若きアルノの悩み(立志の女友達に関する加筆版) | 平山朝治のブログ

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若きウェルテルの悩み Die Leiden des jungen Werthers  初版、1774年

 

ゲーテは『若きウェルテルの悩み』を書き、自らの分身ウェルテルを自殺に追い込むことで、鬱を克服して大作家になった。鬱のため名門中高一貫校からFラン高校に移り、『若きウェルテルの悩み』に共感した中西アルノは、いかにして鬱、不眠や自殺念慮と対峙し、当面の危機を乗り越えることができたのだろうか?

 

中西アルノの初恋では、『濹東綺譚』のお雪を自分に、大江(永井荷風の分身)を中西が憧れる初恋の人大島育宙に見立てることで、大島との恋が結ばれる可能性を見出し、それを表現した作品が@lien6452の最初の3つのツイートであろうという見通しを立てた。

 

しかし、中西がそのような可能性をみつけて青い万年筆を買った2020年6月8日から、@lien6452の3つのツイートを投稿した同年10月16日まで、4ヶ月以上も要しており、その間の中西は、鬱、不眠、睡眠薬の副作用に悩まされ、自殺念慮にしばしば襲われるという大変な時期を送っていた。

 

いちばん苦しかったのは、新しい担任にクラスで唯一の一般入試受験者として名指しで馬鹿にされ、自己紹介欄に「監獄高校」、直後に「監獄/高校」とした(前者だと監獄のような高校というニュアンスだが、後者だと監獄にして高校)直後から、担任に人格否定されながらも一般入試めざして受験勉強を続けていた時期と思われる。文学芸術のうち文学を重視するなら文学部の一般受験がよく、それまで偏見を持っていた性風俗などにたずさわる若い女性に対する偏見を減らそうと、下のように、

と、裸エロ動画のツイート画像を加工して、飼い犬の写真(雌犬?で裸といえば裸には違いない)を載せ、自分をお雪に見立てることにつながる努力もするような、ユニークな発想にも、私大文学部の一般入試には向かない資質があらわれているのだろう。

 

下のツイートは、このころの中西の受験をめぐる悩みの深さを示している。

この約1週間後、

の次に、

と決心したが、義務教育レベルの簡単な問題も解けなくても行けるような専門学校はいやなため症状も悪化し、

ドリエルは市販の睡眠導入薬であり、それが効かず病院に行った中西が、医者の処方が必要な睡眠薬を使い始めたのはこのころのようだ。まずベルソラム、のちにその耐性がついたため、それに加えてマイスリーが処方されたことが、後日のツイートに書かれている。

 

倒れる心配がなくなってきたころ、

と中西はツイートしている。高校生の女の子ならばそこまでしなくても他に売れるものがあるだろうと話をもちかけてくることを予測して、玉の井のお雪の立場に少しでも近いところに身を置きたいと思って考えついたのかもしれない。果たせるかな、知り合いの美容師からLINEで連絡があったらしく、中西は腹に据えかねて晒してしまった。

 

これで、臓器売りツイートの意味合いがはっきりわかった仲間の高校生たちから中西を気遣うLINEやDMが殺到したらしく、

 

みんなの心配を払拭するためもあったのか、

と少しあとになってツイートしている。コンセプトカフェには売春ないしパパ活と結びつくものが少なくなく、そういう場で働いて貞操を保つには死ぬほど気が強くなければならず、自分には無理だと言いたいのだろう。

 

中西は、私娼お雪のような恋に憧れ、お雪のような若い女の境遇に近づいてみようと少し試みても、すぐ行き止まりになってしまうのが実情で、とてもパンツを売ったりパパ活をしたりできるような女の子ではない、ということが以上のツイートによくあらわれている。

 

上のツイートにつづけて中西は次のリツイートをした。

 

それに続けて中西は、

と、しばしばこれだけ前後から切り離して毒舌アンソロジーに入れられるツイートをしたが、文脈からして、コンカフェで働くJKは中西のいる立志にはあまりいないが、飛鳥未来には少なくないという意味だろうか?「よォ」という呼びかけは、それだけ切り出すと喧嘩を売っているように受け取られるだろうが、コンカフェJKや風俗嬢の話題のあとなので、体験談を聞きたいといったニュアンスと思われ、お雪のような無垢な女の子がいるかもしれないという期待を込めたツイートではなかろうか?

