ナイジェル・オールソップ著 
河野肇訳
株式会社エクスナレッジ 
2013年 1800円くらい


帝國ノ犬達-軍用犬
表紙はこんな感じでした。

軍用動物史の傑作として知られる、マルタン・モネスティエ著「図説・動物兵士全書」。
内容は素晴しいこの本ですが、日本人としては欧州中心(特にフランス)の視点が気になりました。
1998年の出版なので、2013年現在では物足りない部分もあります。「最新情報」はすぐ陳腐化しますからね。

それを補完する本が、今回ご紹介する「世界の軍用犬の物語」です。
発売日に書店へ走りましたが、イナカゆえに漸く入手できたのは4軒目。
アマゾンで買えばよかった……。

本書が出ると聞いて真っ先に思い浮かんだのは、「世界の軍用犬といっても、欧米中心の内容じゃないの?」という不安。
「警視庁の警察犬史」に過ぎないものが「日本の警察犬史」と称して語られていたり、「日本人と犬」というテーマの中身が単なる忠犬ハチ公論だったりと、日本だけでも看板に偽りありのケースって少なくないのですから。
他の道府県警の犬たちは、日本の警察犬史にとって無価値な存在なの?
日本人と犬との何千年に亘る関係を、たった一頭の秋田犬で説明できるの?
そんな訳ありませんよね。勘違いしている人は多いですけど。

だからといって全てをカンペキに網羅する訳にもいきません。世界は広いのです。
帝國ノ犬達が対象とする時代・地域を「近代の日本の犬」に限定しているのは、アレコレと手を広げ過ぎて収拾がつかなくなるのを防ぐため。それでも収拾つかなくなっていますけど。
この本が「古今東西の軍用犬」を対象とするならば、広く浅く取り上げる他ないでしょう。イチイチ掘下げていたら、各国ごとに一冊ずつ軍用犬の本が出来上がってしまいます。
……どちらを選んでも中途半端になりそうですね。
その辺に関して、著者はどのようにバランスを取るのでしょうか?

読み始めてすぐ、私の杞憂は消え去りました。
守備範囲を広めるため、本書は二部構成となっています。
第Ⅰ部では、軍用犬の起源、歴史、種類、役割について。
第Ⅱ部は国別の軍用犬事情について。
掘下げた話は第Ⅰ部、広く浅い話は第Ⅱ部と区別する事で、内容が散漫になるのを回避しています(たぶん)。



ナイジェルさんの意見で、興味深かったのはこの部分。

「国別の軍用犬の使用状況については、すべての国について紹介するのではなく、筆者が勤務した国や主要な国に限定することにした。また、細部の情報や開発途上の技術あるいは人名については、危機管理の観点から伏せたものもある。
私はこれまでの20数年間、軍と警察で軍用犬と警察犬のハンドラーを務めてきた。
本書のいくつかの部分は私自身の体験に基づいて書かれている。
軍用犬の歴史について言えば、日々、新たなページが書き加えられている。
本書が出版されるときまでには、世界のどこかで起きた出来事によって新しい年表が作られているかもしれない(「世界の軍用犬の物語(pp.15-6)」より)」

この「新しい年表」の話には頷かされました。
我が国の場合、「新しい軍用犬の年表」に該当するのは自衛隊の犬史です。
しかし、日本軍解体→警察予備隊→保安隊→陸自→海自・空自という流れの中で、軍事オタクが語るのは海自と空自の犬ばかり。
昭和30年代に配備されていた陸自犬、それ以前の保安隊や警察予備隊の犬については完全に無視されています。
旧軍の犬と絡めて自衛隊の犬を語っている人は、その辺の時系列を把握しているのかしら?
犬の軍事利用反対を叫ぶ動物愛護家にしても、「戦後日本と軍用動物」という視点は皆無ですし。
自衛隊の犬はボウフラみたいに降って湧いた訳ではなく、イロイロな経緯を経て現在に至っているのです。
保安隊や陸自とJSAの関係とか、掘り下げれば興味深い記録もアレコレ出て来るのですが。


