり、せいぜい関西地方でしか通用しないというコト。
 先にウドンの汁で例えましたが、本書を「これこそが日本の戦時犬史である!」と捉えるのは、「関西では発酵した大豆を食べないので、日本全国どこでも納豆は食べないのである」とノタマウが如き暴論なのであります。
たぶん、その辺を勘違いする人が量産されるんだろうなあ。

たかが犬の歴史であろうと、本を読んでオシマイではありません。
森田氏が示したのは、イヌに関する郷土史調査のお手本です。自分が住む地域の戦時犬界事情は、各自で調べましょう(関西の人を除いて)。
 
【関東犬界と関西犬界】

しかし、この本は大阪密着に徹する気があるのでしょうか?
サブタイトルには「戦時下大阪の軍用犬」とあるのですが、表紙に掲げてあるのは「東京で開催された帝国訓練優勝犬競技大会」の写真なんですよね。
のっけからトップを東京へ譲るとは、大阪の奥ゆかしさが表れています。

写真週報

『犬たちも戦争にいった』の表紙を飾るのは、昭和13年の『寫眞週報(内閣情報局)』に掲載された写真です。東京の多摩川京王閣で開催された帝国訓練優勝犬競技大会を取材したもので、参加したのは軍部の所管犬ではなく、在郷軍用犬(要するに民間のペット)でした。
ちなみに優勝したのは北陸支部のエルヴィン・フォン・フィールランド號。ムリヤリ関西方面へこじつけると、大阪勢としてアレックス・フォム・ハウスシロキタ號(所有者 上田栄太郎氏)が四席に入賞していますね。

まあ、些末事は気にしない。
それよりも何で大阪犬界を選んだのか?と疑問に思っていたのですが、森田氏はこのように述べておられます。

「筆者は、一昨年に出版した軍馬に関する著作の資料をあつめる過程で、大阪で出されている新聞には、地方紙とちがって、軍犬に関する記事が多数掲載されていることに気がついた。おりにふれてそれらを読んでいくなかで、軍犬について興味ぶかい事実を知ることができた。
本書は、軍用動物=「動物兵士」シリーズの二冊目として、新聞記事や関連文献からあつめた資料を利用し、筆者の住む大阪を舞台に、軍犬をめぐる戦時下の住民の動向の一端をまとめたものである。
シェパード犬などが軍用犬として訓練され、「動物兵士」となって戦場に送られるまでの経過をしらべ、それにかかわった人々の属する階層を分析すると、軍用犬の訓練と軍への供出にもっとも熱心だったのは自営業者などの中間層の人たちであることがあきらかになった。かれらは「軍犬報国」を合言葉に、「草の根の軍国主義」の主要な担い手として地域での戦時体制を支えたのである(p.146)」

ナルホド、軍馬調査の余録なんですね。
私も犬の歴史を調べているのでよく分りますが、その過程で意図せずに馬や牛や豚や鳩や羊や猫や兎の史料とかも集まったりするのですよ。当時の関西犬界の層の厚さは関東エリアや満洲国に匹敵し、記録もたくさん残っていたのでしょう。

大正12年の関東大震災で、国際港横浜を有する関東犬界は壊滅的な打撃をうけました。
復興までの間、国際港神戸を有する関西犬界には続々と名犬が上陸し、日本犬界の中心的役割を担います。
こうして「関東の人間が審査し、関西の犬が受賞する」と揶揄された東西二大勢力に加え、国際港凾舘を有する北海道犬界、国際港長崎および下関を有する九州犬界が次々と台頭。
各府県や樺太・朝鮮半島・台湾・満洲国の地域犬界が群雄割拠する状況へと至っております。物流や情報網が現在のように発達していない時代、地域犬界の独自性も今より顕著だった筈。
何度も繰り返しますが、それら地域犬界の集合体が「日本犬界」でした。

