【第5回】 戦国時代から中世・古代まで…戸籍のない時代の先祖を遡る方法 | 家系図作成7つのポイント

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連載自分のルーツを探る「家系図」作成の手引き5

 

 戦国時代から中世・古代まで…戸籍のない時代の先祖を遡る方法

 

 

※本連載は、家系図作成代行センター株式会社代表・渡辺宗貴氏の著書『わたしの家系図物語(ヒストリエ) 』(時事通信社)から一部を抜粋し、物語形式で具体的な家系図の作り方を見ていきたいと思います。今回は、「戸籍」が作成されなかった時代に生きた先祖の遡り方について見ていってみましょう。

 

 

ほとんど苗字は40代遡ると4つの「氏」にたどり着く 

 

 

<登場人物>
葛西 美々(かさい みみ)
戸籍を見て先祖に興味を持ち、家系図作りに取り組む高校3年生。素直で真面目な性格。コツコツやるタイプ。

筧 探(かけい さぐる)
「家系図作成講座」の講師。年齢不詳で、ひょうひょうとした雰囲気。優しい面が時折垣間見れる。

※本連載では、家系調査をするという目的上、差別的意味合いを含む可能性のある語句を差別的意図ではなく、歴史的用語として用いています。

 

※高校生葛西美々の前回の物語は、第1回目(関連記事:『4つの時代ごとに先祖のたどり方が異なる!「家系調査」の基本』)をご覧ください。

 

講座再開。40代さかのぼると、多くは「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」にたどり着く…どうやって調べるのかな?筧(かけい)先生は、説明していく。
 

「中世・古代は、その時代に生きた人の家系が『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』や『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』といった文献にまとめられているんです。我々のご先祖様は、さかのぼっていくといずれ、この記録のいずれかの家系につながるといわれています」

「誰でもそんなにさかのぼれば、天皇とかにつながる※1ものなんですか?」

という質問が飛びかう。

   ※1 詳しくは、後述のコラム「意外に多い、名家の子孫」を参照。

 

「いいえ。もちろん必ずというわけでは、ないですよ」

予想していたように筧先生。きっと予想していたのだろうと思う。

「まずは、苗字(みょうじ)について少し知識を深めましょう。現在、日本には少なく数えても10万、多ければ30万件の苗字があるのかと思います。では、この苗字はどのように生まれたのでしょうか?」

筧先生がホワイトボードに板書を始める。

 

 

 

「苗字の研究は奥が深いので、専門的にすぎないように説明しようと思います」

参加者名簿と教室を交互に見ながら、

「そうですね…葛西(かさい)さん」


!? はい?なんですと?

  
「はい」

「ちょっと例にさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい…いいです・・・お願いします・・・」


ここで嫌とは言えないし・・・
 

「では、『葛西』という苗字です。『姓氏家系大辞典』(角川書店)という苗字辞典によると、この苗字は、下総(しもうさ)国葛西郡葛西(かさい)の御厨(みくりや)という地名から発祥しているのです」

「葛西」なんていう地名があるんだ…全然知らなかったよ。下総国葛西郡葛西御厨ってどこ?

「葛西御厨は、現在の東京都葛飾区付近になります。葛飾の西にあるので、『葛西』といいます。葛西臨海公園なんかは有名かと思います。『葛西』という苗字は、この地に桓武(かんむ)天皇(737~806)の子孫である清重(きよしげ)が住み着き、葛西三郎(さぶろう)と名乗ったことに始まります」

専門的な話になってきたが、聞きなれない言葉に戸惑わせないように、ゆっくりだが流れるような説明をする。なんとかついていけてる。

桓武天皇は、日本の第50代天皇。首都を平安京(京都)に移しまた。その子孫は、平安京の「平」にちなんで「平氏」という氏を名乗りました。その子孫の中の1人、平安時代(794~1185)の末期から鎌倉時代(1185~1333)の前期にかけて活躍した武将である清重が「葛西」という苗字を名乗り始めた、ということみたい。

「我々の家系をさかのぼるには、現在から1代ずつさかのぼらなければなりません。ですが、中世・古代といった古い時代に入ると、すでに文献にまとめられているどの家系につながるかを探す作業になるんです」

1000年以上前の桓武天皇から始まる葛西姓の家系の流れは、おおよそ600年前(1400年代)までの記録が、中世・古代の系図文献にまとめられているという。美々(みみ)の先祖が、どういう経緯をたどって、葛西三郎なり桓武天皇なりにつながるのかわからないが、超面白い!と思った。

「ただ、家系調査には限界点もあります。先ほど飛ばした戦国時代は、非常に記録が少ないからなのです」
 

 

