開設 昭和8年

場所 赤羽→武蔵境

 

赤羽第一軍用犬養成所は、社団法人帝国軍用犬協会(略称KV)の訓練施設。

KVは民間のペットを登録し、軍犬の調達窓口となっていた畜犬団体です。陸軍の各師団は、KVの仲介により民間愛犬家からシェパードを購買調達していました。

KVの登録犬籍簿は巨大なデータベースであり、陸軍省は「何県何市何町何番地の何某氏が、牡牝何頭のシェパードを飼っている」という情報を全国規模で把握できたのです。

 

犬 

こちらが帝国軍用犬協会のシェパード犬籍簿。昭和7年度版は2000頭だった登録数も、日中開戦時の昭和12年度版では累計22000頭に達しています。

シェパードを育てれば陸軍が購入してくれるので、副業のチャンスとばかりに民間愛犬家は競ってKVへ入会しました。

 

そのKVが開設した「第一軍用犬養成所」ではKV会員の愛犬を一定期間預かり、基礎訓練や交配を請負っていました。つまり、陸軍所属犬を訓練する軍犬育成所(軍部の施設)ではなく、民間ペットを訓練するドッグスクールです。

※例えば、現代の日本警察犬協会(NPD)は警察犬種の普及や審査訓練の支援を担う団体ですが、警察庁や都道府県警の直属組織ではありません。

同じくKVも「軍部に協力する畜犬団体」に過ぎませんでした。

 

昭和8年、KV第一軍用犬養成所は陸軍省が提供した赤羽弾薬庫前陸軍用地に建設されました。しかし昭和12年、陸軍が赤羽の土地を再利用するため武蔵境へ移転しています(武蔵境移転直後、「赤羽軍用犬訓練所」なる無関係の施設が跡地近くに開所し、「紛らわしい名前を付けるな」とKV側がクレームを入れた騒ぎも発生)。

 

帝國ノ犬達-地図
赤羽養成所見取図

 

【赤羽軍用犬養成所に関する誤解】

 

KV軍用犬養成所が日本軍の施設であったかのように解説する向きもありますが、この施設と日本軍は直結していません。
日本軍が管理する犬の訓練機関は、軍に所属する「軍犬育成所(ぐんけんいくせいしょ)」。大規模な専門施設としては、千葉県の「陸軍歩兵学校軍犬育成所」と満洲国の「関東軍軍犬育成所(平時通称号は「満州第501部隊」)」が有名ですね。

いっぽうKVの「軍用犬養成所(ぐんようけんようせいしょ)」は社団法人の施設であり、両者は別物でした。

 

帝國ノ犬達-関東軍軍犬育成所 

満州国遼陽にあった関東軍の「軍犬育成所」。陸軍の軍犬兵を訓練する部隊です。

 

S13 

赤羽にあった「軍用犬養成所」は、帝国軍用犬協会が運営する民間ペットの訓練スクールです。

ペットだけではなく、鮫洲の警察犬訓練所が完成するまでは警視庁もここを間借りして警察犬訓練に取り組んでいました。画像はKV軍用犬養成所で訓練中の警視庁警察犬係・朝倉巡査(内閣情報局撮影・昭和13年)

 

「日本軍の軍犬育成所」と「KVの軍用犬養成所」を混同する人は、「軍犬」と「軍用犬」も区別できていません。

「軍犬」とは軍所管犬の略称で、「軍に所属する個体」のこと。
「軍用犬」とは軍用適種犬の略称で、「軍用に適すると規定されたシェパード、ドーベルマン、エアデールテリアの三品種」を指します(民間のペットであろうと、これらの品種は「軍用犬」と呼ばれます)。

つまり、軍犬育成所は「軍所管犬の訓練施設」で、軍用犬養成所は「民間のシェパード、ドーベルマン、エアデールテリアの訓練施設」ということですね。

 

斥候

こちらが軍に所属する「軍犬」。千葉県の陸軍歩兵学校で訓練中の写真です。

 

