登録制のバイトなんざどうせむさっくるしい男しかいないだろうし、いいやっ!へへーんだっ!

と思ってヒゲぼーぼー寝癖ぼーぼーのままアルバイト登録会に行ったら、まじかわゆい女の子だらけで引きました。

というか引かれました。

この世には神も仏もないのか、あるいはこの世の神と仏は僕が孤狼でいることを望んでいらっしゃるのだと思います。

これまで基本的に僕の女性との異性的接近は心の傷以外のなにものをも生み出してはいないので、その意味では神と仏は僕を更なる傷から守ってくださっているのやもしれません。


まあそんな話はおいといて、詰まるところ、バイトはじめました。

この度、今月予定されていたとある大支出が回避される運びとなったので、これからのバイトは全て僕の貯金になるわけなのです。


さあ、みんな飲もうぜ!!

誰か飲み足りないやつはいないのか!

俺と飲みたいやつはいないのか!

飲もうよ!飲んじゃおうよ!

お酒を飲めばいいじゃない!

つらかろうと苦しかろうと、お酒が飲めればそれでいいじゃない!

まあ、給料が入ってきてからの話ですが。
いろんな意味で。

昨日は、学院時代のクラスメイトのウッシー君、エロス君、そのちゃん君とお酒を飲みました。

僕は案の定酔っ払って言わでものことを言いまくり、お恥ずかしい結果となりましたが、とても懐かしく、楽しい飲み会でした。下ネタも多かったし。というかほぼ下ネタだったし。

みんな、昨日はありがとう!













…。











というか、ウッシーとかそのちゃんが「ブログ見るからね」と言っていたので、なんか緊張してうまく書けない。

もうむり。アタイむり。

読まれてると思うと、アタイ恥ずかしくて書けない。

アタイむり。

でも、卒業しても、アタイ、あんたらのこと忘れないよ!

では、うんこ。
馬場に行く機会もめっきりなくなって、最近すたどんを食べていない。


すたどんが食べたい!


すたどんが食べたいいぃ!!


だからこれからすたどんを食べに行く。


そしてしかるのちオコワタ。


そういえばもう四日もお酒を飲んでいない。


お酒が飲みたい!


お酒が飲みたいいぃ!!


だから明日はお酒を飲みに行く。


高校時代の友人たちと。


それからもう長い間彼女がいない。


彼女がほしい!


彼女がほしいいぃ!!


でもなぜだか彼女はさっぱりできない。


そんな今日この頃。


新橋の空も涙ぐんでおるよ。
俺はこの一ヶ月くらいの間、どうしてあんな放蕩三昧に耽っていたのだろう。

もうお金がないじゃないか。

せっかく年末を肉屋のBB達と過ごすことによって懐が暖かくなっていたのに、それを酒で食いつぶしてたらそのうちお金なくなるに決まってるじゃないか。

そんなわけで、卒部旅行に行ったら無一文になることが発覚した。

いや、てかなんでちゃんと計算しながら遊ばないの?

なんでなくなっちゃうまで気付かないの?

いいかげん過ぎでしょ。

そりゃそのうちなくなるに決まってるでしょ。

もう完全に気の迷いとしか言いようがない。

そんなわけで、いまさら焦ってバイト探しをしているわけだが、まあ時期が時期なので短期単発のバイトに賭けるしかない。

イベント系のバイトにもすでに登録した。

TOEICの試験官にもすでに応募した。

ティッシュ配り系のバイトにも登録した。

前泊で交通量を数えるというなんかエグそうなバイトは、やろうかどうか思案中。

考えてみると初任給が出る4月25日までの間は貯蓄によって自活せねばならぬわけだから、このままいったら餓死するかまたは独立してなお親の扶養にすがるおすねかじり虫に成り下がることになってしまう。

それは避けねば。

うぉぉぉぉバイトすんぞっ!!

