家系図作成7つのポイント

家系図作成7つのポイント

家系図(苗字?家紋?武士?農家?)について発信します。

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『家系図作成!7つのポイント』
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1、家系図って?
2、150~200年「戸籍調査」って?
3、400~1000年「戸籍以上の調査」って?
4、業者に頼むといくらかかる?
5、自分でつくる?業者に頼む?
6、筆耕~家系図を筆で書く
7、表装~巻物や掛軸に
おまけ 家系図って必要?

 

【第6回】 渡辺・渡邉・渡邊・渡部…全ての「わたなべ」の発祥は大阪に! 

 

 

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきたいとおもいます。今回取り上げるのは、日本で六番目に多い「渡辺」さんです。

 

 伝説の多い「渡邊綱」をルーツにもつ、渡辺姓

 

「渡辺」「渡邉」「渡邊」「渡部」……と、同じ読み方でさまざまな「わたなべ」があり、誰もが面倒に感じたことがあると思われます。全国の渡辺・渡邉・渡邊・渡部姓は同族といわれ、第52代嵯峨天皇(786~842)の流れをくむ嵯峨源氏の末裔である渡邊綱(953~1025)の子孫といわれています。

渡邊綱は箕田宛(みた あつる)の子として生まれ、現在の大阪市西成区にあった渡辺村に本拠地を定めて渡辺綱と名乗りました。

綱は後に清和源氏の嫡流である源頼光に仕えて四天王の第一に数えられ、大いに武勇を轟かせるのです。京の一条戻橋付近で老婆に化けた鬼の片腕を斬り落とした話や、頼光四天王らとともに大江山で酒呑童子を退治した話は有名な話ですね。

綱の後、渡邊一族は全国に広がり、渡辺や渡邉・渡部とも書くようになりました。徳川家康に仕えた渡辺重綱の子孫は尾張藩徳川氏の家老となって明治に男爵を授かり、重綱の五男の子孫は大名となり、明治に子爵を授けられました。

では、渡辺姓の分布を見てみましょう。

 

 

都道府県別「渡辺」の分布
出所:2009年 NTT電話帳調べ

 

 

都道府県別「渡辺」の分布図
青の色が濃いほど、田中姓が多い(出所:筆者作成)

 

 

全国にまんべんなく広がっています。47都道府県の内、19県で10位以内に入っています。50位以下なのは6県のみ、100位以下は和歌山県の193位と沖縄県のランク外のみですね。

発祥はほぼ一か所。大阪の渡辺地名。ちなみに渡辺さんの始祖渡辺綱が住んだ渡辺村は、かつての言い方では摂津国西成郡渡辺であり、場所は大阪市中央区内にあるんです。

その後、大阪市渡辺町と呼ばれていましたが、1988年の地名変更で渡辺町が消えそうになると、全国の渡辺さんから「ルーツが消えるのには反対」という運動がおこったのです。

結局、大阪市中央区久太郎町四丁目1番、2番、3番の後に、4番という番地の代わりに渡辺の名が用いられることになり、「大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺」という少し不思議な地名として残ることになりました。

ここで、全国1~5位までの名字の復習とともに、大姓(多い名字)同士でも広がり方が違う点について見ていきたいとおもいます。

まず1位の佐藤姓は、さかのぼれば藤原氏の子孫が左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を組み合わせて「左藤」と名乗ったことに始まります。2位の鈴木姓は穂積氏の一族が「稲穂を積み上げる(穂積)」ことを「すすき」ということにちなみ鈴木と名乗ったことに始まりますね。

このふたつは地名発祥ではありませんが、一つの発祥から全国に広がり大姓になったケースなのです。

1位の佐藤姓は藤原氏の大繁栄とともに広がりました。2位の鈴木姓は源義経の家臣鈴木三郎重家の末裔が広がったことと、鈴木氏の発祥と関連深い熊野信仰の広がり、また全国的な水路の発展も影響しているんです。ついで、3位の高橋姓と4位の田中姓は全国各地に無数にある高橋地名、田中地名から様々なルーツの高橋氏、田中氏が発祥しました。伊勢国(三重県)に住み着いた藤原氏の子孫が名乗った5位伊藤姓は1位の佐藤姓と同じく藤原氏の繁栄とともに広がったのです。