帝國ノ犬達-警備犬
ケージの中にて待機中の航空自衛隊歩哨犬。

いやマジでその辺を怠ると、現代日本の畜犬史は近代畜犬史の失敗を繰り返すことになります。
思考停止に陥った「近代日本の犬の年表」がそうでしょう。載っているのはカメ・ハチ公・戦争と犬・狂犬病だけという、余りにもブザマな姿を晒していますよね。
酷いのになると、オノレの思想信条を開陳する道具として犬の年表を利用する人までいますから。
更には戦前の記録を調べるのが面倒なのか「〇〇は戦後にアメリカから持ち込まれた」で全てを片付ける研究者もいて、それを鵜呑みにした読者もウソ年表をどんどん拡散。
やがてウソは真実として定着してしまい、次世代の研究者も無批判にこれを流用し、それを鵜呑みにした読者が……などと、間抜けな連鎖は21世紀の今も続いています。

日本の軍犬史を語る人はたくさんいます。その立場も、美化や評価や批判や罵倒と様々です。
不思議なのは、軍犬について語る彼等が共通のモノサシを持っていないこと。
「日本の軍用犬とは何か」の定義や、軍犬の調達・運用・管理の原則も知らずにイロイロ叫ばれても、ソレでは議論が成立しないだろうと思うのです。
まずは同じ基礎に立ってから、各々の見解を主張すればいいのに。
調べるのは大変だと思いますが、単なるイメージや枝葉のエピソードだけで「国家と犬」を語られても困るのです。
「調べるのが大変」な状況をつくったのは、思考停止に陥っていた日本の犬の研究者たち。
戦後、彼等が作成すべきだった「近代日本畜犬史」が存在しないのです。「イヤ、存在する」と言われても、たかが1ページ程度の「年表」とやらで長大な日本の犬の歴史を説明できる訳ないでしょう。
そう責任転嫁されても仕方ない現状があるのです。

自国の大切な犬の歴史が、このような状態で放置されているのは悲しいことです。
戦前・戦中の日本(および満洲)にも、和犬や洋犬や愛玩犬や番犬や野犬や猟犬や盲導犬や俳優犬や荷役犬や牧羊犬や警察犬や軍用犬やレスキュー犬や競犬や税関犬や国境警備犬や地雷探知犬や麻薬探知犬や郵便犬や鉄道犬といった犬達がいました。
それら全てを載せたモノが日本の犬の年表でしょう。
しかし彼等の存在は忘れ去られ、「戦後にアメリカから持ち込まれた」で片付けられ、虫食いだらけの犬年表が壊れたレコードのように繰り返されているのです。

現代の日本畜犬史に、同じ轍を踏んでほしくはありません。

帝國ノ犬達-アメリカ
アメリカ戦略航空軍団(SAC)の警備犬。1959年


閑話休題。
この本の著者はオーストラリアで警察犬を担当する警察官です。しかも15年に亘りニュージーランド軍で軍用犬ハンドラーを務めて来た軍用犬の専門家。
各国軍用犬関係者からの情報提供を含め、よくまあココまで調べたものだと感心します。

そうやって感心はすれど、私が興味あるのは近代の畜犬史。
申し訳ないのですが、現代の話はスキップしました。

日本の軍用犬史と関わりが深いのは、お手本としたドイツ、日露戦争やノモンハンで対峙したロシア、エアデールテリアの運用法を盛大に試行錯誤してくれた反面教師のイギリス、詩人黄瀛(日本陸軍士官学校出身)から始まる中国・台湾の軍用犬。
あとは太平洋戦争から日本進駐におけるアメリカですか。
その辺だけ熟読すればよいでしょう。



ロシア編では、日露戦争時にリチャードソンと接触したエピソードが取り上げられていました(p.38)。
しかし、日英同盟を結んでいたイギリスの軍人がロシア側に協力した理由は省かれています。省かれた部分とリチャードソン少佐の怨念は、当ブログのエアデール編でどうぞ。
日露戦争で活躍した負傷兵捜索犬も登場しているのですが、彼等との遭遇が大正2年の日本陸軍軍用犬レポートへと繋がったという史実は、当然ながら載っておりません。
あとは、無残な対戦車自爆犬の話ばかりでゲンナリしてきます。

帝國ノ犬達-ロシア
ソ連軍の負傷兵捜索犬。日露戦争あたりまでのロシア軍衛生犬は医薬品を負傷兵の許へ届けるのが任務でした。第一次大戦以降、捜し出した負傷兵の許へ救護チームを誘導する方式が主流となります。