今日もこれからオコワタという弓道部伝統の徹夜バイトだ。

でも、昨年インカレの一週間前に試合矢が折れるという惨事に見舞われ、その際にオコワタ金庫から借金をして矢を購入したので、今日と明日の徹夜バイトは単なる借金返済労働であり、収入にはならない。

お金がもらえないと思うと、バイトのモチベーションなど保ち得るはずもない。

だって俺は別にタクシーの運転手さんを起床させることに志があってオコワタをしているわけではないのだから。

あー、まあでも、頑張ろう。

ドライバーさん達は、もっともっと大変に違いないんだもの。


夜、眠れなくて寂しい気分になったら、メールしてください。

僕は深夜2時から朝8時くらいまでは、確実に起きてますからね。

にしても今日さむすぎじゃないかい?
最近は毎日いろんな方面の人々と会っている。

サカス先生やヲカ女史と「落としソング研究会」改め「常苦会」の活動で5時間に亘ってカラオケに興じ、かつ酒を飲んだのはたしか一昨日のことだが、昨日は小学校時代の友人であるプレスリー氏、モンチョ氏と酒を喰らって再び記憶を失い、それに続いて本日は贅沢なことに慶應のヨッスェ女史とランチをご一緒した。

三日間で五人もの友人と会っている。

なんとも社交的だ。

人里離れた山中に隠遁生活を送りたいとか思っていた僕が嘘のようではないか。

これはおそらく、部を引退して僕が唾棄すべきチャラ男に堕したというのもその一因であるが、それ以上に、いよいよ胸の中で自己解決することができなくなってきた虚無を友人たちとのふれあいの中で解消しようという無意識的な指向性によるものでもあろう。

すなわち、国内の資源的窮乏の打開策として対外膨張に打って出るようなものである。

お酒を飲んで言葉を交わせば、虚しき心も少しは救われるものよ。

ちなみに「常苦会」とは、ウッディ・アレンの「恋をすることは苦しむことだ。苦しみたくないなら、恋をしてはいけない。でもそうすると、恋をしていないことでまた苦しむことになる。」という名言をその名の由来とする研究会で、活動内容はカラオケである。

本当は女を落とせる歌を研究するのが趣旨であるが、その内実は普段のカラオケだと恥ずかしくて歌えないような歌を好き勝手に歌いまくっているだけである。

いつの間にか研究会も三回を数え、最近ではヲカ女史のような女性の参加も見られるなど、盛況である。志のある諸君は大歓迎なので是非ともご参加頂きたいと思う。


昨日共に飲んだモンチョ氏、プレスリー氏は小学一年生の頃からの友人である。
久しぶりの邂逅に気まずい空気が流れるのではないかという危惧もあったが、友と酒の前に不可能はない。

結果、僕は案の定ベロンベロンのシモシモ状態となり、今となってはもはや何をしゃべったのかもよく覚えておらぬ。

酣酔の中に刹那的幸福を堪能し、それでいて翌日にはその全てを忘却の彼方に放逐してしまう。
それが酒の作法だ。

ご両人、昨日はありがとう!また次に会える日を楽しみにしておるぞ。


さて、そして本日、幸運なことにヨッスェさんとのランチを楽しむことができたのは、以前お借りしていた本をお返しするという口実があったからである。

女の子と、それも今をときめくヨッスェ女史と二人きりでランチだなんて、うっはうはである。

まあ以前の僕であれば「女の子と二人きり=デート→恋愛」という方程式を成立させていたに違いないが、まがりなりにも四年間共学の学校に通ってきたので、今では僕も、女の子の思想というのは「そうとは言い切れない」ということを理解し得る程度には賢くなった。

そんなわけで、以前の僕なら女の子と二人きりだなんてドキドキしちゃってテンパっていたに違いないが、今では変な気負いもなく女の子と接することができるわけだ。

これは、男としての純粋性の喪失とチャラ男への堕落を示す現象には違いない。

しかし誠に遺憾ながら、現代において清廉潔白にして純粋なる男が彼女を獲得し、かついちゃこらいちゃこらするのは至難であると思われるので、こういう変容は悲しむべきことではあるけれども、我が将来における利害という側面から見ればそれは利であると言うことができるだろう。