6位の渡辺姓は佐藤姓、鈴木姓、伊藤姓に近いケースです。非常に勢力のあった渡辺綱の一族は渡辺党を名乗り全国に広がっていますね。日本の歴史と名字の歴史を絡めてみると互いに理解が深まるんです。

ちなみに渡辺姓は「三つ星に一文字」(※一般に渡辺星と呼ばれる)紋を愛用しています。

 

 

「三ツ星に一文字」紋

 

 

 

 渡辺綱よりも古いかもしれない「渡部」

 

今回は『姓氏家系大辞典』とその他に近年書かれた別の名字辞典を見てみましょう。『姓氏家系大辞典』は立命館大学教授・太田亮(あきら)(1884~1956)が一生を捧げて完成させた苗字・家系研究の根本資料なんです。渡辺氏の解説には17ページに渡り70項目が割かれています。すべてをじっくり読むのは大変ですので、まずはポイントを押さえて斜め読みしてみましょう。

まず冒頭にはいきなり

「渡邊 ワタナベ 前条参照。」

とありますので、前条を見てみましょうか。前条は漢字ちがいの渡部(ワタナベ・ワタベ・ワタリベ)氏の解説があります。

「職業部の一にして、渡船の事を職とせし……」

とあります。また、

「後世の渡部氏は主として、嵯峨源氏にして渡邊氏に同じ。」

ともあります。想像するに「渡部という船を渡す職業から渡部氏が発祥し、そのルーツは渡辺氏と同じ嵯峨源氏なのかも?」などと思えますが、専門知識なくこの二文の意味を正確に理解するのは少々難しいとおもわれるのです。

そんな時は近年書かれた名字辞典を見るといいかもしれませんね。おすすめの名字辞典は

 

『姓氏苗字辞典』(金園社 丸山浩一著)
『日本姓氏大辞典 解説編』(角川書店 丹羽基二著)
『全国名字大辞典』(東京堂出版 森岡浩著)

 

です。いずれかを読めば、

 

・渡部という船を渡す職業から渡部氏が発祥
・その発祥時期は渡辺氏の始祖渡辺綱より古い
・後に、渡部氏と渡辺氏のルーツは同一とされていった

 

ということがわかります。『姓氏家系大辞典』をすっ飛ばして最初からおすすめの名字辞典を読めばいいのでは? という疑問もわくかもしれません・・・。また、渡辺姓のような大姓であればWEBに記載があるでしょうから、これくらいの事であればインターネット検索で事足りるでしょうね。それでもやはり自分の名字を調べたいと考えたときは『姓氏家系大辞典』は最初に見たいところです。

『姓氏家系大辞典』の渡辺さんの項目に戻りましょう。先に見た

 

「渡邊 ワタナベ 前条参照。」

 

の後に

 

「摂津、磐城等にこの地名が存す。」

 

とあります。摂津は大阪府なので、前述の大阪の渡辺町でしょう。磐城は福島県。福島県にも渡辺地名があったようですね。もしかしたら渡辺綱とは別の発祥があるのかもしれんので気を付けてみていきましょう。

まず1項目にはやはり嵯峨天皇を祖とする渡辺綱の記載。2項目からはその子孫の家系の記載が続きます。6項目目に

「秀郷流藤原姓荒木氏族 これも摂津の豪族にして…」

という記載。ということは、大阪の渡辺町から渡辺綱とは別系統で藤原氏からの渡辺氏の発祥があったのかもしれません。

ここで家紋と名字の話を少しします。全国1位の佐藤姓や5位の伊藤姓のように藤原氏を祖とする家系はやはり藤原氏の代表家紋の下がり藤など藤紋を使います。2位の鈴木姓は鈴木氏の元となった穂積氏にちなみ、稲穂紋や藤紋をよく使います。3位の高橋姓は高い柱(髙橋)を表す笠紋を愛用しますが、そのルーツにより様々な家紋を使います。4位の田中姓もそのルーツにより様々な家紋を使います。名字によって多彩な家紋を使う家系もあれば、「この名字ならこれ!」という場合もありますよね。