で、ロシアの敵かつロシア軍犬界の恩人であるイギリスについてはとても詳しく書かれています。
日露戦争でリチャードソンに触れておきながら、第一次大戦に関して成功例しか載ってないのは御愛嬌。エアデールテリア以外に雑多な犬を投入したドタバタとか、その辺の黒歴史は見事にカットされています。
武士の情けって奴ですかねえ。
あと、イギリス空軍の犬達が空襲の被害者救助で活躍していた話(p.93)は興味深く読みました。
日本のKV義勇軍犬隊と同じことをRAFでもやっていたとは。しかも本格的に。
RAFのようにKV義勇軍犬隊が活躍していたら、日本のレスキュー犬史も違う物になっていたのでしょう。
B29の無差別爆撃を前に、それは不可能だったのですが。

帝國ノ犬達-イギリス
近衛歩兵ウェルシュガーズ連隊のマスコット犬。たぶんコーギーの雑種。

ドイツはどうなのかというと、特に目新しい話は載っていません。それどころか獨逸SVやシュテファニッツ大尉の話すらナシ(P.42とP.170)。
ドイツ軍とシェパードを語る上でその辺の基礎をすっ飛ばして良いのでしょうか?
無名の牧羊犬だったジャーマン・シェパード・ドッグが、1914年から主力軍用犬種の座へ駈け上がった流れは、世界軍用犬史において外せないと思うのですが。
ちょっと意外でした。

帝國ノ犬達-ドイツ
ドイツ国防軍兵士と愛犬

中国(p.247)は人民解放軍の話中心で全く参考にならないですね。列挙された中国軍用犬チームが、どのような経緯で現在に至るのかという部分は完全に欠落しています。四千年の歴史にこだわる国なのですから、その辺を辿ってみる配慮はナイジェルさんになかったのでしょうか?
ルーツとなる国民党軍や八路軍の時代はおろか、台湾すら出てこないとは……。
てな訳で、台湾蕃人捜索犬や中国軍特種通信隊が如何にマイナーな存在なのかを再確認できました。

日本がルーツ といえば、韓国と北朝鮮について言及されてないのは何で?
朝鮮戦争の話はありますけど。

帝國ノ犬達-黄瀛
戦争勃発前、日中両国の軍用犬関係者による最初で最後の交流会風景。
中国軍側からは特種通信隊の黄瀛隊長と李家駒少校、日本側からは帝國軍用犬協會の坂本健吉陸軍少将や陸軍歩兵学校軍犬育成所の三重野信大尉が参加しています。日中戦争がなければ、この交流は継続される筈でした。
中国における近代的軍用犬の父である黄瀛氏ですが、我が国では詩人として有名です。
文中のNSCとは日本シェパード倶楽部のこと。NSCと中野伝書鳩調査委員会で犬と鳩の知識を学んだ黄瀛氏は、中華民国軍入隊後に傳令犬・傳書鳩部隊である「特種通信隊」を創設。
しかし、同部隊は昭和12年の日本軍南京侵攻によって壊滅します。
その後も国共内戦とか文革とかアレコレあって、黄瀛の犬達を含めた中国近代軍用犬史は“無かったこと”に相成りました。
黄瀛の研究者に対し「何で特種通信隊を取り上げないんだ」と非難するのも筋違い。詩壇としても、「鳩を愛した詩人・黄瀛」のイメージは壊したくないでしょう。
黄瀛の研究としては勿体無いハナシだとは思いますが、仕方ないのです。
わざわざ敷居を高くしている相手に協力する義理もありません。今頃になって「黄瀛の新事実発見!」とか騒ぎ出す研究者がいたら噴飯モノですが。



最も情報量が多いのは、矢張りアメリカ。
流石にあっちこっちで戦争しまくってきただけの事はあります。
軍用犬批判をする人々が判で押したかの如くアメリカの軍用犬ばかり叩くという怪現象は、このように開示された大量の記録が原因なのでしょう。
「動物愛護を唱えるなら中国や韓国や北朝鮮やロシアの軍用犬も批判してみろ」と言われても、あちら方面は情報が少ないのです。出る杭を叩くのは仕方ないのかも。
もしかしたら犬の事なんかどーでもよくて、単に「アメリカ叩きのネタ発見!」くらいに思っているかもしれませんけど。
南北戦争で戦い、南太平洋の島々で日本軍と戦い、酷寒の朝鮮戦争で戦い、ベトナム戦争の敗退では現地に遺棄され、今なおアフガンやイラクの戦場へ投入され、更には「アメリカを叩く為の動物愛護」の道具にされ、記念碑を建てたら殺人犬と罵倒され、アメリカの軍用犬も結構大変なんですよ。

この本を読んで、私も参考になるネタがたくさん見つかり喜んでおります。
ただ、それらを軍用犬への批判や美化に使ったりはしません。著者もそんな事の為に本を出版した訳ではないでしょう。