だって、あれじゃないですか。女の子をいちいち異性として意識しちゃう男よりもそういうの全然意識しないで馴れ馴れしく接しちゃう奴のほうがモテるのが世の常じゃないですか。

まあ僕が純粋にして立派な男だと思うのは、女の子をガチ異性として意識しまくり、むしろ女の子を見る目は常に堂々とエロス目線というような男なわけだがね。

そうやってエロ丸出しなのにさっぱり女に縁のない男を、僕は「清廉潔白にして純粋なる男」と呼びたい。

本性を愛だの恋だのの仮面の裏に隠して、色欲を恋愛上の美しきなにものかの如く擬装して、色を色とも思わずに小狡く性を貪る男どもに比べれば、その姿のなんと正々堂々たることよ。

中島みゆきだって言っている。

「君の心がわかると、たやすく誓える男に、なぜ女はついてゆくのだろう」

そう、まさしくそれである。

心がわかるなどと平気でほざく男より、わかろうとしてもわかり得ぬことを認められる男のほうがどれだけ誠実かということだ。

愛だの恋だのと、自分の心の欺瞞を疑うこともせず、平気できれいごとを吐く男よりも、自分の気持ちが本当はただの自己実現欲求や色欲の顕現に過ぎぬのではないかと疑い悩む男のほうが、どれほど誠実かということである。

そのあたりを、女子諸君には是非とも心に銘じて頂きたい。

完全に話が逸れたが、まあとにかくそんなわけで今日は麗しき淑女と優雅な昼飯を楽しむことができたというわけだ。いやーよかったよかった。満腹満腹。

ちなみに僕は少し前日の酒が残っていたせいで食欲がなく、サンドイッチを食い尽くすのに1時間以上もかかるていたらくであった。いやーもう気持ち悪くなるくらい満腹。

ヨッスェさん、本日はどうもありがとう!あと本もありがとう!


さて、そんなわけで、チャラ男街道驀進中の僕である。

だが、実は肉屋バイトでせっかく貯めたお金を酒で費消し尽くしつつあるので、そろそろ新たなバイトをせねばならぬ。

そこで、チャラ男であるところの僕は今、あんまりつらくなくて短期間にそこそこ稼げる日雇いのバイトを探している。

皆さん、なんかオススメないですか?
うわあああああ



虚無だよおおぉぉ



毎日酒ばかり喰らって、俺は何をしているのだあああ



うわあああああ



でも今の俺に、酒以外に何があるというのかああああ



うおおおぉぉぉ



最近の収穫は、弓を購入したことと、中島みゆきの歌はよさげだということを知ったということくらいであるぅぅぅぅ



あああーやべぇーむな死するぅぅぅ



どっかに俺を必要としてくれている人はいないのですかあああぁぁ



存在理由がわかりませんんんんんん



自我が希薄ですうううぅぅ



人間の形を保っているのがやっとですうううぅぅぅ
送別会が終わり、我々四年生一同はとうとう正式に弓道部を卒部した。

朝からの送別射会に始まり夜通し飲み明かすという盛大なる送別の宴を我々卒部生の為に開催して下さった皆さんには、本当に心よりお礼を申し上げたい。
特に企画運営にあたった主務副務諸君は、さぞかし忙しかったろうと思う。お疲れ様。
それから遠路はるばる我々の卒部を祝いに来てくださった先輩方にも、頭が上がらない。

