矢、購入しました。

昨日の帰り、一番近い山田弓具で。

まあいろいろ情報収集した結果、「ジュラ矢なんて、どこでも同じじゃね?」という結論が一番妥当と思われたので、近場で済ますという作戦に打って出たというわけです。

周囲の意見では、ぜったい既製品の方がいいよね~、という雰囲気が大勢でしたが、僕はあえてオーダーにしました。値段も変わんないそうなので。まあできるまでに時間がかかるので合宿には間に合いませんけど、合宿の次の日から新たな仲間たちと共にやっていけます。


だって、いいですか?たしかに既製品もオーダーも山キューの矢師のじいちゃんが作ってることには多分変わりないでしょうよ、たしかにそうですよ。

しかしね、これはスティーヴン君と話してるときに思ったことですがね、既製品は、山キューのじいちゃんが、誰でも買えるように、いわば世界中の全ての人を対象に作った商品なわけですよ。しかしね、オーダーの矢はね、じいちゃんが俺のためだけに作った作品なわけですよ。

これから長い間射続ける矢なわけだし、せっかくならオーダーにしたい。そう思って、結局オーダーで俺の生き残った三本と似たような矢にしてもらったのでした。めでたしめでたし。


あと、ついでに生き残った三本を切ってもらいました。異常に長かったので。切って96cmにしてもらいました。でも、だいじょぶかなあ?俺って結構矢束でかい人だけど・・・・

まあいいか。たぶん大丈夫だろ。


全部で21000円。いたい出費だ。相応の働きをしてもらわねば。


あ、それから驚いたことに山きゅーで、こないだトガコンで知り合った慶応のA井(たぶん)に会いました。彼も俺と同じで矢買ってました。

次に相まみえるのは慶応定期戦であろう。そのときは、敵同士である。

いやあ、たのしみたのしみ。



さて、今夜はバイトだ。オコワタ。

タクシーの運ちゃんたちを華麗に起こしてきます。いやいや久々だなあ~。


では、ただの近況報告になっちゃいましたが、本日はこれにて。

もうすぐ合宿だ~。合宿が終わる頃までには、ある程度的中の確固たるイメージとでもいうものを作り上げておかなければならんなあ。新人戦が近いかんね。


そろそろ射を根本からいじったりするのはやめにします。なんとなくやるべきことは見えてきたような気がするし。


あ、それから矢を買わなきゃなあ。今、俺の矢は三本しか生き残ってない。あと三本は、戦死しました。二本は矢の直撃を食らって再起不能。一本は弓置き場に置いといたら行方不明に。皆それぞれに名誉の戦死、天晴れであった。お前らはいつまでも俺の心の中に生き続けるぞ。お前らが天国で、「俺はあの弓手師さんの愛用の矢だったんだぜ!!」と自慢できるような名手になるために努力するから、見守っててくれ。お前らの死は無駄にはしないからな。うむ。

というわけで、だから今はこの三本に加えて学院弓道部時代の戦友、ロシアが愛用していた矢、すなわちロシ矢を五本拝借仕っている。ちなみにこのロシ矢は、もともとつん氏がロシアから借りていたものだが、彼が勝手にちょうどいい長さに切ってしまったためにロシアがすねたという逸話を持ったいわくつきの代物でもある。


つまり、いま俺と共に闘う矢たちは、全部で八本ということになる。しかし、もともとの俺の矢とロシ矢は、長さが違う。そして、俺の矢は三本しかない。試合では、一本だけ違う長さのロシ矢を使う必要が出てくる。全部ロシ矢という手もあるが、やはり、高校時代、数々の修羅場を共にくぐり抜けてきた戦友である自分の矢を使いたいというのが人情というものであろう。

だが、長さの違う矢を使って試合を闘うというのは、やっぱりなんとなく不利であるような気がしてしまう。

いや、ほんとはたいして変わらないかもしれないけど、道具面、コンディション面で万全でない状態で試合に出ようなどというのは、失敗したときの逃げ道を作っているようで男らしくない。

