少し前の文芸春秋に
ジブリの宮崎駿氏と
絵本作家の仲川李枝子さんの
対談が掲載されていた。
内容は教育談議で
一々共感するばかりで
心に染みた。
その中に木登りの話があった。
最近の幼稚園や保育園では
木登りをしていると
叱られるらしい。
ということは
木登りの絵を描くからといって
木登りさせている幼稚園なんて
非常識極まりないわけで、
やっぱり和歌山中央幼稚園は
変わった幼稚園なのだろう。
ただ、子ども達に木登りをさせるのも考えものだ。
実は今を去ること20年くらい前、
自宅の塀の改修時に
庭木の整理をすることになった。
年数がたって大きくなった、
いかにも枝ぶりのいい
枝垂れヒバが1本あった。
庭屋さんは切り倒すのが
一番安上がりだと言う。
せっかくここまで大きくなったのに
切り倒すのは忍び難く、
かといって、そのまま植えておくわけにもいかない。
そこで閃いた。
「そうだ、幼稚園に植えよう!」
今でも忘れない、
新学期の春のことだった。
自腹で出した移設費用がウン万円。
いま、タコジャングルがある辺りに植えた。
「まあ、子どもが喜んで登るんだったら
それでいいか!」なんて思って、
毎日、眺めていたけれど、
誰も登ってはくれない。
どうやら、私の常識より
子ども達の常識の方が
普通のおとなに近かったようで、
「木は登ってはいけないもの。」
だったらしい。
ある日、やっとそのことに気づいた私は
「登ってもエエねんで。」と
ボソッと子どもにつぶやいた。
最初に目を輝かせたガキ大将が
誰だったのか記憶にはないけれど、
ひとり登り、ふたり登り、
やがて木登りは
最もトレンディーな
子ども達の遊びになった。
枝ぶりがいいので
周囲にくまなく枝が張っている。
落ちたくても落ちようがない程の
枝ぶりだった。
いつも誰かが登っている。
時にはウジャウジャと木の上にいる。
思いが伝わったことに
日々ほくそ笑む私がいた。
ところがしばらくして異変に気付いた。
どうも木に元気がない。
最初は気のせいだと思った。
次に気のせいだと思おうとした。
やがて木のせいだとに気づいた。
日々葉っぱが黄色くなり
やがて茶色くなった。
枯れてしまったのだ。
木登りさえさせなければ
あの枝垂れヒバは
今でもタコジャングルの所に
あったかもしれない。
痛恨の極み。
だから今でも
「子ども達に木登りをさせるのも考えものだ。」
と私は思っている。
そう、幼稚園のような大人数の所では
木登りさせる前に
木を枯らさない方法をよく考えた上で
させなくてはいけない。
だから「木登りさせるのは考えもの。」なのだ。