帝國ノ犬達-アメリカ
訓練中のアメリカ軍用犬


一番期待していたのは、モチロン日本編(p.248)です。
日清日露戦役、秋田犬、警戒犬と伝令犬あたりまではナルホドと頷いていたのですが、唐突に自爆犬の話が出て来て唖然となりました。
しかもソースは推測であると仰る。
アメリカ軍の記録に「日本軍は100頭規模で自爆犬を訓練していたらしい」とあるのは事実ですが、せめて日本軍のどの部隊がどうやって研究していたのかを書いて欲しかった。
軍用犬を100頭単位で運用管理していた日本軍部隊は、陸軍歩兵学校軍犬育成所と関東軍軍犬育成所のみ。
しかし、両育成所の史料に自爆犬研究の記録は出て来ないので(発煙筒を咥えた軍犬を駈け廻らせて煙幕展開とかなら映像に残っていますが)、真偽はともかく誰情報なのかハッキリしてくれと思うのです。
Wikipediaで「要出典」をつけまくる人の気持ちがちょっと理解できました。
私も日本自爆犬の記録を探していますが、見つけたのはいずれも民間人がやらかしていたモノ ばかり。
ソ連地雷犬の失敗を嘲笑っていた日本軍が、自国でも自爆犬を採用したのかどうか。しかし、兵士による特攻作戦は「統率の外道」といいつつ実行した訳です。「外国の推測」ではなく自国の史料を見つける必要があるので、証明するのはナカナカ難しいですね。
この件に関しては、今後も調べていきたいと思います。


帝國ノ犬達-軍犬
戦地の日本軍犬

本書のご紹介、というか私の感想文はこれ位です。

最後に些末事をひとつ。
河野氏は、オルデンブルク公の庇護下にあった衛生犬協会を「ドイツ救急救助犬協会(p.25)」と翻訳していました。
コレ、実は画期的なことです。
我が国の盲導犬史では、長年に亘ってオルデンブルク衛生犬協会を「ドイツ赤十字」 と勘違いしてきました。
これは、秦一郎氏が「ドイツの赤十字犬協會」と邦訳したのを、盲導犬関係者が「なるほど、ドイツ赤十字か」と早トチリして始まった様です。
その勘違い解説を鵜呑みにした読者が更に勘違いを拡散し―、という劣化コピーが繰り返されているのはネットで検索すれば分るとおり。どこもかしこも似たようなことやってますね。
近代的盲導犬の歴史を辿るならば、シュターリンのオルデンブルク衛生犬協會とシュテファニッツの獨逸シェパード犬協會の役割を明確に区別する必要があります。
これを機に「ドイツ赤十字」に代わって「ドイツ救急救助犬協会」の呼称が定着してくれないかなー。そうなれば誤解は随分減ると思うのですが。
伝言ゲームで作られた犬の年表を修正するのは容易ではありません。


帝國ノ犬達-ドイツ


以上のように過去と現状を把握し、本書の結論として語られるのが軍用犬の将来。

古代に始まった犬の軍事利用は、第二次大戦で最大のピークを迎えました。
機械技術の発達によって軍用動物の多くは退場しましたが、軍用犬だけはハイテク化しつつ今なお世界中で使われ続けています。
著者は「今後の軍用犬には明るい未来が待ち受けていると思われる(p.292)」と書いていますが、個人的には退役の流れへ向かってほしいなあ。
犬に代わる軍事技術の開発も必要でしょう。長い年月がかかる事も承知しています。
軍馬や軍鳩が戦場から消え去った現在、軍犬にも休息を与えていいんじゃないですかね。



近年は「日本最初の盲導犬」「犬の帝国」などといった、良質な犬の書籍が次々出版されて嬉しい限りです。
ただ、それらに書かれたことが全てだと勘違いし、鵜呑みにすることだけは避けなければ。
本やネットに載っていない犬の歴史はゴマンとあるのですから。

帝國ノ犬達-軍用犬
第一次大戦時のドイツ軍用犬フィギュア


歴史とは脚色された物語ではなく、日々の記録の積み重ねです。犬の歴史もそう。
当ブログがやっているのは、明治~昭和20年の出来事を犬年表に追記していく作業が中心。
厖大な資料を前にすると、一生かけてもムリなんだろうと思いますけど。
これとは別に、防衛省やJSAの資料を繙いて、現代の犬年表を構築する人がどこかにいないものでしょうか。