先日、🎥「旅と日々」を観た。

原作は、つげ義春の「海辺の叙景」「ほんやら洞窟のべんさん」。

つげ作品ベースの映画は昨年11月公開「 雨の中の慾情 」から一年振り、

前作がとても幻想的だったので、今回も期待していた。

前作、「 雨の中の慾情 」の原作は「”エロ漫画” も描けるようにしとかないと」と1981年”夜行”に発表された18頁の短編で、題名もそのまま映画に。

その構成は、短編作の雨の中の欲情にから始まり、”池袋百点会”と”隣りの女”(1984年COMICばく)にインスパイアされたストーリーにつながる。

芯となるのは中村映里子演ずる”福子”の微妙な女心で、別々の原作を オープニング欲情シーンから、”隣りの女”のミヨちゃん、”百点会”の福子まで、ひとりの同一の女として物語が続くのだ。

それゆえ、混乱するような夢と現実と(マニアが想像してしまうような原作からの)先入観を廃することにも成功している。

誤解を恐れずに言えば、かっての ロマンポルノ的な欲望と衝動表現は、つげ義春が求めたストーリーからの解放に相通ずると思えた。

そして観る者は、戦中戦後のようなカオスに映像美を求めたかのような悪夢に引きずり込まれ始める。..詳しくは 昨年のリブログをご参照されたい。

 

「雨の中の慾情」の原作ではバス停だが、「海辺の叙景」でも

       雨宿りは共通、つげ作品の原作を思い出させるシーンだ。

 

昨年の映画「 雨の中の慾情」が幻想的だと冒頭記した。

一方、今回の「旅と日々も古き日本の叙景を表現しようとしている。

映画導入部に使われた「海辺の叙景」もそれらしい映像で組み立てられている。

そして「海辺の叙景」を映画として作った脚本家の主人公が仕事の閉塞感から気分転換に旅を思い立つ。

まぁ、この辺までは2つのストーリーを組合わせるのにそうしたんだと分かる。

が、その後は分かり易く説明的になり過ぎたきらいを感じてしまう。

 

例えば、旅立った主人公が、予約なしで行った雪国のホテルで宿泊を断られ、山を越えれば空いている(だろう)と”べんさん”の宿に行くところや、終話部で雪に埋もれた田舎道をトボトボ歩いて帰る姿は現実感がありすぎる。

 

思うに、映画の作者は、主人公がなぜ辺鄙な宿に行くことになったのか、その経緯まできっちり組立てたかったのだろう。

が、作品の本筋からはどうでもよい事と思うのは私だけではないハズだ。

つげワールドを愛する者には、期待が打ち砕かれた事とさえ思ってしまう。

 

べんさんの宿を見つけたシーンと、帰路。主人公が現実の世界に戻っていく象徴だろうか。

 

よく、つげ作品はシュールの一言で片づけられてしまうが、ストーリーが創作であっても、つげ義春は各地を訪れその背景をちゃんと取材している。

例えば「西部田村事件」は村名ばかりか精神病院まで実在しているし、「長八の宿」も、つげ作品で有名になり後日お礼が送られてきたと随筆集にも記されている。

八幡平の「オンドル小屋」しかり、玉梨温泉の「会津の釣宿」... 

そして「ほんやら洞のべんさん」は以下の記述から始まる;

 

越後(=新潟県)魚沼郡一帯の部落には”鳥追い”という豊作を祈る行事がある

小正月に行われるもので、この日 子供たちはホンヤラ洞という雪のカマクラをつくり楽しい一夜を過ごす

 

冒頭そんな始まりから、主人公が町はずれの宿に行く..漫画の枠ではない、否 漫画だからこその画力なのか、つげワールドに引込まれてしまう。

(漫画の冒頭記述を映画のナレーションにしても良かったのではないかとも思うが..)

一方の映画は、主人公が旅先でホテルに泊まれなくて..の(まどろっこしい)展開。

 

まぁ映画作品として、外国での上映(ロカルノ国際映画祭出品)や評価を意識して経緯理解しやすい(≒回りくどい)展開に加え、主人公の脚本家を日本人男性でなく韓国人女性にし、またロケハンでもシュールさを廃した映像に務めたのかも知れない。

べんさんが鯉を盗みに行こうと思い立ったトコロも、映画と原作ではニュアンスも味わいも異なる。

映画の主人公は いけないことと止めようとするばかりで、ひとり旅の、まして外国人女性なら自然そうだろうと思えたが、漫画では「おやじさま それはいけないよ、ヤケをおこしてはいけないよ」と嗜めながらも「見学させて下さい」と、むしろ興味を持って同行する。

つげ義春には、溺愛された義理の祖父は実は泥棒..昔はそれを生業にしている者も..と随筆に書かれているが、人の世は善悪だけで成り立たないことを分かっているからこそ作品のリアリティにも深さがあるのだ。

 

映画でべんさんの子供は男の子だが、漫画では女の子。

大昔(ガロ:1968年6月号)、子供達の鳥追いシーンを見た時、すごく感動した。

雪降る夜、子供たちの声が木霊し明るい提灯とともに温かみさえ感じた。

つげ作品ならではの表現だが、残念ながら映画では印象が薄い。

 

自分は、この映画作品を否定するつもりはない。

むしろ誰にでも理解し易く間口を広げた映画を多くの人がご覧になって、つげ作品に興味を持たれたなら重畳だと思う。

「退屈な部屋」「散歩の日々」「懐かしいひと」「リアリズムの宿」「ゲンセンカン主人」「無能の人」「ねじ式」「蒸発旅日記」「雨の中の慾情」等も過去に映像化されている。

逆に、つげ作品を、笑えない、面白くない、理解しにくい、暗い.. 等と避ける方々がおられる事も知っている。

だが、初期の貸本時代のものから休筆直前の「別離」まで様々なバリエーションがあり、日本に生まれ育った読者ならば、つげ作品のいくつかは嗜好に関らず必ず感銘を受けるだろうと、私には思えて仕方ない。

 

温泉のイラストコレクション、福島や秋田、群馬や栃木等々

「ほんやら洞のべんさん」執筆前つげ先生は新潟を旅行されている

 

もし、つげ作品の旅モノに興味を持たれたなら、

お勧めしたいのは;

双葉社リアリズムの宿