 

いずれにせよ、中西はいろいろ試みたが、風俗やパパ活やコンカフェ勤めをするお雪のような無垢な女の子に近づきたいというさまざまな試みはどれも上手くいかなかった。これは、憧れの大島に近づく手がかりが見つからないという、彼女にとって生きる望みがなくなるような結果だったと思われる。

 

その結果、

とツイートし、少しあとに、

と、改善したかに思われたが、

と告げ、その直後に、

と、鬱になったネガティブな自分からみんな遠ざかって行く事を嘆き、

と、リストカットよりもっと深刻なことをしそうだと仄めかし、

と述べているのも、クラスで唯一の一般受験志願者なのに成績が伸びず、転けてしまった自分と重ねている。

 

中西のツイートを心配しながら読んでいた人は、きっと次のツイートを見た瞬間にドキッとしたはずだ。

先に、自殺ではなく、病気や事故などで死にたいと中西はツイートしていたので、AirPods proのノイキャン機能を使いながら車の多い道を歩いて事故に巻き込まれることを考えているのではないかと、すぐ思い当たるのではなかろうか。中西と文学を通して仲良くなったMP氏はおそらくそのように感じて、中西を自殺念慮から遠ざけるような絶妙な対応をしたようだ。

 

hnnはMP氏の仮名、MPのPはピカソであり、MPというアカウント名は、眠れない夜にはピカソの絵を見るという意味のようであり、文学のみならず、絵も好きで、不眠の傾向もあるらしく、中西とは趣味も心の問題も共通するところが多く、それだけにMP氏は中西に共感、心配して適切な対応がとれるのだろう。これはもう愛と言ってよいだろう。

 

その後、MP氏と中西との間には次のようなやりとりがあった。

「あざま」は、悪態(みにくいの意味)か荒態(荒っぽいの意味)かがなまった高松方言で使われるが、いずれの意味も文脈と合わず、これが何を意味するのか私はなかなか見当がつかなかった。若者言葉としては、「ありがとうございます」の略としてさまざまな言い方があるなかのひとつだが、それほど一般的ではないらしい。「あざまる水産」は「2018年上半期の『JC・JK流行語大賞』の『コトバ部門』では2位、『【2018年】10代女子が選ぶトレンドランキング』では3位に選ばれた。」そうだ。姓の「我妻」は「あざま」と読めることからすると、中西に対する我が妻と呼びかける愛情表現という解釈も可能で、MP氏はこのことを知っていてひそかに使った可能性がある。しかし、中西はこのとき「我妻」と呼ばれたのではないかとは、思わなかったのではなかろうか?

 

このやりとりにも、中西を優しく包み込むようなMP氏の愛が現れているので、「あざま」にMP氏は我が妻の意味を込めていたことはありえるのではなかろうか?

 

その少しあと、中西の心はかなり落ち着きを取り戻したらしく、

とツイートした。他の人(はとこか?)ともドラマの話をしている。

 

下のツイートは、「電話しておいで」と誘ったMP氏との関係の深まりを意味しているのではないかという気がする。

私がこのように思うのは、よく似た先例がAKB48にあるからだ(「AKBレインボー経済」(2)【ⅲ】「大島優子と小嶋陽菜(こじゆう)の結婚」〜【ⅳ】「第2回総選挙とこじゆう薬師寺の誓い」、「NGT48問題」(3)【ⅲ】「AKBにおける恋愛の位置づけ」)。映画『伝染歌』は、キリコ(小嶋陽菜)があんず(大島優子)を好きで、「ちゅーしいていい?」とキリコが告白するとあんずは「むかつく」と断わり、そのためキリコは担任教師と焼身自殺し、あんずは「チューさせてあげればよかった」と後悔するというストーリーであり、この映画の共演で同い年の二人は急速に親しくなり、私の見たところ、小嶋は役に同化されて男気のある大島に惹かれるようになり、大島はそれを察知して、映画のようになることを恐れて二人の愛情関係を隠さず周囲に見せるという戦略をとって、