万全で闘わないのは、味方にも、敵にも失礼というものだ。


だから、俺は合宿には間に合わないかもしれないけど、合宿前に弓具屋に行って新人戦までに揃うように矢を作ってもらおうと思っているのである。

さて、杉山弓具店がいいか、長谷川弓具店がいいか、あるいは山田弓具店がいいか。

いずれも矢師だから、そんなにめちゃくちゃな仕事はしないと思うけど、やっぱりこれから共に闘っていく矢たちなわけだから、しっかりしたものがいいよね。


でも、俺ってそういう話にうといから、皆さんからの噂を募集中~。

どの店がいいかなあ?コメント書いてね。


明日から女子部の方々は合宿だそうで。確固たる的中のイメージを作るべく頑張ってくださいな。





さて、話は変わるけど、最近こんな歌 を見つけた。実は結構前にも動ナビで見たことあるけど。

好き。なんかこの微妙なテンションが好き。爆笑ってほどじゃないけど、おもしろい。この外人好き。


あ、女の子が見るのはあんまり奨励しませんよ。ま、べつにそこまでいかがわしいシロモノではないけどね。

見るなら自己責任ね。気分を害そうがなんだろうが自己責任ね。俺への批判はやめてね。俺はこうやって忠告したからね。


はい、じゃ、そういうことで。

どうもどうも、お久しぶりですな、弓手師ですよ。

ユンディズムの彼岸が好きで好きでたまらない読者の皆さんには、申し訳ないことをしましたな。

つっても、三日ぐらいしかサボってないけどね。


なんで更新しなかったのかというと、めんどくさかったからです。

それに、シーズンに入るとまじでほんとにまったくネタがなくなりますな。だって朝起きて、ダラダラして、電車に乗って、道場について、弓引いて、帰ってくるだけだし。単調な~生活を~繰り返すだけ~。しかもこのサイクルでは新たにおもしろい情報が入ってくる可能性も低い。つまり、そのダラダラ時間にすんごいおもしろいことがあったり、電車の中ですんっごいかわい~い女の子に遭遇したりしない限りは、書くべきことは生じ得ない、ということなんですな。

あ、もちろん道場でおもしろいことが起こることもあるだろうけど、このブログの読者層を考えると、書いてももうみんな知ってる、というさむ~~い事態になる可能性が高いし、部員以外の読者の方にとっては全然おもしろくねえ話だし、それにブログに書くほどおもしろいことって、道場じゃあんま起こらないよな~。



なので、脳内から書くべきことをひねり出すしかないのであります。私の旺盛なる想像力ならぬ妄想力を遺憾なく発揮すれば、ブログにおける死活問題とも言えるこのネタの決定的欠乏をも、必ずや打開することが可能となるに相違ないのであります。


事実、ユンディズムの彼岸記念すべき第一回、「ユンディズムの深淵に立って」から今日に至るまでのおよそ二ヶ月間、私は幾度となく恐ろしいまでのネタの欠乏に脅かされてきたのであります。なぜなら、私は基本的に単調な生活を送るつまらない男だからです。しかしながら、私はその都度、それらの危機を創造によって切り抜けてきたのであります。シナプスを通り抜ける無数の電気的な信号が、なにもないところから価値を生み出してきたのです。


私は信じたいのです。人間の、「心」の可能性を。たしかに、ディ氏の言うように人間の生命活動は細胞間の電荷の移動に過ぎないかもしれない。人間は所詮機械に過ぎないと言えるかもしれない。


しかし、それでも、私は信じたいのです。

無から価値を創造する、人間の心を。それが単なる電気的反応以上のものであるということを。




さて、では、今日は何を書こうか?







・・・・・いや、もう十分書いたよね。十分ひねり出したよね。

いやあ、がんばったなあ。意味わかんない文章だけどよくやったよ、俺は。

いやあ、人間の創造力ってすごいなあ。いや、ほんとすごいよ。がんばったよ。

実は俺は、ひそかにバイトをしている。


そのバイトは、お気軽、お手軽だし、弓道部員のように昼から晩まで忙しく練習せねばならん立場の人でも空いた時間でパパっとできるので、とてもありがたいのだ。


ただし、給料をもらえる確率は、かなり低い。おそらく1%程度の確率だろう。

しかも、もしもらえたとしてもその額はピンきりである。モノによっては五十万とかもらえる。でもモノによっては三千円の図書券とかである。



そのバイトとは、すなわち公募である。そう、動物園で新しく生まれたサルの赤ちゃんとかに名前をつけたりするアレである。まあ、たしかにしょぼいですよ。悪あがきですよ。気休めですよ。


でもオコワタでアスベストらしきものを発見して以来、あそこにはあんまし行きたくない。というわけで、もしあたったらいいな~というわずかな望みだけを頼りに、俺はこのバイトを始めたのだ。




今日も、午後十一時にようやく帰宅した。


テーブルの上を見ると、俺宛に一通の封筒が届いていた。


その中身は、驚くべきものだった。


なんと俺の短歌が入賞したのを知らせる通知だったのだ。驚きだ~~~!!ひゃっほ~~~!!