渡辺さんは後者です。渡辺さんの家紋は「三つ星に一文字」(渡辺星)。三つ星は渡辺氏のルーツ嵯峨天皇のシンボル。その下の「一」は「一」と書いて「かつ(勝つ)」とも読むため縁起を担いでつけたものになるのです。

ちなみに13位の佐々木姓の家紋も「この名字ならこれ!」という後者のケースで、代表家紋は隅立て四つ目になります。

 

では、『姓氏家系大辞典』に戻って、藤原氏発祥で荒木氏族の渡辺氏があることがわかりました。「ウチは渡辺なのに家紋はなぜか藤紋なんだ?」などというケースは、渡辺綱とは別家系の可能性もあるかもしれません。他にも

「村上源氏赤松氏族発祥の渡辺氏。」

「古代氏族賀茂氏発祥の渡辺氏。」

「橘氏を祖とする(諸説あり)楠木正成の裔の渡辺氏。」

などと、いくつか渡辺綱とは別家系の渡辺氏がいるようなのです。また30項目に

「磐城(福島県)菊多郡(石城郡)に渡辺村あり、関係あるか。……」

とあります。この地名からの渡辺氏の発祥の可能性があるものの『姓氏家系大辞典』作成時には詳細が判明していなかったということと思われます。この件について調べるには、近年の名字研究結果や福島県の名字辞典などに記録がないか探さないとならないかもしれませんね。全国の渡辺さんの大半は渡辺綱にゆかりがあるようですが、じっくり調べるとまた違う家系の可能性もあるようなのですよね。

渡辺綱以外の渡辺氏の発祥があることはかなり詳しい名字辞典じゃないと出ていません。大阪の渡辺町以外に渡辺氏の発祥の可能性がある地名があることはかなり詳しい名字辞典でもなかなか出ていないかもしれませんのでご注意を。

※それはその名字辞典の著者の知識が不足しているという問題ではなく、紙面の都合やその書籍の目的によるものです。

最後に、『姓氏家系大辞典』やその他苗字辞典の使い方を考えてみましょうか。たとえばインターネットの情報やたまたま手に取った苗字辞典のみの情報を頼りに

「そうか!私は渡辺なんで嵯峨天皇につながっているんだ!」

と判断するのは少し危険かもしれないですね。名字研究の世界は(名字研究に限らずですが)、誰も研究していない部分を一から調査するもあれば、先人の研究結果を利用させていただき、更なる調査を重ねていく作業もあります。いろんな名字辞典やインターネットの情報をみるとあっこの記述は『姓氏家系大辞典』(あるいは他の名字辞典)を基にしているんだなと、感じることが非常に多いのです。信頼できる苗字辞典であれば、さらに新たな見解や独自の調査結果を載せてくださっているんです。

たとえば、2位鈴木姓では鈴木氏の始祖「鈴木基行」について『姓氏家系大辞典』では
 

「鈴木基行より二十余世を経て、鈴木判官真勝あり、」

と、ありますが、現在の系図研究では、「二十余世(20世代ほど)を経て」ではなく「基行の子の良氏(よしうじ)が鈴木判官を名乗った」という説が定説となっています。今、私たちが名字について知ることができるのは、先人が情熱をささげて取り組んでくれた調査結果があるからなのです。いつもながら感謝の意があふれ出てきますよね。
 

 

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▼ 代表渡辺宗貴(わたなべむねたか)より
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家系図作成代行センター渡辺です。

最近北海道も暑いです(><

僕が子供のころは、30度超す日なんで年に数回だったんですけどねー

最近は北海道マラソンがたいへんみたいですね!