 

こちらは民間人が飼育していた「在郷軍用犬」。このフロード號は登録審査を棄権したので、KZ(帝国軍用犬協会犬籍簿)欄は「申請中」のままですね。

 

血統書 

ちなみに、フロードの父であるデヴェッド・フォン・ゴーソーホ(獒聡堡)がこちら。彼は神戸犬界どころか戦前シェパード犬界を代表する名犬で、多数の子孫を戦後犬界へ遺しました(ゴーソーホ系に席巻され、他の血統が途絶えた地域もあります)。

 

最初に「軍犬」と「軍用犬」を区分しておかないと、以降の話がアサッテの方向へ迷走してしまいます。民間ペットの訓練スクールを軍事施設と間違えるのは、けっこう恥ずかしいものがありますし。

「赤羽養成所から軍犬が出征して行った」というデマも見かけますが、赤羽専属の帝国軍用犬協会保有犬は、シトー、カルメン、エルフェ、プリスカといった少数の宣伝犬のみです(あと、野良犬出身の番犬「ノーラ」もいました)。
彼らは繫殖用の種犬なので、戦地への出征はしていません。

 

 

赤羽養成所のスペースを提供して開催された陸軍の軍犬購買会(養成所の所属犬が購買されたワケではありません)。

福島や新潟など、結構遠くの陸軍部隊から購買官が派遣されていたんですね。

 

もちろん、「赤羽での委託訓練を終えたKV会員のペットが、陸軍に購買されて戦地へ出征した」ケースならありました。しかしそれらは、「赤羽養成所の所属犬」ではないのです。

故意か無知かは知りませんが、KVの展覧会入賞メダルや会員章などを「日本陸軍の軍犬徽章」と詐称してマニアへ高価で売りつける古物商も見受けられます。その辺も情報の混乱に拍車を掛けているのでしょう。

※ちなみに、日本陸軍が軍犬へ授与する標識は「メダル」ではなく「所属章や功章プレート付きの首輪」です。

 

帝國ノ犬達-上野 

上野動物園黒ヒョウ脱走事件にて出動した赤羽養成所所のプリスカとエルフェ。日本シェパード犬協会のアッカ號と日本犬保存会の秋田犬も捜索に参加しています(昭和11年)。


赤羽養成所専属のシトーたちは映画出演や各地で開催される軍犬宣伝活動で多忙でしたし、実役としては上野動物園黒豹脱走事件や山岳遭難事故の捜索活動で出動要請があったくらい。
社団法人の施設に何を期待しているのか知りませんが、実態はその程度でした。

また、KV養成所では短期間ながら警視庁ハンドラーと警察犬の訓練も請け負っていました。警視庁警察犬の復活には、KVとの深い関わりがあるのです。
昭和12年、KVでは警察犬の配備拡大を見据えた第二養成所建設も計画。しかし予算上の都合により実現せず、警視庁はKV頼りをやめて鮫洲に警察犬訓練所を開設しています。

以上のとおり、赤羽養成所に関しては陸軍軍用犬史ではなく軍犬報国運動(シェパード普及活動)の文脈で語るべきでしょう。

 

帝國ノ犬達-チラシ 

映画『戰線に吠ゆ(昭和11年公開)』に出演した赤羽養成所のシトーとカルメン。軍犬報国運動を宣伝する俳優犬としても活動していました。

 

【赤羽訓練所設立の経緯】

 

KVがこのようなスクールを開設したのは、陸軍省が推進する「軍犬報国運動」の支援が目的です。

満州事変以降、抗日ゲリラと戦う関東軍は軍犬の配備拡大を計画。しかし大量の犬を繁殖飼育する予算や人手がない軍部は、民間シェパードを資源母体化することで大量調達システムを実現しました。