そのコンテストは、財団法人歴史のみえるまちづくり協会が主催したもので、平成独楽吟というやつだった。


「3514首の中から、このたびあなたの作品が秀作に選ばれました。おめでとうございます。」



よっしゃーーーー!!秀作かあ~!!いけると思ったんだよね~!!ふはははは!!!


ちなみに、秀作は21首。俺って意外とすごいぜ。うへへへ。


さっそく、賞金を調べることにした。サイトを開く。



大賞、賞状と五万円。


福井県知事賞他、賞状と二万円。


熊本市賞、賞状と特産品一万円相当。








ドキドキ…ドキドキ・・・・









秀作、賞状。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






えええぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!!

賞状だけ~~~~!!?名誉だけ~~~~~!!?バイトになってねえ~~~~~!!!!

千円くらいくれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!



その手紙は、表彰式の出席依頼だった。なんか抹茶とか飲ましてくれるとか。


だが、その日は三月十九日。

さっきつん氏に聞いたら、筑波定期らしいじゃないですか。


いかねえよ!!!俺は歌人である前に弓引きだ!!文化人である前に武人だ!!心は常に闘っていたい!!それに筑波定期は新人戦の前哨戦!!そんなときにのんきに抹茶なんかすすってられるかああああああああああ~~~~~~~~~~!!!!!


つーわけで、代理で親にでも行ってもらうか、あるいは欠席してあとで賞状が送られてくるのを待つかですな。


ちなみに、一応その入賞作品を載せておこう。あ、著作権はその協会にあるので、あしからず。




楽しみは 冴えた弦音の 冷やかに 矢の正鵠を 貫きしとき



今日は歌人の、弓手師でした。

先日、ラジオで面白い話を聞いた。

投稿者が彼女と一緒に沖縄土産を買おうとしたときの話。


沖縄銘菓「ちんすこう」を買おうとした彼女が、読み間違えてこう言ったそうだ。















「チンコスキーください。」













爆笑しました。久々にラジオで爆笑しました。この子、まじ面白いわ~。やべえよ、面白すぎだよ。

そうか~。好きなのか~。へえ~。そりゃ沖縄銘菓も勝てませんよねえ。うへへ。


ってか彼女がこんな間違え方したら確実に惚れ直すね。それどころか女の子の友達がこんな間違え方したらその場で惚れるね。そして帰りに告白しますな。面白すぎるし。ちょっとかわいいし。



あ、いきなり下ネタになった感があるけど、下ネタではないよ。ただの言い間違いの話だから。これを下ネタだと思うとしたら、それはあなたの心が下を欲しているからですよ。




まあそんな超面白い話はこれくらいにして。昨日はバレンタインデーでした。


いやあ、もらっちゃったよね。チョコチョコ。

義理チョコいくつかと、人情チョコ一つね。いやあ、ありがたいよね。


まあ義理チョコは主には弓道部女子の方々からたくさんもらっちゃったよね。(同年代の女の子からもらうの超久々かも)あと知り合いのおばちゃんとかからね。いやいや、ほんとにかたじけない限りですよ。

さらに人情チョコは二女のある方からもらっちゃったよね。名前は出していいのかわからんので、ここには書かんけどね。いや~びっくりだね。世の中捨てたもんじゃないね。なんでもその人情チョコは、俺が今年に入って「いいことないよ~うんこうんこ」といいまくっていたので、その姿に憐れをもよおした彼女が俺を励まさんとなんと個人的に下さったのですよ。いやあ、やさしいねえ~。感動もんですよ。いや、まじありがとね。


それにしても義理チョコって言葉、世間一般には、あまりいい意味で使われていないですな。でもこれって、この言葉の正当な評価ではないんじゃないか。

だって、「義理」とは、「正義の道理」という意味である。つまり、義理チョコは、正義の道理チョコである。正義という観点から見てそれが必然であるということ。それが義理である。


つまり義理チョコとは、その相手にチョコを渡すことが正義にかなっているということであり、いたいけな女の子たちが、己が正義を貫かんとする行為である。

ぶっちゃけ、自分のエゴを押し付ける行為である本命チョコなんかより、義理チョコの方がすんごく崇高な行為なのである。

それなのに、なんだ義理チョコのこの扱いは!!そのチョコは、いわば正義の結晶だぞ!「どうせ義理チョコでしょ」じゃねえぞ!!このやろう!正義を軽んずる行為は許されるまじ!