公的資料の少ない戦国時代は家計調査の限界点の一つ 

 

話を飛ばしていた、戦国時代の調査についていよいよ説明するみたいだ。「過去帳」や「武士の系図」で、江戸時代初期の400年前までさかのぼれたとする。また、中世・古代の家系の流れが、1000年以上前から600年前まで下ってこられたとします。

「ちょうどこの間、400年前から600年前までの期間が、戦国時代に当たりますね」

戦国時代は資料が少なく、この間の空白を先祖が1代の漏もれもなく完全に埋められる家は数少ないのだという。また、戦国時代は、人の移動が自由だった時代でもあったのだ。好きな地に住み、好きな殿様に仕えた時代なのだった。

「人の移動が自由だった時代のどの家系に自分の家がつながるのか、特定するのはかなり困難なのです。ここが、家系調査の一つの限界点になるかと思われます。しかし、間に何代か、数十年か数百年かの空白ができるかもしれませんが、1000年前からの大きな家系の流れは、把握できる可能性がかなりあります」

この空白の期間を埋めるには、さかのぼっていった家系と、下ってきた家系がつながっているという根拠を探すことだという。

「家紋(かもん)で一致させるか、地域で推測するか、その他文献・文書で根拠を探していきます」

ほほぅ! という感心と、本当に1000年前とつながるんだろうか?※2という疑問が浮かんでくる。

   ※2 詳しくは、後述のコラム「意外に多い、名家の子孫」を参照。
 

実際に質問も飛ぶ。
 

「はい。江戸時代以前は、現在の戸籍のような公的な資料は残っていません。ですので、戸籍以前の家系調査というのは、誰もその内容を保証してくれないのです。また、言い換えれば、血のつながりを証明した家系図というよりも、精神的な家系図という意味合いになるともいえます」

ほへぇ、そうなんだ。

「しかし、公的資料ではありませんが、『過去帳』や『武士の系図』は、おおよそ信頼できる資料といってもいいでしょうね。また、中世・古代の系図の記録も、完全ではありませんが、おおよそ正しいものといわれています」

いずれにせよ、まずは戸籍で江戸末期までさかのぼることと、自分の苗字の発祥を知ることが必要だという。

「苗字を知るために、まず見るべきは、『姓氏家系大辞典』です。この本は、大きな図書館であれば、たいていは所蔵されています。この区民センター併設の図書館にもあります。お帰りの際に、ご自分の苗字の項目をコピーしていってはいかがでしょうか」

美々の他に幾人かの苗字を例に話し、第1回、90分の講座はあっという間に終わってしまったのだ。

「まずは、戸籍を取ってみましょう。次回は1ヵ月後ですよ。是非次回も来てくださいね」

次回も来る受講者たちは、それまでに一番古い戸籍まで取得しておき、次の段階に進むそうだ。また、何か家系についての聞き伝えがないか、家族や親族にできる限り聞いておくといいですよ。とのことをいわれたのだった。
 

 

 

ちなみに、講師の「筧探(かけい さぐる)」というのは、本名ではなくペンネーム。本名は、篁公太郎(たかむら こうたろう)。50歳。年齢不詳な感じではあったけど、予想以上に年齢が高かった。もっと若く見えた。

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素直な美々は、言われた通り、『姓氏家系大辞典』を見に、図書館に寄ってみた。普段は目にも入らない歴史関連コーナーには、同じように考えたであろう受講者たちが、幾人か見える。郵送での戸籍の請求の準備をしながら、少し時間をつぶし、誰もいなくなったところで『姓氏家系大辞典』を見る。漢文調? というのかよくわからないが、昔の書き方っぽくえらく読みづらい。とにかく、言われた通り、「葛西」の項目のコピーを取ろう。

「おや。葛西君。さっそく、調査をしていたんだね」

コピーに集中していた美々は、ビクッとハムスターのように振り向いた。

「なかなか意味がわかりづらいですよね?わかります。6分30秒ほど待っていてくれるかな」

筧先生は、ガラス張りの閲覧室に入り、何かを猛烈にメモして、6分25秒で戻ってきた。あまりに時間がぴったりで驚いた。

「これが『姓氏家系大辞典』の「葛西」の項目の解説ですよ。じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」

筧先生は、風のように来て、風のように去っていった。美々の手元に、メモだけを残して。筧先生のメモは、急いで書いたはずなのに、字が綺麗で読みやすい字が並ぶ。

……。

美々のために、『姓氏家系大辞典』の読み方のコツを書いてくれたようだ。美々は、『先生も面白かったから次回も、講座に来てみようかな』と、思った。