【重箱の隅をつつきます】

その近代日本に対して、森田氏は批判的な立場から論じていますね。
戦時犬界について語っていた筈が、「ふたたび犬たちを戦争にいかせないために」などとゲンダイ軍用犬論へワープするのも御愛嬌。「あらら、例によってこの着地点か」と苦笑いで済ませられますし。
もはや様式美と化しておりますが、この手の歴史本には「ラストで何かしらのお説教を垂れなければならない」というルールでもあるのでしょうか?
犬の歴史解説はアジテーションやポエムの発表会ではありません。

そのお説教パートにて森田氏は海上自衛隊の犬を取り上げていますが、そのくせ海軍犬の歴史を繙いた上で両者を比較検証するようなことは一切ナシ。
陸軍犬史と絡めて批判したければ、警察予備隊・保安隊・陸上自衛隊の警備犬史に繋げるのが筋です。
「日本軍犬=日本陸軍の犬」という陳腐な先入観が、本書の限界でもあるのでしょう(これは保守系の論者でも同じこと。やたらと日本陸軍の犬と海自や空自の犬を絡めたがるんですよ)。
結局、自説のために犬を道具扱いしているのではないのですか?それは、戦時中に犬を道具扱いした連中と何が違うのでしょうか?

そして、総仕上げとして唐突なアメリカ軍用犬批判へ走り幅跳びされても「ああ、この部分は付け焼き刃のアジテーションなのか」と見透かされるだけです。完全な蛇足。余計なコト書かなきゃいいのに。
……大阪犬界と米軍K9に何の関連性があるのでしょうか?そこから明示していただきたいものです。

当然ながら、海軍も軍犬を配備していました(『横須賀海軍軍需部軍用犬近況(昭和10年)』より)

まあ、その辺を差し引いても、本書は凡百の軍用犬論とは一線を画しています。
私が一番感心したのは、真っ当な軍用犬批評をする上で、まずは憶測や妄想や先入観や感情論を排除している著者の基本方針です。

「戦時中、民間の犬には赤紙が来た!」
「軍部に愛犬を強奪された!」
などというお涙頂戴の作り話を、森田氏は開始早々に一蹴します。

軍用犬には徴発制度がなかったので、犬の召集令状」という記述は誤りであり、おそらく軍への献納か、軍による買い上げを強いられたのであろう(p.2)」

こういう手法は、作者の立場にとって何の得にもなりません。
むしろ「戦争はヒドイ!」「ワンコがカワイソウ!」「軍が犬を強奪した!民間人は被害者だ!」と涙する人々におもねった方が共感も得やすく、著書の売り上げも増える筈です。
それを「強奪ではない。一般市民は愛犬を軍に売ったり寄贈していた戦時体制の協力者だ」とバッサリ斬り捨てるとは。
不利を承知で歴史に誠実であろうとする、森田氏の姿勢には敬服しました。
感情で歴史を語る人へ反論しようと、戦時犬界の記録を並べ立てても逆ギレされるだけ。オノレに都合良い記録しか見たがらない歴史修正主義者は、右左を問わず多いんですよ。
その結果、戦時犬界史は美化や罵倒という感想文発表会へ陥ったワケです。

イヌに関する歴史論争は大いに結構ですが、それは共通の土台に立ってやるべきです。
対立する双方が怒鳴り合ったところで、犬の年表には何も書き加えられません。そもそも犬の戦時史は、ジャーナリストや軍事オタクではなく犬界関係者が編纂すべきでした。
犬界側が全てを丸投げして責務を果たさないならば、森田氏のような郷土史家が頼みの綱です。
本書は「共通のテキスト」としても利用できるんじゃないですかね。

日本軍という「シェパードの大手就職先」が存在した時代。
国策として軍犬調達システムに民間のペットが組み込まれ、軍犬報國運動で国民への浸透が図られ、マスコミに煽られた大衆が熱狂的・自発的にそれを支えていたこと。
シェパードの供出は、軍と民間飼育者の売買契約が実態だったこと。