「北海道マラソン2024(8/25)」

以前は涼しい中走れたみたいですが
ここ数年の暑さで過酷なマラソンになっているとか

ナマケモノの僕は走らないので関係ないのですが
お友達が結構出るので見に行こうかなと

すいません…
家系図に全然関係ないお話ですねー

メルマガご覧くださっている方からご質問たくさんいただくので

次号以降は、読者様のご質問にお答えするコーナーもご用意させていただきますねー

↓みたいなのを予定しています。

例】どのくらい古くまでわかるの?どうやって調べる?

まずは「戸籍調査」で江戸末期から明治初期、おおよそ150~200年前、
世代にすると平均して4~5世代たどれることが多いです。

※ただし、戦災等何らかの理由で古い戸籍が無いこともゼロではありません。
基本的にお客様に損をさせたくありません。
もしお受けした場合に、戦災等やむない事情で「戸籍調査」が中途で止まった場合は、
ご返金あるいは別途目的に沿った「戸籍以上の調査」を無料でお付けする等、
ご納得いく方法を相談させていただきます。

「戸籍調査」の結果を見て、さらなる「戸籍以上の調査」が可能な場合もあります。

【メルマガ読者限定公開】YouTube動画がご参考になればうれしいです!

『1000年たどる家系図作成の全体像:現在~400年前(江戸時代)』
https://youtu.be/TtyOIHBPUDc

私(代表渡辺)の本物の戸籍と家系図を基に、
江戸時代までの家系のさかのぼり方を具体的に解説した動画です。

※同内容をテキストと画像で読みたい方はコチラ↓をご覧ください。

【公式サイト】150~200年たどる「戸籍調査」?
https://e-kakeizu.com/kakeizu0/kakeizu2/

【公式サイト】400~1000年たどる「戸籍以上の調査」?
https://e-kakeizu.com/kakeizu0/kakeizu3/

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▼ 家系図関連の最新ニュース
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家系図関連のニュースに、極々私的な見解でコメントさせていただいております。
随時Twitter(X)で発信させていただいております。
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★#友近 がイケメンとの親交を自慢 以前の芸名苗字を「友近」にするほど憧れてくれた大人気俳優とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/b47a1a61f5e3b5f15e10bae73d72f0d1073a5826
<<概要>>
友近さんが番組で大人気俳優の #鈴木亮平 さんとの縁について語る。
鈴木亮平さんはモデル時代に「友近亮平」という芸名で活動していた。
友近さんへの憧れからこの名前を使用し、後に事務所の指示で現在の名前に戻した。
<<解説>>
友近さんって伊予国(愛媛県)松山市の独特の苗字ですね!
たぶんだけど、常友さんとか政宗さんのような名前のような苗字と同じく、名前が地名になってそこから苗字になったのかなぁ?

①友近さんという領主がいた

②その地が友近名とか友近郷とか友近丸という地名になった
 (名・郷・丸は土地を表す)

