送別会が終わり、我々四年生一同はとうとう正式に弓道部を卒部した。

朝からの送別射会に始まり夜通し飲み明かすという盛大なる送別の宴を我々卒部生の為に開催して下さった皆さんには、本当に心よりお礼を申し上げたい。
特に企画運営にあたった主務副務諸君は、さぞかし忙しかったろうと思う。お疲れ様。
それから遠路はるばる我々の卒部を祝いに来てくださった先輩方にも、頭が上がらない。

皆様、本当にありがとうございました。

しかし、僕はといえば三次会にて先輩後輩諸氏の前で見事に悲惨な酔態を晒し、誰と何を喋ったのかも覚えておらぬ始末である。

ご迷惑をおかけした方、気分を害された方がいらっしゃったら誠に申し訳なく思う。

ごめんなさい。


さて、送別会が終わり、いよいよ部活ともお別れだという感覚が、じわじわと現実感を帯びてきた。

四年間、僕の生活のほとんど全てであった弓道部。

自分の近くに在るのが当たり前であった弓道部。

もう僕の生命の一部分であったと言っても過言ではない。

そんな場所とお別れをするのだから、感慨は無量である。

根がセンチメンタルな人間であるところの僕であるので、今、心は深い感傷の底に浸っているが、この気持ちを言葉にするのは甚だ難しく、筆舌に堪えない。

まさしく感慨無量というのが相応しいだろう。

万感は胸に込み上げてくるが、人前で泣いたりできない性格も手伝って、それは未だに、泣いたり笑ったり叫んだりするような激情となっては顕れてこない。

むしろ、なんとなく泣きたいような気分がずっと続いているという感じだろうか。

胸にあいた穴を飄々と空っ風が吹きとおっているような気持ちだ。


何かと、誰かと、お別れをするときには、いつも思うことがある。

さよならを運命付けられた関係の、なんと儚きことか。

死別であれ決別であれ、人間にとって別れは必定だ。

互いの人生を交錯させながら出会いと別れを繰り返す人間は、それにもかかわらず、他者になんと大きく自分の存在を委ねているものだろうか。


コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(井伏鱒二『厄除け詩集』より)


これは、于武陵の「勧酒」を井伏鱒二が意訳したものだ。

この名訳のことは、ミネスに教えてもらって初めて知ったのだったと記憶している。爾来、僕の好きな詩の一つである。


「ずっと一緒にいようね」なんて、ひどく不誠実な言葉だ。

生まれたときから死への道を歩み、出会ったときから別れの日を待つ人間が、軽々しく永遠を口にするなど、軽薄以外のなにものでもない。

ずっと一緒にはいられないからこそ、一緒にいられる時間が大切なのだ。

いつかは別れねばならないからこそ、出会いというものの奇跡は殊更胸に迫るのだ。

会うは別れのはじめとか。さよならだけが人生だ。


まあ要は、淋しいのだ。僕は。