評価の部分は違えど、「それが戦時犬界の実態である」という筆者の見解には同意します。森田氏と私は、使っている史料も同じな訳で。
つまり、やっかみ半分で本書を批判してもブーメランとなってオノレへ突き刺さる訳で。
だから、外野としては野次を控えて声援を送るしかなく、心根が捻じ曲がった私としてはどうにもこうにも欲求不満が溜ります。

犬の歴史も、「ねえねえこんな記録見つけた」と原石の発掘作業に専念するガリンペイロや、それを立派な論文に仕立て上げる宝石職人や、それらを眺めてアレコレ論評する鑑定士などで構成されています。
私は発掘作業だけしていればいいんですけど、やっぱり口惜しいじゃないですか。
同じ鉱山を掘りながら、何で自分にはコレが書けないのだろう?高校時代からイヌの歴史を調べている俺が、ウマの歴史を調べていた人から易々と追い抜かれるとは。ウマだけに調べるスピードも早いのか。嗚呼情けない妬ましい。
いつものように、重箱の隅をつついて己のプライドを保ちましょう。そうしましょう。

ここから先は盲腸・蛇足レベルの付け足しです。



それでは、表紙以外へのツッコミを。
全体の批評は避けて枝葉の部分をネチネチと……そんな箇所は殆んど無いんですけど。

・義勇軍犬隊について
せっかくKV義勇軍犬隊(p.134)まで辿り着いたのですから、本土決戦用の「国防犬隊」が関西で編成されたか否かも調べて欲しかったです。あと一歩なのに勿体無い。
今のトコロ、熊本県と石川県で国防犬隊が編成された記録しかないんですよね。
戦争初期からボランティア活動していた義勇軍犬隊と違い、戦争末期の準軍事組織である国防犬隊の手掛かりは余りに少ないのです。

・軍犬を使った非人道行為について
このデリケートな話題を取り上げたのに、証拠として出したのが中国の詩とは何だそれ?
史料としては関東軍のレポートや日本兵の証言を列挙すべきでした。戦争犯罪の証言を「中国側のプロパガンダ」で全て片付けようとする向きもありますからね(勿論、ソレも混じっている筈ですが)。
満洲国や日中戦争における便衣掃討の記録や写真を見るに、無辜の民衆への威圧や捕虜の虐待に犬を用いた暗部があったのは確かです。

黒歴史の発掘には、外国のポエムよりも旧軍関係の史料を使用しましょう。「逮捕せる潜伏匪又は通匪、嫌疑者等の調査訊問に當り、各種の拷問をなすも容易に白状せざりしも軍犬を以て威嚇し、又は襲撃をなすときは極度に恐怖して事實を白状し、爲に連累者の逮捕或は有利なる匪情を得たること多し(画像の史料より抜粋)」みたいな事例が載っていますから。

・「陸軍大臣と戦場に送られなかった犬の話」について
田中とめさんが荒木貞夫陸相に献納したゴンとメリーは、戦地へ行かず「春日神社にもっていかれてしまったのである(p.58)」と書かれていますが、これは軍用犬ではなく春日大社史や猟犬史の分野で語られるべき記録です。
日本でも珍しい「鹿追犬の運用事例」として。
しかし、荒木の愛犬シトーについてはちょっと触れた程度というのが意味不明。テーマ上、ゴンとメリーよりシトー・フォン・ニシガハラ を取上げるべきじゃないの?シトーこそが軍犬報国運動のシンボルであり、春日神社の鹿追犬より銃後犬界への影響も多大なものがありましたし。
……シトーは東京在住だったのがダメなんですかね?

春日大社
春日神社の初代鹿追犬「弟丸さん」。
昭和5年に春日神社神鹿保護担当の首藤佐久三氏が育て上げました(弟丸の死後、荒木貞夫がゴンとメリーを新たな鹿追犬として寄贈しました)。

