中西アルノ、文学と芸術に目醒めた頃(赤字でr4imkの意味追記) | 平山朝治のブログ

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(永井荷風著『濹東綺譚』木村荘八 挿絵8

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/25187)

 

中西アルノがさかんに毒舌ツイートをしたとされるアカウントを中心に、高校2年生後期以降の多感な年頃の彼女の内面の変化を探ってゆこうと思う。

 

私も、偏差値的には共立女子とさして変わらない首都圏の私立中高一貫校(ただし、東京神奈川千葉埼玉の外側にあるため、合格者の学力の分散が大きく、偏差値輪切りにはならない)に通った2児(中西と同じく姉と4歳下の弟)の父であり、中西が私の娘でこのような事実無根の誹謗中傷の嵐に晒され、それを正すための史料が娘の公開アカウントのツイートとしてインターネットアーカイブに記録されていることを知ったなら、依怙贔屓につながりがちな個人的記憶・記録に頼らず、公平・公正な再評価をめざすことができるので、今頃は必ずこういう試みを世に問うていると思う。

 

中西が共立女子から転校した立志舎高校2年生の秋に登録したそのアカウントの記録は、

https://web.archive.org/web/*/https://twitter.com/r4imk/status/*

にあり、そこから毒舌とされるものだけを選んで集めたアンソロジーが世の中に拡散している。しかし、そのアカウントには膨大なツイートがあり、それらを時間の流れに沿ってみながら「毒舌」の持つ本来の意味を解釈してゆくことが、まずなすべきだったはずの基礎作業でり、それによって毒舌アンソロジーとは全く異なった中西アルノ像があらわれてくる。

 

中西は、最初のツイート

の通り、可愛い少女をきわめようとこのツイートをはじめたようだ。ツイッターのユーザー名@r4imkは、立志の頭文字からr、志と同じく「し」と読む4、I’m kawaiiの略としてimk という意味を込めて、立志に転校しても可愛いでは誰にも負けたくないという気持ちをあらわしたのだろう。

 

しかし、高校のころの沢尻エリカに勝てないと思って、アカウント名を「ふう」からに変えて、「唯一可愛いになる」という自己紹介を削除した。また、田中みな実の顔面とあざとさがあっても落とせない男がいると知って、可愛さの価値にも疑問を抱くようになり、可愛く見せようとするような女の子なら絶対しないようなツイートをはじめた。中西がこのアカウントで荒っぽい男言葉を使い、毒舌家とみられるようになった背景には以上のような事情がある。

ここで中西は、鬱のため名門私立六年一貫校である共立女子から転校してきた通信定時制高校の仲間を見下しており、受験で自分より劣るということが、人間性の判断にまで影響を及ぼしているようだが、自分は顔面偏差値60以上だという自負は保っていたらしい。芸能界でも美形との評価が高い沢尻や田中と比べて可愛い基準を捨てたくらいだから、顔面偏差値75くらいはあると思っていたのだろうが、その程度では上には上がいると思い、誰にも負けない何かをみつけたいという願望が中西の根本にはあるに違いない。しかし、成績が伸び悩んで鬱になり、転校してきた高校の仲間を見下すことで自分を保とうとするのは、本来の志とは雲泥の差で、遠からずそのようなことをしていることに自己嫌悪を感じてやめたくなるはずだ。しかし、そのためには、誰にも負けないものを目指すという目標が具体的に何であるかが、はっきりしてこなければならない。

 

中西にそのような大きな転機が訪れたことは、2019年末と2020年初の次のふたつのツイートから読み取れる。

 

後者*は、初めて自己紹介欄に「カタルシス」と半角で書いており、映画(作品は未確認)を見て既視感、カタルシスを感じたということだろう。自分の心のなかの葛藤が作品によって明るみに出たことが既視感、それに伴う心の変化がカタルシスなのだろうか?

*写真の左は上沼恵美子、右は巣鴨のよっちゃん(

 

)。

 

その後も同級生を見下すツイートはなくならないが、2月12日の以下のツイートは、中西が大きく変化したことを示している。

 

『本日はお日柄もよく』は2010年に徳間書店から出版された原田マハの小説で、私は未読だが、「愛せよ」という言葉は、この小説よりも前の2007年に亡くなった阿久悠の未発表楽曲のタイトル(山本彩の2nd ソロアルバム『identity』(2017年)に収められている)と同じであり、両者のエッセンスは同じではないかと思う。阿久の高校大学時代には、授業をサボって映画館に通うなど、中西とよく似たところがあり、中西も、授業や受験勉強以外の文芸・芸術から大切なことを学ぶことになる。

すぐ上のツイートから、自己紹介が「カタルシス」ではなく「我Fラン高校ナオン也」となっており、転校してきた高校の生徒として自分を受け入れているのは、それまでの学校や学習塾での詰め込み教育を批判的に見るようになったからだろう。最後のツイートは、受験勉強で忘れてきた知的好奇を刺激したようで、下のように疑問を解こうと調べている。

こういう知的好奇心こそが、やがては独創的な研究を生むもので、初等中等教育の優れた教師はその啓発に長けているはずだ。また、NHKの『みんなの科学』はそのような番組であり、私は小学校5〜6年のころ夢中になって見ていたが、色弱なので理系進学はあきらめた。

 

以上のようにして開かれた新しい地平からそれまでを振り返った中西は次のように述べている。

メメントモリというラテン語をどこから学んだのか書いていないが、月と関係があるとすれば、一条真也『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』だろうか?