(高橋みなみ撮影、『FRYDAY』2010年2月19日号、67頁)

 

総監督の高橋みなみとも計って、『FRYDAY』のバレンタイン特集号に口づけ写真を載せた。それ以降、AKBのメンバーの間で、同性恋愛、同性キスが蔓延し、それに苦慮した運営は、大島と小嶋を例外として、メンバーに、異性同性を問わず恋愛しないという誓約書を書かせたのが、AKBにおける恋愛禁止のはじまりで、3年後には峯岸みなみの坊主頭会見のあと、恋愛禁止は撤回された。

 

わざわざ「異性同性を問わず」としたのは、同性だけを禁じて異性を禁じないと逆にAKBでは同性愛が盛んだということが世間に知れ渡ってしまうからだと思われるが、大島と小嶋が公開キスをし、結婚宣言までするという運営にとって想定外の出来事が恋愛禁止を帰結し、その趣旨はAKBメンバーの間で同性恋愛が広がるのを抑止することだった。このように、AKBの大島と小嶋(こじゆう)以降、女性の同性恋愛は異常でもなんでもなく、男性ファンの多くも歓迎するという知見が、偏見を克服しながらしだいに広がっていったが、レズではない女性はみなバイであるということが実験によっても実証された(ネットニュース論文)。

 

中西とMP氏の関係は、

と、自宅に遊びに行くような仲になり、下のように

中西が早く結婚したいとツイートするとMP氏がそれに応じ、中西も即決で受諾する(日給3000円は高校生の時間限定バイトだろう)というように、AKBのこじゆう結婚と同じような展開だったようだ。

 

 

と、MP氏と親しくなるにつれ、中西は女子大に行って良妻賢母の専業主婦になるという、平凡な未来を肯定するようになったようだが、MP氏は特定の誰かに向けたものではない中西の「早く結婚したい」にリプし、中西は即決で応じており、その間4時間16分しか要していないように、MP氏の中西への思いには並々ならぬものがあったようで、中西もそれを拒む気はなく、一時的にせよ、MP氏の愛に包まれたため、異性の大島への憧れはそれほど切実なものではなくなったようだ。

 

AKBのこじゆうと非常に似ているので、仲のよいバイの女性同士の自然ななりゆきとして中西とMP氏はこうなったと思われる。MP氏は裏垢も本垢もアカウントに鍵をかけてツイートを公開しないようにしており、中西との関係の深まりを同じ高校の仲間に知られたくなかったらしい。しかし、中西は公開アカウントのままで応じ、DMやLINEの使用は極力さけたかったようなので、こじゆうの大島優子のように公然志向が強く、同級生の前でも手をつないだりして仲のよいところを見せたかったのではなかろうか?中西の自己紹介「めっちゃ喋るよ!」は、普通の人なら喋らないようなことまで喋るよ!という意味だということが、MP氏と比べるとはっきりするのではなかろうか?おそらく、そうしなければ内向的になって鬱が悪化すると本能的に感じているのだろう。だとすれば、MP氏との関係にこれ以上深入りすれば症状を悪化させると、中西は思ったのではないかろうか。

 

即決から6日後、中西は

とツイートしている。そういう、秘密にしたいかおおっぴらにしたいかという考え方のズレが解消しないまま、9月中旬以降、中西の大島(念のために注記するが、優子ではなく男性)への思いが再び募るようになり、MP氏に依存しないでその思いをどう扱うか、という問題に直面することになったと思われる。

 