本書では取り上げていませんが、ゴンとメリーが春日神社(「春日大社」の呼称は昭和21年から)へ寄贈されるまでの経緯が記録されています。春日の鹿追犬を調べる以上、森田氏も目を通した筈なんですけどね。何で書かないんだろう?
この話は、周辺農家への鹿害対策に悩む春日神社神鹿保護會が、鹿追犬「弟丸さん」を採用したのがソモソモの発端。荒木陸軍大臣も、関西視察へ赴いた築山博一大尉経由で弟丸の存在を知っていました。
農地への神鹿侵入阻止のため大活躍した弟丸さんも、昭和8年にジステンパーで死亡。
弟丸の死と春日神社の落胆ぶりを伝え聞いた荒木貞夫が、「二代目の鹿追犬にしてほしい」と手元の藤丸(旧名ゴン)・杉丸(旧名メリー)を春日神社へ贈呈した流れまで説明しないと、あれではアラーキーが田中さんの厚意を無視した横暴なオッサンみたいではないですか。
まあ、確かに横暴なオッサンでしたけれど。

・ペットの毛皮供出について
森田氏の見解は前述のとおり。私の見解は……、長くなるので連載記事にしておきました。

・日本シェパード倶楽部について
犬の歴史解説でありがちな「帝国軍用犬協会(KV)と日本シェパード犬協会(JSV)を善悪の対立で描く」という阿呆な手法は賢明にも回避されていましたが、両団体が日本シェパード倶楽部(NSC)を源流とすることは明記してほしかったです。
そのNSCが「自由な愛犬趣味に浸りたい(p.28)」だけの愛犬団体ではなく、軍用シェパード普及のため陸軍歩兵学校軍用犬研究班への接近を早期から図っていた事実も含めて。
森田氏はNSCの資料に目を通していないようですが、実際は下の画像のとおりです。

NSC会報に登場する軍人メンバーたち。松村千代喜少佐は関東軍軍犬育成所長、築山博一砲兵大尉は帝国軍用犬協会の設立を裏工作していた人物です。
貴志重光大尉は関東軍軍犬育成所の創設者、湯川忠一獣医は関東軍の軍犬調達を担いました。
藤村高軍曹は那智・金剛の主人である板倉至大尉の部下です。
更に、敵である中国軍南京特種通信隊指揮官の黄瀛もNSCメンバー。
つまり、NSCと陸軍は密接に結びついていました。

本書ではNSCが「民間の有識層による愛犬団体だった」と述べていますが、メンバーに多数の軍人がいた事実を隠蔽してはいけません。シェパード普及のため軍への採用を目論むNSCと、NSCの有するドイツ式最新訓練理論を学びたい歩兵学校の意図が合致した結果、日本陸軍の軍犬研究は急速に発展できたのです。
それは、参照元である『犬の現代史』でも解説してある通り。
当時のNSCやJSVを純粋な愛犬団体として描くのが、KVと「善悪の対比」をしたいがための印象操作なのはバレバレなんですよ。
戦時下において、軍用適種犬シェパードの登録団体は戦時体制に組み込まれていたのです。そもそも陸軍に犬を供給していたKVが悪ならば、海軍へ犬を供給していたJSVは何なんですかね?

で、荒木貞夫と大島又彦中将の画策によってNSCはKVへ合併されてしまうのですが、東京本部がやらかしたKV・NSC合併騒動の報に関西をはじめとするNSC地方支部メンバーが大混乱に陥ったハナシとかは、残念ながら本書に載っておりません。
NSC東京本部の話ではなく、関西シェパード界の動向を知りたかったのですが。

このKV誕生のきっかけとなったのが、昭和6年末から宣伝され始めた那智と金剛の戦死報道です。
歩校軍用犬班出身の板倉至大尉は渡満後、関東軍獨立守備歩兵第二大隊に所属。そして昭和6年9月18日の満州事変当夜に軍犬「那智」「金剛」姉弟と僚犬メリーを実戦投入しました。
3頭はその夜の戦闘で死亡。2か月後に板倉大尉も戦死したことで、「国家に命を捧げた主人と姉弟犬」のニュースは大々的に報じられます。
板倉大尉が元NSCメンバーだったことから、NSC内部も「これを機にクラブは親軍路線へ変針すべき」「いや、同好会としてやっていこう」と真っ二つに分裂。親軍派幹部は一斉にNSCを脱退し、新たな軍犬報國団体であるKVを設立しました。
軍犬報国運動は、KVではなくNSCを源流とするのです。