なるべく多くの民間人にシェパードを飼育してもらい、繁殖してもらい、基礎訓練を施してもらい、陸軍へ売却してもらうのが軍犬報国運動。軍部の訓練ノウハウを民間へ伝授し、即戦力候補へ育ててもらうのが養成所の役割でした。

 

「民間の飼主」と「軍部」をつなぐ購買調達窓口として狙われたのが、陸軍と親交のあった日本シェパード倶楽部(NSC)。

当時のNSC指導部は、満州事変を機に改革派と保守派へ分裂していました。

満州事変ではNSC会員の板倉至大尉(軍犬那智・金剛の飼主)が戦死しており、「大尉の遺志を継いで軍部に協力すべし」という改革派が台頭したのです(裏では、陸軍の意向をうけた築山博一砲兵大尉が改革派メンバーを扇動していました)。

しかし、保守派は「NSCは同好団体であるべき」と主張してこれに反対。メンツを潰された改革派はNSCを一斉に脱退、新たにKVを設立しました。

陸軍の後押しで勢力を拡大したKVは、荒木貞夫陸軍大臣の仲介でNSCを強制合併。NSCが保有する民間シェパード登録簿の獲得に成功します。

 

帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会は、共にNSCをルーツとする団体でした。

『愛犬の友』誌が「日本シェパード犬倶楽部」と誤記した記事が広まったものの、NSCの正式名称は「日本シェパード倶楽部」です。

つまり、帝国軍用犬協会は設立過程を含めて実態が検証されていません。

 

こうして、膨大な数のシェパード、ドーベルマン、エアデールテリアがKVの犬籍簿へ登録され、そのまま軍部の購買調達リストとなりました。

飼主側にも、KVへ登録した愛犬を「大手就職先」である陸軍へ売却できるメリットが与えられます。

両者を繋ぐKVには、多数の愛犬家が自発的に入会していきました。

 

犬 

KV会員が飼育するシェパードは、SKZ(シェパード種帝国軍用犬犬籍簿)に登録されます。これに、DKZ(ドーベルマン種帝国軍用犬犬籍簿)とAKZ(エアデール種帝国軍用犬犬籍簿)が加わります。

SKZによって、軍部は全国各地の登録シェパードを把握し、購買調達時の参考資料とすることが可能となりました。最難関の資格試験に合格した優秀犬には登録番号に★マークが付与され、即戦力候補が一目で識別できる仕組みとなっています。

並行して軍用種牡犬制度が設けられ、優秀犬の蕃殖活動も推進されました。

 

KVとNSCの合併を機に、民間ペット界を資源母体とするための「軍犬報国運動」は本格化。民間飼育のシェパード、エアデール、ドーベルマンを即戦力候補に育てるため、基礎訓練を施す赤羽訓練所が開設されたのです。

KVを通じて高度な飼育訓練法が全国へ普及し、血統書や資格取得制度が整備され、競技会は訓練成果を披露する場となり、帝国軍用犬籍簿によって優秀犬が登録管理され、優れた犬を育て上げたKV会員には「軍犬購買会で愛犬を売却する金銭的メリット」が与えられました。

「軍部がシェパードを強奪した」という通説は嘘で、軍部と飼主とKVの三者による「軍犬の売買システム」が構築されていたのです。

戦後になって強奪説のデマが広まったのは、自ら愛犬を軍部へ売り払ったことへの後ろめたさもあったのでしょう。

 

  帝國ノ犬達-軍用犬資料

わざわざこれらの諸費用を払ってまで、何万人もの愛犬家がKVへ参加していました。

 

犬 

基礎訓練済みのKV登録犬は、KVが主催する軍犬購買会で優先的に購買審査を受けられました。意外なことに、売買の主導権も飼主側にあります。軍の購買価格に納得がいかない場合、契約は不成立となりました。

飼主と軍部の売買契約による購買軍犬制度こそが、「軍犬の出征」と呼ばれるものです(愛犬を軍へ売却した飼い主たちは、戦後復興期の混乱に乗じて「軍部に犬を強奪されたカワイソウな被害者」へ変身しました)。