 

しかし、読書について、

という経験があり、名門中高一貫校から落ちこぼれたという思い出と結びついてしまったようで、それと共に同じ高校の仲間を見下す傾向も再びもたげてきたようだ。

 

また、おそらく、取り戻した知的好奇心と受験勉強が両立しないため、

ここでは、「立志にいるやつら」を自分には劣るとして見下すというより、自分もそのなかに含めて自己批判するようになってきているようだ。

 

志望大学についても

という風に、希望が見出せず、

という批判が実は自分に向けたものだということを中西はやがて気づいたよう*で、ひと月近くツイートしなかった直後に、

とツイートしている。

* 中西は新乃木坂スター誕生で、「ひとり何とか」、というやってみたいことを尋ねられた際、ひとり樹海と答えて司会のオズワルドや他の5期生を驚かせたが、自分にも向けたものとして上のツイートを思い出していたのだろう。

 

その直後に

と書く際、個人差の大きいことについて断定的に批判しているのは、自分の心のなかに「・・・」という呟きがあって、それが嫌いだということだろう。ここに至って、同じ学校の仲間を見下すこともほぼなくなり、逆に、

と書くようになった。

 

さらに、それと関係のあることばを古典にみつけている。

 

その後、文学談義を交わす友人もみつかり、映画やドラマに詳しい東大生(当時)大島育宙に心酔しており、もし中西が一年早くこのような状態になっていたら、思い切って東大文三を志望するようになり、めちゃくちゃ受験勉強しはじめていたかもしれない(東大文系の入試問題は暗記量よりも思考力や表現力を問うので、中西には合っていたのでは?)が、2浪しても超人的な暗記を求める早(慶は小論文があるのでやや違うか?)も危ういという現状認識だった。

以前に比べて文学少女っぽくなったとはいえ、ツイートに悪口が多いという反省もまたし、

大島に憧れるあまり、

とツイートしており、心の方面が可愛くなってきているようだ。

 

2020年5月25日12:13PM(日本時間は16時間早いので、26日4:13)には次のようなツイートをしている。これは、自己紹介が「めっちゃ喋るよ!」に変わった最初のものなので、心境の変化を窺わせる。

TLはツイッターライフのことだろう。下のように、同じようなツイートがある。

「私は偏見にまみれている」という留保をつけているのは、パパ活パンツ売りツイート解釈につながる重大ことである。この段階ではああいうことをする女は無視する、心の病気だとするが、それが偏見だという認識も持つようになっている。

 

学校の新担任が代わり、

クラスで中西一人だけ一般受験なので、実質的に名指しでバカにされ、たいそう傷ついてしまい、

最後のツイートの「こんなの」とは新担任ではなく中西自身、「さーせん」はすみませんだろう。そして、

下のツイートも新担任批判だろうか?

 

捨てる神あれば拾う神ありで、中西はドラムの先生に救われた。


中西は、文学を通じた友人が何人かできて、自分の文章表現力を磨こうと努力した。

『青い万年筆』については未確認だが、ワープロが普及する前の作家の代名詞みたいなものであり、作家への憧れ、自分も小説を書いてみたいという気持ちがよくあらわれている。

市川駅から本八幡駅に至るあたりといえば、大学受験用の文学史に必ず出てくる永井荷風ゆかりの地である。中西が万年筆をこの地で求めたのは、永井の作品を読んだからではなかろうか。おそらく永井の代表作とされる『濹東綺譚』だろう。

 

ふしだらなことをする女に対する嫌悪を偏見ともとらえ直しはじめていた中西にとって、私娼のお雪はその偏見を決定的に打ち砕くものだったと思われる。お雪にはモデルがおり、永井の実体験をもとにした私小説的なものとも言われているので、絵空事ですますことはできない。50代後半の小説家と26歳のお雪の仲は、今ならばパパ活と呼ばれるものにあたる。

 

上のツイートのすぐあとに中西は下のツイートをリツートしており、

これを読んで、彼女が憧れいる東大生の大島もこのような人かもしれないと思うとともに、その対極に位置するお雪への共感も増幅したと思われる。

 

中西が市川〜本八幡を散歩して万年筆を買った4日後*に中西は

下の絵画をリツイートしている。

リツイート時刻は米国太平洋時間(サマータイム)で2020年6月11日14:59、日本時間では12日6:59であることが、下の転送記録からわかる。

 

上の絵画の作者田内泰生は中西の親(父か母か両者かは未確認)と同じく高知県出身で、不登校や高校中退を体験しながら、武蔵野美術大学に入り、2017年には地元の造形教室で個展を開いており、2021年に大学を卒業したので、当時は在学中だったと思われる。不登校や高校中退は中西の高校生活と近いこともあって、親から田内のことを聞かされていたかもしれない。上のツイートの左側の大きな絵画を見た瞬間に、私は中西のパパ活作品を連想してしまった。

私は色弱なので色使いについては普通の人と判断を異にするが、暗い色調や全体的な印象はよく似ているのではないかと思う。

 

このようにして、2020年6月8日から12日にかけて、中西のそれ以降の方向性がおおむね固まったと思われる。@lien6452アカウントでの最初の3つのツイートの裏垢女子、裏垢jdのモデルは永井荷風『濹東綺譚』のお雪、お雪の背景の絵に強い影響を与えたのは武蔵野美術大学在学中だったかつての不登校児で高校退学の田内泰生だったことが、はっきりしてきたのではなかろうか?