以上、ツッコミ終了。

この那智と金剛の物語は、『犬のてがら』として、昭和10年の小学国語読本に掲載されています。
そこを取り上げたのが、第4部の「軍犬と子供たち(p.102)」。
教材や各種メディアで軍犬美談に触れた児童と、その影響に関する解説を一番興味深く読みました。当時の軍犬報國運動は少国民向けにも展開されており、軍犬紙芝居や軍用犬実演には子供達も親しんでいたのです。戦時下において、それらは娯楽の一つになっていました。

「これらは、軍犬の活躍を報じた新聞記事を読んで発奮し、自分自身軍陣に志願するようになったり、犬を供出したのは「お国のため」でしかたがないという気持ちが、積極的な共感にかわっていった事例である。
当時の子どもの中には、このように「軍犬美談」の影響をうけて、戦争への積極的な同調意識を身につけるようになったケースがよくみられたにちがいないp.114)」

巷ではそちら方面の考察も多いのですが、大抵は中途半端なモノばっかり。きちんと分析したのは森田氏が最初でしょう。
本書における考察は的外れな部分が一切ないので、すんなりと頭に入ってきます。これがニセモノ論者の場合、何を血迷ったか忠犬ハチ公を誤射し始めるんですけどね。
おいおい、狙う相手はハチ公じゃなくて那智號だろう、と読む方もイライラする訳です。秋田犬とシェパードの区別もできないのかお前は、と。

犬を使った軍国教育論に関して、リトマス試験紙となっている教材が小学2年生向けの『オンヲ忘レルナ』と小学5年生向けの『犬のてがら』。
論者が「ハチ公物語=軍国教育」と言い出すか否かで、マトモな歴史批評か否かも判別できます。一度でも読んでいれば、その辺に触れるのはイヤでも慎重になりますからね。

森田氏は『オンヲ忘レルナ』にもきちんと目を通したようで、ハチ公には言及しておりません。
一行も読んでいない癖に「ハチ公は軍国教育に利用されたのだ!ケシカラン!」と喚き散らす、そこらの無責任なセンセイとは月とスッポン、雲泥の差であります。

しかしまあ、例に挙げられている『犬のてがら』や『軍犬利根』も、最近はハチ公物語並みの扱いとなってきましたね。教科書の軍犬武勇伝が児童の戦意高揚に利用されたという部分も、新鮮味はありません。
そういえば現代の軍犬讃美にも利用されていますけど、大人である彼らも考察や考証なしに小学校の教材内容を素直に信じているのでしょうか?
軍国教育が効果抜群だった理由が、何となくわかったような気もします。人間って、洗脳されやすいのね。

学校で教わった軍犬美談に感銘をうけ、「ウチの犬も御国の役に立てなければ」と願った子供がいたのかもしれません。
新聞雑誌で読んだ軍犬美談に感銘をうけ、「よし、お前も敵の機関銃陣地へ突入しろ」と愛犬に命じた軍犬兵が……、居なかったことを祈ります。
零メートルまで接近しないと噛みつけない犬と、100メートル先から弾丸を発射する銃とでは、どちらが強いかくらい理解できたとは思いますけど。

当時の子供達はやがて大人となり、戦時中に学んだ「殺人犬」の話を戦後へ伝えました。そして、血に飢えた日本軍犬のイメージは世代を越えて受け継がれてゆくのでしょう。
犬の歴史教科書がないために、無知で不勉強で犬への愛情すらないアジテーターの介入を招き、犬は歴史論争の道具へと貶められました。
日本の戦争に駆り出された犬達は、その死後も日本人から無惨な仕打ちを受け続けているのです。
犬の戦時史を編纂するのは、そういった犬たちへの日本人としての贖罪でもあります。



何だかよく分らないオチになりましたね。
本書によって、戦時犬界史解説からポエムや感想文が駆逐されることを願っております。