 

KVへの参加は強制ではなく、愛犬家達は自発的に入会していました。戦時を通じてKVへの延登録頭数は数万頭にのぼり、それだけ多くの愛犬家が進んでKVへ参加していたことが分かっています。

余談ですが、KVの横暴に憤った旧NSCメンバーは新たにNSK(日本シェパード犬研究会)を設立。独自の訓練所も設置し、KVへの反撃を開始しました。

東京のNSC本部で起きたクーデター騒動に動揺していた全国各地のNSCメンバーもNSKに合流。

更に、NSKはJSV(日本シェパード犬協会。現在の日本シェパード犬登録協会)へ社団法人化。ドイツSVと特別協定を結ぶ国際畜犬団体へと変身しました。陸軍への防波堤として皇族出身の筑波藤麿侯爵を会長に戴き、戦時を通じてKVと激しく対立することとなります。

 

帝國ノ犬達-NSK

KV赤羽養成所に対抗するため設立されたNSK訓練所


【KV赤羽養成所の実態】

 

そのような経緯で設立された赤羽養成所ですが、「陸軍の訓練施設」という誤解やデマはなくなりません。

21世紀の人間がグダグダ言っても仕方ないので、赤羽養成所史料から当時の様子を引用してみましょう。

 


帝國ノ犬達-赤羽軍用犬養成所

當地は土地高燥、涼風常に木々の梢を揺がして、空氣は適當な湿度を保ち、犬の健康に最適なる場所である。これは陸軍當局が火藥庫・被服廠等の比較的、乾燥の地を要するものをこの地に設置したるに徴しても明かであるが、又其れに加ふるに人家より遠く静寂にして、數萬坪の土地を擁し、訓練も自由自在、随所にて行ひ得る、至便の地である。

帝國ノ犬達-地図
帝國軍用犬協會第一養成所の地図。

訓練士は目下三名にて各自受持の犬を定めて、起き伏しを共にし人と犬との親和一致を第一のモツトーとして訓練に一路邁進してゐる。開所と同時に北白川宮家より御愛犬の入所あり、一同その光榮に浴し益々精励を加へつゝあるが、所内の設備も略ぼ完了し、入所犬も續々と頭數を増し、日々酷熱を衝いて、來客者多く、入所犬の所有者各位も熱心に、訓練を見學し、中には刺子姿(※防御衣のことです)に身を代へて襲撃訓練の的になられる熱誠さに所員一同は大いに励まされ犬の健康に支障なき限り、訓練を重ねつゝあるが、猶九月廿四日には同所にて大々的に開所式を行ふ豫定である。在京會員は奮つて参加され、各訓練士の奮闘の程を御覧伺ひたい。
現在入所犬は十頭餘である。


帝國ノ犬達-養成所

帝國ノ犬達-養成所
 

帝國ノ犬達-養成所


帝國ノ犬達-養成所完工
昭和8年の養成所開所式案内より。

社團法人帝國軍用犬協會 軍用犬養成所入所規定(昭和8年度)
一、本軍用犬養成所に訓練犬、一時預託分娩犬を入所御希望の方は本協會軍用犬養成所規定及入所規定を御承認の上、左の書類を添付御申込の事。
 一、入所申込書(協會)所定用紙の相當欄に夫々記入の事
 二、獸醫師の健康診断書(可成く入所目的の爲め最近作成のもの)
 三、狂犬病豫防注射證明書(御手元にあれば)
 四、寫眞(遠隔の地より申込に限る)
一、遠隔の地より御申込の場合は、假承認を受けられたる後、犬を御送り下さい。
一、左の場合は入所御遠慮願ひます。
 一、現在内外の疾患あるもの
 二、發情或は妊娠中のもの及び形態上缺陥あるもの(何れも訓練犬に限る)
 三、特に甚しき惡癖あるもの
一、主任技師嘱託獸醫師立會の上、入所可否を決定します
一、料金は入所と同時に全納又は一ヶ月分前納翌月分より毎月廿日迄に御納付願ひます。
一、飼養者の御都合のみに依り途中退所の場合は既納の料金は返還致しません。
一、退所の通知を發して猶引取りなき場合は、當所に於て適宜犬を處分します。
一、犬の發送に要する諸經費は飼養者御負擔の事。