正義の道理にしたがって俺に与えられたチョコ。なんて崇高なチョコだろうか!!ありがたや!ありがたや!!謹んで頂戴仕らねばならぬ!!


さらに人情チョコ!これは言うまでもない!!誰の目から見てもありがた~いチョコである!!憐れみってとこがちょっと悲しい気もするが!いやはやいやはや!!ありがたすぎてびっくりしたよ!!「個人的に・・・」って言われたとき「えっ!!?」ってちょっと勘違いしそうになったよ!!それほどありがた~いチョコである!こちらも、謹んで頂戴仕る。


ま、今日書きたいことはこんなとこ。みなさん、ありがとう。


義理と人情のこの世界。義理が廃ればこの世は闇だが、まだまだ大丈夫そうである。


では、チンコスキーの彼女に愛を込めて。

メアドがダサいと萎える。約24%。


二十代女性の約24%が、気になった相手のメールアドレスがダサいと気持ちが萎えるんだって。

いまブログで読んで知りました。



うわー。俺のアドレス、名前そのものじゃん。ダサいとかそういうの以前の問題だよね。工夫すらしてないからね。まあこのアドレスにダサいという評価を下されてもヘコみますけどね。名前だし。



でも、変えませんよ。めんどい。それに俺のことが気になっちゃうような変な子はメアドのダサさになんか気付かんだろ。メアドのダサさに気付くような子はその前に俺自身の変なとこに気付いちゃうだろ。ま、そーいうこと。にしておきます。


てか女の子が「萎える」とか言うとこっちがまじ萎えるわ。萎えるってなんかちょっと男語っぽくね?男のほうが直感的に連想されるものがあるというか・・・・・・・・・・・・・・・・あ、いえ、やめときます。最近下ネタ多いから自粛自粛。



さて、それに、アドレス変えるのってさ、そのあと「アドレス変えました~☆☆これからもよろしくね♪」みたいなメールを送んなきゃいけないのがめんどそうじゃね?アドレス変えたことないから知らないけど。でも一番それがめんどそうな気がする。


だってまず、最近全然交流ないけど、別に嫌いなわけじゃない人とか、とにかくそういう現状維持しとくのが一番楽そうな部類の人々に送るべきなのかどうかとかまず迷いそうだもん。さらには、超昔の友達とか、昔から好きじゃないけど、アドレスはなぜか知ってる人とか。

そういう人にもし送ったとして、「このアドレスは現在使われてません」って返ってきてもなんかすごく嫌な気分になりそうな気がするし。「うわ~、自分、すでにカットされてました~」みたいな。

あるいは、送った相手が「え?弓手師?誰だっけ・・・?・・・あーあいつか~!全然仲良くないのに、よく送ってくるな~」とか思ってるかもということを想像するだけでもムカつきます。



そう考えてみると、やっぱアドレスは現状維持ですな。




うーんと、そうですな。今日はもう書くことないね。なんもない日だったし。


あ、最近思ったこと。駅のホームとかでど真ん中をノロノロノロノロ歩いて道ふさぐやつとか、他人同志なのに階段をわざわざふさぐように同じ速度でノロノロ並んで歩いちゃう奴とか、お逝きなさい。


つーことで、さいなら。

皆さん、なんか申し訳ありませんでした。


昨日(&今日)の送別会の飲みでは、いろいろとご迷惑をかけた方がたくさんいらしたと思います。いや、ほんと申し訳ない。ごめんなさい。


なんかど~もおかしな調子の飲みになっちゃったなあ。

一次会ではパパラッチの仕事のためあんまし食えず、二次会ではテンションが急落してほとんど飲まず(いや、飲めなかったから急落したのかも)、三次会では飲みまくって楽しくやろうと思ってたら、いつの間にか飲みすぎて、愉快な感じになる前にただの酔っ払いになってしまい、思考能力大幅減退。ぶっちゃけお話になりませんでした。うむ。


そんで、解散時には待つのがめんどくなって勝手に帰っちゃうという始末。んもうひどい。ありえない。ほんとすいません。ほんとごめんなさい。だれも俺が勝手に帰ったことに気付いてないことを祈ります。