皆様、本当にありがとうございました。

しかし、僕はといえば三次会にて先輩後輩諸氏の前で見事に悲惨な酔態を晒し、誰と何を喋ったのかも覚えておらぬ始末である。

ご迷惑をおかけした方、気分を害された方がいらっしゃったら誠に申し訳なく思う。

ごめんなさい。


さて、送別会が終わり、いよいよ部活ともお別れだという感覚が、じわじわと現実感を帯びてきた。

四年間、僕の生活のほとんど全てであった弓道部。

自分の近くに在るのが当たり前であった弓道部。

もう僕の生命の一部分であったと言っても過言ではない。

そんな場所とお別れをするのだから、感慨は無量である。

根がセンチメンタルな人間であるところの僕であるので、今、心は深い感傷の底に浸っているが、この気持ちを言葉にするのは甚だ難しく、筆舌に堪えない。

まさしく感慨無量というのが相応しいだろう。

万感は胸に込み上げてくるが、人前で泣いたりできない性格も手伝って、それは未だに、泣いたり笑ったり叫んだりするような激情となっては顕れてこない。

むしろ、なんとなく泣きたいような気分がずっと続いているという感じだろうか。

胸にあいた穴を飄々と空っ風が吹きとおっているような気持ちだ。


何かと、誰かと、お別れをするときには、いつも思うことがある。

さよならを運命付けられた関係の、なんと儚きことか。

死別であれ決別であれ、人間にとって別れは必定だ。

互いの人生を交錯させながら出会いと別れを繰り返す人間は、それにもかかわらず、他者になんと大きく自分の存在を委ねているものだろうか。


コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(井伏鱒二『厄除け詩集』より)


これは、于武陵の「勧酒」を井伏鱒二が意訳したものだ。

この名訳のことは、ミネスに教えてもらって初めて知ったのだったと記憶している。爾来、僕の好きな詩の一つである。


「ずっと一緒にいようね」なんて、ひどく不誠実な言葉だ。

生まれたときから死への道を歩み、出会ったときから別れの日を待つ人間が、軽々しく永遠を口にするなど、軽薄以外のなにものでもない。

ずっと一緒にはいられないからこそ、一緒にいられる時間が大切なのだ。

いつかは別れねばならないからこそ、出会いというものの奇跡は殊更胸に迫るのだ。

会うは別れのはじめとか。さよならだけが人生だ。


まあ要は、淋しいのだ。僕は。
よおし起きれた!

今日は弓道部の卒部生送別会である。

昨日も学院クラスメイトのソノちゃんと酒を飲んだので起きられるか不安だったのである。

送られる側が遅刻なんかしたら顰蹙ものであろう。

その上もう卒部生だから正座とかで罪を清算することもできず、ただただ後輩達の心にわだかまりを残すのみであろう。

あーびびったびびった。

でも起きれた。

よかった。

今日の天気はいかにも春のはじめの雰囲気である。

昨夜は雨と風が吹き荒れていたようだが、今朝の空は清々しく晴れ渡って、過ぎ去った嵐の面影を濡れた街路のそこここに残すのみである。

思えば小学校の卒業式の日も、春の嵐が過ぎ去ったあとで、日差しは暖かいのに風には少し雨の湿った匂いが残っていた。

感慨もひとしおではないか!

それにしても、起きれてよかった。
春めいてきた。

日差しは暖かく、風も春の雰囲気を漂わせはじめている。梅だって満開だ。

あまりに春めいているので、僕は散歩に出かけたくなった。

そこで、かねてから行きたいと思っていた面影橋近くの鯛焼き屋さんに行ってみることにした。

西早稲田のキャンパスから神田川の方へ下り、甘泉園に軒を面する住宅地へと入る。

甘泉園脇の公園では、子供達が跳ね回っている。非常にのどかなところである。

先日サカス先生から図示にて道を教えてもらったが、果たして方向音痴界のホープであるところのこの僕が独力で目的地に辿り着けるのだろうか。





…て、あったぁぁあああーー!!辿り着いたあああー鯛焼き屋さん意外にちけぇぇえええーやったああああー





「臨時休業」





……。





…いや、別にいいですよ?
別に鯛焼き食べるのが目的じゃないですから。お散歩が目的ですから。全然、悔しくもなあーんともない。全然へいき。余裕だもん。





「誠に勝手ながら、本日は休業させて頂きます。店主」





…いやいや、全然、謝ることなんてないですよ。
僕、べつに鯛焼き食べるのが目的でここまで来たわけじゃないんで。春めく町並みを見に来ただけなんで。いや、ほんとに。だから大丈夫なんで。全然大丈夫なんで。いや、ほんとに。