チューのツイートと、女子大志望ツイートの間に挟まれているのが、これもまた中西を誹謗中傷する際に必ずと言ってよいほど引用される次のツイートである。

これも、女同士の関係の強調とともに弟という家庭内での男の存在をネガティブにとりあげたものとみることができる。

 

中一の弟は姉と同様、中高一貫進学校に入学したとすれば、中西は中高一貫男子校に知り合いはいないと言っているので、弟は共学校と思われる。だとすると、御三家や筑駒ではなく、姉弟の住所が千葉県の総武線沿線だということを考慮すると、私立中高一貫進学校の千葉県でのトップレベルには渋谷幕張や市川がある。いずれも国公立上位校や早慶に強く、共立女子よりもかなり上のランクに位置するので、そのようなところに弟が合格しただけで中西にとって大きなコンプレックスになり、しかも共立女子から落ちこぼれ、受験でもMARCHレベルの文学部を諦め、東女本女津田塾あたりの女子大を第一志望にしようとしていたころなので、どんなに姉思いで性格のよい弟でも姉にとって一挙手一投足が「クッッソ生意気」と映ってしまうのはいたしかたなく、かろうじて体力ではまだ優っているので、手をあげたくなるのは、どんなに優しい姉でもありうることだろうから、そういうことが1度や2度あったとしても、どうして姉を咎めることができるだろうか?しかも、上のツイートは日本時間では16時間早く、22時29分のものなので、就寝しようと飲んだ睡眠薬の作用があって、殴って言う事を聞かせたいという抑圧しがちな願望が現実に混じっている可能性もある。中西は

と後日、日本時間で23時31分ころ反省している。

 

韓国映画『はちどり』で、兄が妹を殴って鼓膜を破ったのを目撃した親が単なる兄妹げんかとして扱っているのは、韓国では兄の妹に対する暴力は儒教思想によって正当化され、日常茶飯事だからだとの指摘があるが、日本でも伝統的には男性優位の武士道が支配していて大差ないとすれば、件数も多く内容も悪質な兄の妹に対する暴力はあたりまえに見過ごされ、兄は滅多に告白すらしないだろうに、中西が弟を殴ったと告白したことをことさら問題視することは、男尊女卑の偏見に由来する。

 

高三の秋、9月10日には、期末テスト(前後期制で9月はじめにあったようだ)を1科目も受けなかったとツイートしたのに対するMP氏のリプ(非公開)に、「(受験)勉強する必要はない!」と答えている。

 

このころには、女子大文学部の一般入試受験をやめて、おそらく学科試験については最高峰の東京芸大ですらいままでの勉強で十分な芸術系を志願先にすることを決め、共通テストなどの受験勉強から解放されたのだろう。9月13日12時11分には

と、展覧会に行き、批評コメントまで書いているので、今までの詰め込み型受験勉強とは異なる受験準備にとりかかりだしたことがわかる。パンクシー展に行った直後に中西は「気軽に遊べる友達がほしい」とツイートしており、中西との関係を高校の仲間から隠したいMP氏との距離が広がるとともに、大島への思いを貫きたいと改めて決心し、志望先を芸術系に決めて、その思いを作品へと昇華させようと模索しはじめたのではなかろうか。

 

というツイートから、このころも睡眠薬を飲んでいることがわかるが、母親に殴られるのは、中西が弟を殴ることとつながっているらしい。おそらく、父と弟は受験秀才で、母と姉はそれほどでもなく芸術系のほうが得意、いというような男女の違いが家庭内にあるため、彼らが持っているY染色体がないことを母親に咎められた、という夢なのだろう。

 

他人の様子を鬱だと指摘して、精神科に行くよう勧めるというように、余裕も出てきているようだが、共通模試の日本史の成績が悪かった共立女子の知り合いが早稲田の指定校で合格したと知って「ほんまに鬱」「はよ殺して」と言っていることから、このころでもまだ早慶を頂点とする私大難関校の序列へのとらわれが鬱や自殺念慮の根本にあることもよくわかる。