やっぱあんま飲むもんじゃないな。酔うために飲みまくるとあんまし楽しくならないまま酔いどれるのかもしんない。ただのわがまま酔っ払いになってしまって。いや、お恥ずかしい。ほんと恥辱の極み。以後慎みます。



あんな酔い方は男の作法に反するな、絶対。


その点で、池波正太郎先生の『男の作法』を愛読してらっしゃるA田さんやスティーブン殿の飲み方は立派でありました。


特にスティーブン殿、貴公はまさに武士だな。


俺が酔いどれつつあるとき、ふと隣のテーブルを見ると、爆睡するディタンくんとつんくん以外には人がいないテーブルで、侍スティーブン独り、凛然と姿勢正しく、虚空をうつろに見つめながら静かに、黙々と酒をあおる姿あり。

その姿はさながら、激烈極まる修行の息抜きに酒を飲む兵法者のようである。あくまで静かに、心の乱るるところを見せぬ。


彼のような武士(おとこ)と同門に弓を引けるのは、非常に幸いなことであると私は思うのである。





さて、それにしても、俺は二次会会場が嫌いだ。名前は出さないけど。営業妨害になるから。

あそこは絶対なんかいる。悪霊かなんかがいるにちがいない。くわくんとも話したけど。瘴気に満ち溢れている。公式新歓のときからそうだけど、あそこではまったく陽気な気分にならない。たとえそれまで楽しく飲む気満々でも、いざ中に入ってみると瘴気にあてられてまったくやる気が起きなくなる。人との心のふれあいをしたくなくなる。なんでだろう。まあ、俺の心にムラがあるからそういうふうになっちゃうんだろう。というわけで、二次会の俺のテンションの低さにイラっとした人には謝ります。ごめんね。


それからあそこは酒が不味い。ウメサワーとかいうやつ、一口のましてもらったら、まったくウメの味せず。名前がウメサワーじゃなかったら確実に気付かないね。ってか俺飲んだときジンかなんかを水で割ったものかと思ったもん。どこがウメなんだよ。


あと、店員のばあちゃん。ばあちゃんに鞭打つような発言をするのは俺としても心苦しい限りだが、ばあちゃん、注文のとき嫌そうな顔しすぎ。

めんどくさいのはわかるけどさ・・・・・。歳だし。でもさ、そんな顔しなくても・・・。いや、ばあちゃんだからあんまりきつくは言わないけどさ。お年寄りにひどいこと言うほど俺はダメな子じゃないけどさ。








そんなに嫌ならその仕事やめなさい。








無理だって。注文なんてウェイトレスという職務の初歩の初歩だよ?てか仕事のメイン注文じゃないの?その初歩段階がそんなに嫌じゃさ、精神衛生上よくないよ。

もうお歳なんだからさ、ピチピチギャルじゃないんだからさ、悪いことは言わないよ。年金で暮らしなさい。老後をもっと楽しく過ごしなさい。イヤイヤ働いてたって人生の最後のステージを無駄に過ごすだけだよ。こっちとしても困るから、わざわざ厨房みたいなとこまで行って注文してんのにそんな顔されたら。だから、悪いことは言わないから、お辞めなさい。人生の後輩からの、はなむけと思って受け取ってください。



さて、これからは心を入れ替えてムラッ気のない男になろうと思います。頑張ります。

いつも平静を保ち、冷静で、忍耐強く、勇敢で、自らの正義を貫くことのできる者のみが、真の栄光を手にすることができるのだと思います。


さあ、シーズンインだ!やってやろう!!