仕方がないので、せめて何かを得て帰ろうと思い、復路は甘泉園の中を通って帰ることにした。

大学ももう卒業間近であるというのに、僕は今まで一度も甘泉園に行ったことがなかった。

甘泉園は、かつては徳川御三卿清水家の下屋敷のお庭であった回遊式庭園である。

昔はこの甘泉園のあたりに早大弓道場があったというから、なんともうらやましいものだ。

甘泉園の中には、見ごろを迎えた梅の花が咲き誇り、時期を終えつつある椿の花がそこここに落ちていた。

かつての武士達は、花ごとボトリと地に落ちる椿のことを、首が落ちるようで縁起が悪いとして忌み嫌ったという。

それなら徳川御三卿の清水家下屋敷になぜ椿が植えられているのだろうと疑問を抱かずにはいられないが、まあ不吉であれなんであれ、美しいのだから問題ないと言えば問題なかろう。

ちなみに一方で、枯れることなく美しい花のままでボトリと地に落ちる椿は、いつまでも美しくありたいと願う女性達にシンパシーを感じさせる存在であるらしい。

どちらの解釈も僕にとってはあまりかかわりのないことではあるが、しかし、一つだけ言えることは、春が近づいてきているということだ。

僕の心には今も寒風が吹きすさんでいるが、そんなことはお構いなしに季節は巡る。

次に散歩をするときは、水稲荷の境内にあるという小笠原流斎藤道場を見物し、必ずや鯛焼きを食べようと思った。

今日はその後送別会に向けての体配練習があり、夜はスティーブン君、ミネス君、タマキ君、サカス君、ヲカ君、コーメイ君と酒を飲んだ。

まあ、どうだっていいじゃない。

お酒があれば、どうにでもなるじゃない。

我が心の虚無も、酒を飲んでいる間だけは、それが埋まったかのような錯覚を味わえるのだ。

それでいいじゃない。

せめて、再び燃えられる何かが眼前に現れるまでは。

心を尽くして愛することのできる彼女が現れるまでは。

酒を!

我が青春の苦悩に、酒の救済を!
某女神様からお借りしていた本を、ようやく読み終えました。
たしかとがこんの際にお借りしたので、もう二ヶ月くらいになるでしょうか。図書館ならば完全に期限ぎれであります。ほんとに遅読で申し訳ありません。
いや、ほんとのことを言うと、借りてすぐ10ページくらい読み進み、その後なんかいろいろごたごたしていて読書が停滞していたのです。そしたらこないだmixiに当のヨッスェ様から「いつ本返せばえぇ?」(あ、交換でプリズンホテルをお貸ししていたのです)というメッセージが届いて、ぎぃぃやぁぁあああーしもたでしもたでええぇとなって慌てて読んだというのが事の真相であります。

ほんとごめんなさい。いや、忘れてたわけじゃないんです。読もう読もうと思っていながら、不可抗力的な何かが僕と本の間を引き裂いていたのです。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」です。

それにしても、大変楽しい本で御座いました。読み始めたら面白くて一気に読んでしまいました。内容はポップにしてキュート、ギャグテイストでありながら哲学的であり、僕は大変啓蒙せられた次第であります。