 

帝國ノ犬達-養成所
昭和10年、赤羽養成所を見学するKV名誉総裁の久邇宮朝融王(中央横向きの海軍少佐)。軍用犬の説明をするのは関谷昌四郎陸軍獣医正(中央の陸軍将校)、隣で脱帽しているコート姿がKV副会長の坂本健吉陸軍少将。白い上着の人は養成所のハンドラーです。

 

帝國ノ犬達-久邇宮朝融王

昭和8年、NSK訓練所を電撃訪問する久邇宮KV総裁。敵のボスが来襲したというのに、NSK側は和やかな雰囲気で歓待しています。

元NSC会員だった久邇宮朝融王自身は、旧知のメンバーがいるNSKのシンパでもありました。NSKがJSVへ社団法人化する際は、同じ皇族である筑波藤麿侯爵の会長就任を仲介しています。

激しく対立するKVとJSVのトップ同士が仲良しという、戦時シェパード界は複雑怪奇な状況にありました。

 

【赤羽からの移転】

 

軌道に乗りつつあった赤羽養成所ですが、開設から4年後に日中戦争が勃発。軍用地が必要となった陸軍省から退去を要請されます。

一旦は仮移転したのち、新たな武蔵境養成所を建設。以降はこちらで訓練預託業務を担いました。


帝國ノ犬達-武蔵境
こちらは武蔵境移転時の広告(昭和13年)

 

時局の進展に伴ひ、帝國軍用犬協會(赤羽)第一養成所の敷地は、陸軍省の必要に迫つて、一時返却せなければならないことになつたので、九月十五日を限り閉鎖することゝなつた。

創設以來、我國使役犬界に多大の寄與を爲し、赫々たる歴史を有する同養成所の閉鎖は事情止む得ぬことゝは云ひながら、一般から非常に惜しまれて居る。

現在々所の民間預託犬は全部一應畜主に返還し、養成所々属犬と警視廳預託の警察犬は村山貯水池のほとりへ一時轉居することゝなつた。尚ほ養成所々属の訓練士等は出張訓練の需めに應ぜられる由である。

 

『KV第一養成所閉鎖(昭和12年)』より

 

KV軍用犬養成所が関与できたのはせいぜい関東エリアに過ぎず、軍犬報国運動へ果たした役割も限定的です。

しかし、この養成所が全てではありません。各府県、外地、関東州、満州国の支部ではさまざまな繁殖・訓練活動が展開されており、それらを集積した巨大な軍犬報国運動によって、日本は多数のシェパードを戦地へ送り続けることができたのです。

そして、大部分の犬は戦地から還ってきませんでした。

KVが設立されなければ、犠牲となった犬の数も少しは減ったのでしょうか?

 

昭和19年末、メンバーへ「国防犬隊(本土決戦に備えた民間義勇軍犬隊)」への参加を呼びかけた直後にKVは活動を停止。養成所も解体されました。

陸軍の威を借りて戦時犬界で横暴の限りをつくし、数多のペットを戦地へ送り出したあげく、敗戦処理を放棄して貴重な犬籍簿を喪失し、久邇宮総裁のサポートもせずに消滅したKV。

戦後にKV出身者が警察犬協会(NPD)を設立した際、戦時に受けた恨みを忘れていないJSVは「まず犬に詫びろ」と協同路線を拒否。これにNPD側も絶縁を宣言し、戦後犬界の復興に禍根を遺すこととなってしまいました。

日本警備犬協会の仲介で両者が完全和解したのは、昭和32年のことです。