スティーブン君だけでなく、我らが弓道部には見習うべき武士(おとこ)たちがたくさんいらっしゃる。

送別会での、Kおるさんの「男子の本懐」のくだりに、僕は感動しました。

僕も、栄光の下に男子の本懐を遂げることができるよう、日々精進してゆきたいと思うのであります。

まず、手始めに、新渡戸稲造の『武士道』を、読み直してみようかと思います。

ネガティヴは、なにものをも生み出さない。



それが、去年一年間のあらゆる事象を通じて私が勝ち取り得た唯一の教訓です。


ほんとはさっきくわくんとしゃべってて思いついただけですけど。



でも、これは真実のある一側面を突いていると私は考えます。



ぶっちゃけ、物事をネガティヴに考えたっていいことなんかなあんもないんです。


たとえば、すっげえかわいい子と目が合って、その子がすぐさま目をそらしたとします。

こんなんは、まったくなあんでもないことです。目が合ったことと目をそらしたことに、たぶん意味はない。


しかし、ネガティヴスィンカーである僕なら、「あ、いまキモいって思ったね。絶対思ったよ。目が合った瞬間嫌われたね、これは。」と思います。

一方、ポズィティヴスィンカーである虎眼斎ならば、「ぜったいあの子俺のこと意識してるよねー、ぜったいそうだよねー。」と思うのです。


この両者の判断は、おそらくはいずれも事実とは異なった判断なのです。つまり、どっちもバカなのです。


しかしながら、どちらも間違った判断であるのにもかかわらず、ネガティヴとポジティヴを比較すれば、確実に、圧倒的にポジティヴな方がよい結果に辿り着くのだろうと私は考えます。



なぜならば・・・・・。





あー。根拠をどんどこ書いてこうかと思ってたけど、明日も早いしめんどくさいや。なんとなくそんな感じしますよね。


まあ、つーことで、これからは僕はポジティヴを旨として生きていこうと思うんです。



自分は弓が上手いんだと思い込むことにします。試合前も、「絶対にやれるんだ。やってやるさ。」と思うことにします。街で女の子と目が合ったら、「あ、あいつ俺のこと好きだな」と思い込むことにします。目の前で女の子にターンされても、「あ、俺のこと好きすぎて恥ずかしいんだな」と思うことにします。目の前で女の子が走って去っていっても、「あ、きっと俺のこと好きなんだな」と思うことにします。メールを一方的に切られる日々が続いても、「あ、俺のこと好きなんだな」と思うことにします。メールがあんまり返ってこなくても、「あ、俺のこと好きなんだな」と思うことにします。ドタキャンされても、「あ、俺のこと好きなんだな」と思うことにします。あからさまに無視されても、「あ、俺のこと好きなんだな」と思うことにします。





あれ?結局イタくなってない?自虐になってない?全然ポジティヴじゃなくない?あれ?



ま、とにかく僕はポジティヴでやっていくのです。


明るく、楽しく、自分を信じてやっていきます。そうすればいつかきっと、僕の元にも幸運の賜物は舞い降りてくるに違いありません。



見えます。この道の先に大きな光が。僕の歩くこの道の先に、栄光という名の偉大なる光が。

システム手帳、とうとう買いました。皆さんのご声援が私の励みになりました。だからこそ勝ち取ることができたのです。


グレーの地にブラウンでドイツ語が書いてあります。"Ein neues Leben Geschichte 2006"


私はいま、万感の思いを胸に、この手帳を手にとっているのであります。

まだ、まっさらの手帳。それはさながら、夜遅くからしんしんと降り積もり、未だ足跡に汚されていない早朝の新雪であります。清らかに白い一面の純潔が、我が眼前に広がっているのであります。そしてその純潔は得てして、あまりにも儚くその輝きを失ってゆくものなのであります。すなわち人々が起きだし、その活動を始めれば、そして、同じく私が自らの活動を綴り始めれば、新雪は、手帳は、瞬く間に汚されていってしまうのであります。そのほんのはじめの一瞬しかとどまっていることのできない純潔が、いま、その美しさを、儚さをめいっぱいに輝かせて、私の手の中にあるのであります。



これから、この手帳に私の一年間を綴っていきます。



その過程で、純潔を失った手帳には、新たな種類の美しさが芽生えてくるのだと思います。

銀の器が、使い込めば使い込むほど、はじめの軽やかでまぶしいような器から、重々しく、味のある黒ずんだ器へと姿を変えてゆくように。

失った価値に代わって新たな価値が、どんどんこの手帳に付加されてゆくのだと思うのであります。


一年間、私が使い、汚すことによって、一年後のこの手帳は私にとって確実に、今のまっさらの手帳以上の存在となっているでしょう。



今、私はこのまっさらの手帳を前にして、心に決めるのであります。

この手帳に、私の最善の一年を刻み込もうと。


今年の12月31日に、この手帳がその役目を終えたとき、2006年という一年間が、私にとって素晴らしい年であったならば、この手帳は、最高に味のある一冊のLeben Geschichte、すなわち生活の物語として、その完成をみるのであります。


今日は、特に面白かったことは無いですね。


こんばんは、弓手師です。


朝起きて、歯医者に行って、四時ごろに道場に行きました。そんで道場閉めるまで弓ひいてました。


なんか、最近日々のイベントが少ないような気が・・・


でも、しょうがないですね。


明日こそはシステム手帳を買おうと思います。


それではっ!!