乃木坂46「踏んでしまった」の意味は? | 平山朝治のブログ

平山朝治のブログ

ブログの説明を入力します。

(乃木坂46「踏んでしまった」MVより)

 

乃木坂46の33rdシングル『おひとりさま天国』に収録される「踏んでしまった」は、地球温暖化が引き起こす異常気象をテーマとしていて、その原因となった人間の行為を、「大事なもの踏んでしまった」ため「どこの誰の怒りを買った」と表現し、温暖化問題を人間の力で解決しようというメッセージとは逆に、人間の罪を裁く存在から逃げようとするような志向が「ここままで逃げ通せ」以下の歌詞から読みとれ、その先に人類の破滅があると予言しているかのようで、終末論的宗教色を漂わせている。

 

「世界中の海/波が立って割れたとしても」という表現は、モーゼが海を割ったという出エジプト記を想起させる。波が立つというと、地震による大津波を連想させがちだが、波が立って海が割れ、陸地があらわれるというイメージを膨らませたものが、MVだろう。ダンスシーンを撮った豊洲市場の屋上など臨海部の高い場所は、津波に備えて避難するところでもあり、海が割れてあらわれたような「ありえない場所にいる」というMVのコンセプトも、出エジプトを連想させようとしたものではなかろうか?

 

出エジプト記によれば、門柱と鴨居に子羊の血を塗った家は神の罰を過ぎ越すが、玄関口に飾られる祇園八坂神社のちまきも、牛頭天王が蘇民将来の子孫を災厄から守るという、同じような信仰を伝えているので、日本人にとってもなじみのある発想だろう。

 

AKB48は被災地支援に、「神様は人々のその背中/いつでも見てると聞かされた/そう どこの誰にでも平等に/愛を与える」ではじまる楽曲

をテーマとする「誰かのために」プロジェクトを実施した。

それに対して、「踏んでしまった」では、人間の罪を責め、罰するような神仏を描いているが、出エジプト記を連想させることで救われる可能性も示唆しているということになろうか?

 

大災害に実際に被災した人々に対しては神の愛は平等と説き、災厄が頻発したりこれから予想される時には神を恐れ過越しを祈るよう説くことは、一見両立しがたいようだが、大乗仏教では、罰し、滅ぼすと人々を脅すことは方便で、それによって反省を促し、救おうとしている、という風に、万人を救う神仏との矛盾を解消する。

 

秋元の詞には、人間の意思を超えた、神仏と言うしかない存在をかなり明瞭にことばにするものがあり、人間は自分の能力だけで大きな問題を解決できるわけではなく、むしろそうできるという思い上がりこそが、問題を深刻化してしまうということを言いたいのだろう。

 

前向きな未来志向を特色としてきた従来の日本のアイドルソングとも、We Are The Worldのような地球的課題解決を呼びかけるメッセージソングとも異なる「踏んでしまった」は、ジャニーズが泥舟状態となっていまや唯一のトップアイドルと言える乃木坂に、新しい方向性を開拓させようという実験的な試みではないかとも思われる。