③後にそこに住んだ人が友近と名乗った

とか???
全然違ってたりして
苗字の世界は奥深いです^^

※苗字について詳しくはコチラ
苗字。源平藤橘について/公式ブログ
https://e-kakeizu.com/4206/

★サントリーHDに登場した「佐治姓の役員」は“次の次の社長”か 次期社長は鳥井副社長が既定路線、「創業家回帰」の動き強まる
https://news.yahoo.co.jp/articles/d08c66b39ddc6a078564cf4b9ea6076398ed63af
<<概要>>
#サントリー HDの次期社長は #鳥井信宏  副社長が有力視されています。
鳥井副社長のはとこである #佐治清三  氏が“次の次の社長”と目されています。
創業家への回帰の動きが強まっており、佐治清三氏もその一環とされています。
<<解説>>
サントリーの名前の由来って、創業者の #鳥井信治郎  氏の名前にちなんでるんですってねー。
だから「サン」は太陽の「Sun」で、「トリー」は鳥井。
ブリジストンも創業者石橋正二郎氏のストーン「石」とブリッジ「橋」なんでしたっけ?
ユーモアもあってすごくステキなセンスですね!
鳥井家のルーツはちょっとしらべてもよくわからなかったです(><
鳥井信治郎氏のお父様が河内国(大阪府)の商人さんなんですね。
佐治家は丹波国(京都府・兵庫県)豪族佐治氏かなぁ???

※士農工商について詳しくはコチラ
江戸時代の士農工商。武士?農家?/公式ブログ
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【第5回】 日本で五番目に多い名字の「伊藤」…なぜ三重県に多いのか?  

 

約30万種もあるといわれる名字。貴族の末裔、武家の子孫、地名や職業由来……その起源を辿れば、自分のルーツを知ることができます。本連載では、家系図作成代行センター株式会社代表の渡辺宗貴氏が、様々な名字の起源や分布を解説していきたいと思います。今回取り上げるのは、日本で五番目に多い「伊藤」さんです。

 

 「藤原さん」が改名して「伊藤さん」になった

 

「伊藤」と聞いて思い浮かべるのは、伊藤博文(初代内閣総理)、伊藤みどり(フィギュアスケート選手)、伊藤蘭(女優)、伊藤英明(俳優)、そして「伊東」では、伊東美咲(女優)、伊東純也(サッカー選手)……。人それぞれ、思い出す著名人はいろいろいると思われます。

 

伊藤という苗字は第38代天智天皇の重臣、藤原鎌足(614~69)の流れをくむ武家藤原氏・藤原秀郷の子孫が名乗った名字です。

藤原秀郷は坂東(関東)で反乱を起こした平将門を討伐した勇将で、朝廷から鎮守府将軍(東北の朝敵を討伐する将軍)に任じられました。

その子孫である佐藤左衛門尉(さえもんのじょう)公清の孫・尾藤隼人(はやと)正(のしょう)知基の子基景が伊勢国(三重県)に住み着いて「伊勢国の藤原」という意味で伊藤と初めて名乗りました。これが伊藤という名字の始まりになるのです。

現在でも発祥地の三重県には多く、岐阜県や愛知県にも密集が見られます。

なかでも尾張国(愛知県)の伊藤財閥は有名で、慶長16年(1611)に伊藤祐道が名古屋城下に太物商を開業し、2代目祐基以降は代々次郎左衛門と名乗って呉服商を営みはじめました。

後に尾張藩の御用達となり、明治維新後は本家の松坂屋のほか伊藤銀行を創設して金融・不動産の世界でも成功いたしました。

他に伊豆国田方郡伊東(静岡県伊東市)の藤原南家伊東氏の子孫が、伊藤に改めたケースも多いがいずれにせよ藤原氏を祖とされております。

では、伊藤姓の分布を見てみましょう。

 

 

都道府県別「伊藤」の分布
出所:2009年 NTT電話帳調べ

 

 

都道府県別「伊藤」の分布図
青の色が濃いほど、田中姓が多い(出所:筆者作成)

 

 

全国にまんべんなく広がっていますが、やはり発祥地の三重県に圧倒的に多く第一位の苗字となっていますね。地理的に近い岐阜県で2位、愛知県で3位となります。

伊藤姓の家紋で多いのが、藤原氏の代表家紋である藤紋を多用します。木瓜(もっこう)を使うことも多いようです。
 

 

伊藤姓に多い木瓜

 

 

藤原南家発祥の伊東から伊藤に改めた家は多少傾向が違い、庵(いおり)に木瓜・九曜・三つ橘などを使っています。

 

 

庵(いおり)に木瓜

 

 

 「愛知県の伊藤さん」のルーツを探る

 

「名字辞典」を使った名字調査の進め方をみていきましょう。

 