 

9月30日の次のツイートから、自己紹介が「よく喋る!現役監獄/高校ガチF」となっており、心境の切り替えたあったはずだ。

自称ナンパ師から有料ノートを買うのは考えること放棄しすぎだということから、大島に気持ちを伝えるにはどうすればよいか、自分の力で考えよう、芸術系受験準備とそれとを結びつけて作品にしたい、という姿勢を読み取ることができる。

 

そのすぐ後、

をリツイートしており、彼が相手にしてくれるようにするには、どストライクな手を考えなければならないというヒントがあったのだろう。

 

また、10月5日には

と言っており、コンプレックスを克服して「皆にこう見られたい」という欲から自由なSNS投稿を考えようとしているらしく、『濹東綺譚』のお雪をどストライクに現代化した、パパ活パンツ売りの少女というアイディアはそこから生まれたのではないかと思われる。

 

同じ日に高知出身で不登校・高校中退だった武蔵野美大生、田内泰生が、学内コンクールでBコース賞をとったことの報告を、作品の画像つきてツイートしており、中西は翌日(日本時間)それをリツートした。具体的に作品を創作する際の手がかりの多くを中西は田内から得ていることがここにもあらわれている。

 

10月8日にはまだ早い冬用の衣料を発注しており、それは、@lien6452の3番目のツイートで少女が着る厚手のフードつきハーフコートではなかろうか?

 

とも中西はツイートした。いい絵(ここでは映画のなかの絵)を見るまで死ねないというように、芸術が自殺念慮を遠ざけることに触れており、自身の創作の進展がそのもとになっているのだろう。

 

@lien6452に投稿してすぐ削除することになる作品が仕上げ段階だったはずの、10月14日23時13分と同58分に、中西は次のようなツイートをしている。

 

「3日はこの映画のことしか考えられない」から映画『溺れるナイフ』から受けた衝撃が中西自身の作品の総仕上げにも強い影響を与えたことが読み取れる。「一瞬の美、十代だけに許された、この世の全てで一番美しく正しい恋。」を描くことが中西自身の課題だったため、リアルを超えた実在感を中西は映像から受け取ったのだろう。

 

「一瞬の美」をあらわすのが、投稿即削除、「この世の全てで一番美しく正しい恋」が、中西の大島への思い、という対応があることは、映画をみなくても察することができる。

 

映画の最後のほうは、夏芽が1年前に襲われた男に再び襲われたところにコウが駆けつけて男をナイフで殺すという夏芽の夢と、現実とが、両者の境界がぼやけてしまうように描かれ、映画界で羽ばたいてゆく夏芽をコウは遠く離れた田舎町で見守り続け、遠くから支えるという結末だ、と私ならまとめる。

 

おおよそ、小説やそれをもとにした映画は、どの登場人物に自分や自分に関係の深い人を当てはめるかによって、その人なりの理解や受け止め方が生まれ、理解の個性や深浅はその人の生き方そのものをあらわすが、中西は当時も今も、自分をコウになぞらえているのではないかと思う。同性の夏芽になぞらえるはずだと常識的にとらえる人が多いかもしれないが、それでは中西にとって切実は問題をかすりもしない。

 

コウによる強姦未遂犯殺害こそが、恋にとって正しいことだということと、お雪という淫売の純粋無垢な思いとが対応し、中西の作品では、パンツを差し出し、パパ活募集している少女に対応し、パンツを渡そうとするのも、パパ活募集をするのも、中西の大島に対する純粋な思いの表現だ、という風に、映画『溺れたナイフ』と『濹東綺譚』と@lien6452の最初の3つのツイートとは見事に対応している。

 

中西の作品は荒削りなものにすぎないかもしれないが、仮に一流の小説家が以上を材料として作品に仕上げたとしても、『若きウェルテルの悩み』の足元にも及ばない、などと誰が言えるだろうか?

 

(最新更新 2022年8月22日 立志の女友達MPに関する加筆)