特に主人公の大学生の境遇と思想に共感するところが頗る多く、自分のことを書かれているのかと思うほどでした。

「唾棄すべき青春」とか、「薄汚い青春の最中に立ちすくむ大学生が、じつは世界で一番清らかであるという真実」とか、僕が言ったんじゃないかと思いました。

極めつけはこの文章であります。
「いったい私に彼女の何が分かっているというのか。焼け焦げるほど見つめ続けた後頭部のほか、何一つ分かっていないと言って過言ではない。それなのに、なにゆえ惚れたというのか。根拠が不明瞭である。それはすなわち、私の心の空虚へ彼女がたまたま吸い込まれただけのことではないか。」
僕はこれまで幾度、この文章と全く同じ問題に煩悶してきたことでしょうか。もう彼は僕とおんなじ思考回路を有しているとしか考えられません。というかこいつ好きです。お友達になりたいです。

この小説の著者は森見登美彦先生という方で、不学にして僕はその御芳名を耳にしたことがなかったのですが、読んでて明るい気持ちになる非常に素敵な文章の持ち主です。

ちなみに、以前、この本を貸してくれたヨッセ女史に僕の文章がこの先生のそれに似ているというお褒めの言葉を頂いたことがあったのですが、ついこないだの日記に書いた「心の中の宝石箱」とかいう表現がほとんどそのままこの本にあるのを見つけてそのことを思い出し、「やはり俺は作家の器なのか、ぐへへ」と内心ほくそ笑んだのは実話です。

見る人が見れば、僕のブログはこの森見先生の文章をパクろうとしていると思われてしまうかもしれません。

ぐへへへ。

でも僕は声を大にして言わせて頂きます。

僕は失恋の次にパクりが嫌いというほど人のマネをするのを恐れる男であります。

時流に迎合するのを厭うあまり、髪の毛にワックスをつけるのも眉毛を手入れするのも拒絶し続け、さらにはファッション紙の類も恥ずかしくて読めぬ男であります。

そんな僕が、ひとさまの、それも作家先生の文章をパクるなど!

有り得ぬことであります!

つまりは才能!

やはり僕はゆくゆくは文壇にデビューすべき天賦の何かを持った特別な男なのやもしれません。

フハハハハハ。

…はい、まあちょっとこきすぎました。

森見さんには大変なご無礼を仕りました。

言いたかったのは、森見先生の文章はなんとなくシンパシーを感じる素敵な文章だということなのです。

ヨッセさん、ほんとに面白い本をありがとうございました。



さて、話は変わりますが、昨日は学院弓道部の戦友マスピー&ロシアと酒を飲みました。

場所は、前々から行きたいと思っていた馬場のハンベエという居酒屋であります。

この居酒屋は昭和レトロをコンセプトにしたお店で、店内には骨董品的な趣のあるレトロポスターがところ狭しと貼られており、照明は裸電球が照らし出すのみのノスタルジックな雰囲気です。

さらに料理は百円前後のものばかりで、お酒まで聞いたことないようなレトロなお酒がたくさん置いてあります。

昭和30年に白金の後藤商店で作られた「ホイス」なるものや、上述の小説にもその名が登場した明治時代の「電気ブラン」なるお酒も飲むことができ、非常に面白いお店でした。いやあ、ハンベエよい。よいよい。安いし。非常によい。

マスピー、ロシアの両君は、以前僕が精神的に最もきつかった頃に立ち直る手助けをしてもらった恩義のある友人であります。

高校時代の友人は一生の友人となるとよく言いますが、彼らとは長く付き合っていきたいものであります。

以上、ここ二日間くらいのトピックスでした。



追伸

飲んでばかりではないか、というご批判は甘んじてお受け致す。

これは、弓以外の娯楽に走ってあとあと後悔するのを恐れ、ストア学派の如き禁欲的な生活を送った部活時代の反動かもしれぬし、あるいは卒業を間近に控え、いつが今生の別れとなるかもわからぬ知己たちと別れの盃を交わしたいと欲しているが故かもしれぬ。

だが、どちらにせよ知ったことではない。

私は友と酒を飲みたいのだ!

それだけだ!