名字調査でまず見るべきは『姓氏家系大辞典』です。次に見るべきは『角川日本姓氏歴史人物大辞典』になります。『姓氏家系大辞典』を補足する目的で平成元年から都道府県別に刊行を始めた地域別の苗字辞典です。

現在のところ岩手県・宮城県・群馬県・山梨県・長野県・静岡県・神奈川県・富山県・石川県・京都府・山口県・鹿児島県・沖縄県などが刊行されています。

調査地域が上記に該当する場合は必ず見なければなりません。該当しなくとも近隣県のものは見るべきだと思います。

それでは、仮に自分の先祖が「愛知県の伊藤さん」として名字調査を始めてみましょうか。

まず『姓氏家系大辞典』で伊藤の項目を見ると……37項目載っています。まずは項目1にやはり「伊勢の伊藤氏」、項目2に「伊豆の伊東氏」、この二つに多くの記述が割かれています。ざっと流し見をすると項目5に「橘氏発祥」、項目6に「平氏発祥」と、藤原氏とはルーツの異なるの伊藤氏もいるようですが、大半が項目1・2の伊藤氏と伊東氏に集約されるようですね。

もし、「私は伊藤なのでルーツは藤原氏のはずなのに、家紋がなぜか橘氏がよく使う橘なんだけど……」という場合は、藤原氏とはルーツが違う伊藤氏の可能性もあるかもしれません。ここでは愛知県の伊藤さんを調べているのですが……ありました。項目7に「尾張の伊藤氏」という記述が。

尾張は今の愛知県稲沢市にあたります。秀吉に使えた伊藤氏がいたようです。伊藤丹後守長実なる人物です。(藤原)とあるのでやはり藤原氏を祖とするようですね。ここに出てくるような人物は歴史上の著名人と思われますので、ネットで調べてみましょうね。

「伊藤丹後守長実」を検索すると、どうやら戦国時代の武将の伊東長実(いとう ながざね)なる人物だったようですね。

たとえば自分の先祖の出身が愛知県稲沢市だからといって、この人物につながると決めつけるにはまだ早計ですが、先祖と同じ、あるいは近隣にいた歴史上の著名な人物については把握しておいたほうがいいです。

伊東長実をさらに調べると、父親の伊東長久(いとう ながひさ)は尾張の人物ですが、長実は備中(岡山県)岡田藩の藩主を務め、その子孫も最後の第十代まで岡田藩主だったことがわかります。そこで仮に伊東長実と先祖がつながるとしても、かなり古い時代の同族ということになりそうなのです。

「伊東長久」についても調べてみましょう。どうやら織田信長の家臣であり、備中伊東氏と言われた一族のようです。備中伊東氏とは藤原南家流工藤氏の流れをくむ氏族とあります。少々ややこしくなってきましたが、ここで自分の家の家紋と照らし合わせて見ましょう。

・伊勢の伊藤氏:藤紋・木瓜(もっこう)
・伊豆の伊東氏:庵(いおり)・木瓜・九曜・三つ橘

でしたので、もし自分の家の家紋が庵などであれば、備中伊東氏の一族の可能性が考えられるかもしれませんね。

少し横道にそれましたが、「愛知県の伊藤さん」のルーツを探っていきます。伊藤の項目8に「三河の伊藤氏」という記述があります。

三河は愛知県豊川市あたりになります。山上城なるものがあり伊藤左京なる人物がいたようですね。他にも犬頭神社(けんとうじんじゃ)の社家にも伊藤氏がいたようなのです。

「そういえばうちのじいちゃんが、先祖は神社の神主だと言ってたな……」などという聞き伝えがある場合は、犬頭神社の歴史を調べてみるといいとおもわれます。

次に『角川日本姓氏歴史人物大辞典』の愛知県版を見てみましょう。大きな図書館であれば備え付けられています。『角川日本姓氏歴史人物大辞典』は大きく分けると、「市町村編」と「人物編」に分けられます。仮に、先祖が「愛知県豊明市」だったとして、今回は「市町村編」の豊明市の項目を見てみましょう。

豊明市の歴史が2ページ程度に簡単にまとめられ、代表的な神社や著名な人物、おもな産業は農業であったことが書かれています。

まず、見るべきは自分の名字と同じ家があるかどうかです。どうやら豊明市の中島という地に寺子屋をやっていた伊藤両村(いとう りょうそん)なる人物がいたようですね。先祖の出身が中島であれば、同族候補となります。中島でなくとも近隣の同姓の著名人は把握しておきましょう。

著名人はネットや文献でさらに調べれらることが多くそのルーツや事績がわかることが多いのです。

ネットで調べてみると、豊明市の中島とはかつての中島村であり、伊藤両村氏は中島村の庄屋であり元々は池田という苗字であったことがわかります。と、いうことは仮に先祖と伊藤両村氏が同族であった場合、そのルーツは池田ということがわかるのです。

ちなみに池田という苗字は全国各地にある池田という地名に由来するのです。

池田とは「池のそばの田地」や「休耕している田地」のことをいい、そういう場所に地名として命名されました。そして池田地名に住み着いた家が、池田という苗字を名乗ったといわれていますね。

全国の池田地名から池田氏は発祥していますが、とくに有名なのは現在の岐阜県揖斐郡池田町から発祥した系統で第56代清和天皇(850~880)の流れをくむ清和源氏土岐氏族の子孫といわれています。土岐頼清の子頼忠が初めて池田姓を称しました。

また織田信長の重臣で子孫が江戸時代(1603~1867)、岡山藩主や鳥取藩主となった池田恒興の家系は愛知県西春日井郡西春町出身の豪族で、ルーツは第8代孝元天皇の流れをくむといわれている古代の名族・紀氏の子孫とも第56代清和天皇(850~880)の流れをくむ清和源氏の子孫ともいわれていますね。

さらに大阪府池田市上池田からは第30代敏達天皇(?~585)の流れをくむ橘氏の子孫で楠正成の一族という池田氏が出ており、滋賀県甲賀市甲南町池田からは第59代宇多天皇(867~931)の流れをくむ宇多源氏佐々木一族の子孫という池田氏が生まれています。

今回の名字調査の具体例でとても大事なことがあるのです。今後の調査のためにも最重要と言っていいポイントです。それは、先人がまとめてくれた記録をうまく使わせていただくということですね。そしてその記録の出典を意識するということになります。

『姓氏家系大辞典』は立命館大学教授の太田亮(あきら)氏が、室町時代に作成された「尊卑分脈」を始めとして膨大な数の古文書を調査して、五十音配列で約5万種類の苗字や氏の由来を簡潔に記してくださいました。資料の収集に40年、執筆に6年以上という気の遠くなるような作業の末できた大作なのです。

『角川日本姓氏歴史人物大辞典』は地元の郷土誌や古文書、地元の伝承などをまとめ上げています。たとえば、今回例にあげた『角川日本姓氏歴史人物大辞典 愛知県版』で「市町村編.」の豊明市について見てみました。2ページほどにまとめられていましたが、この2ページを作るには膨大な文献を調査するとてつもない作業があったはずなのです。まずは豊明市史というった郷土誌があったでしょうし、さらには豊明市史の元になった村史や古文書類。地元の方からの聞き取り調査があったはずです。

豊明市の公式サイトを見ると、「豊明市史」があることや「豊明市歴史民俗資料室」なる施設があることがわかり更なる調査が進められそうです。

膨大な作業の末にできた2ページのおかげで、先祖が住んだ地の概略を知ることができ、同姓の著名人といった次段階調査の手掛かりを得ることができます。名字の調査は先祖への愛情とともに、先祖と同じ時代位を生き、手掛かりを残してくれた方たちへの感謝の気持ちを起こさせてくれるのです。