昨27日🎥「木挽町のあだ討ち」を観た。

公開日に映画館に足を運ぶなんて久しぶり、それに館内満席で驚いた。

そして、期待通りに素晴らしい出来栄えの作品だった。

 

映画のストーリーは小説を元にされたものだが、木挽町での仇討ちは

実話をもとに演ぜられていた江戸歌舞伎の演目。

その仇討ちが仕組まれたものだったのではとインスパイアされた小説では

登場人物の背景がきめ細かに構築されるが、映像での引込み方も秀逸。

 

 

さて、木挽町は江戸時代に実在した町名、現在の東銀座近辺。

慶長8年(1608年)江戸幕府が開かれたのち入江を日比谷方面から埋め立てた所に

城の改築や修繕に必要な木曳職人が多く住んだのが町名のルーツらしい。

歌舞伎座や柳生道場等歴史的な所だが、江戸時代の町名が沢山変わっているのは

都内住所表記合理化のため。

・・・昔、飯倉にあった郵政省が色々ある町名の存在が分かりにくいと

アチコチ虎ノ門〇×丁目にしようとしていた事があった。

私の父はBridgeStone石橋会長ご自宅で何度かご馳走に与っていたが、

その会長が町名変更に難色を示していたとのこと。

それで会長宅のあった永坂町をはじめ、即ち大口納税者の影響で一部は

当時の町名が残ったのだろうと聞いている・・・

⇒ 60s スロットカー<COX&明治屋>① + 更科蕎麦と永坂町

 

映画の冒頭シーンは私だけでなくきっと日本人には感銘深いであろう江戸の街並み。

そして江戸歌舞伎の観客が芝居小屋からの帰路、仇討ちの現場に出くわす。

 

粉雪舞う幽玄なコントラストの中、赤い襦袢を羽織った女姿とほろ酔いの博徒。

そして女装の中からいでたのは白装束の美少年。

背に隠した一尺八寸(つまり脇差サイズ)の刀を抜き、敵討ちを名乗り上げる。

芝居小屋の幇間は、ホンモノの仇討ちだと囃し立て(200人も)大勢が遠巻きに凝視。

若侍は可憐な佇まいそのままにきれいな型の太刀筋で強面の博徒に斬りかかり、

ほろ酔いの博徒も短刀一尺(つまり長ドス)で応戦。

僅かな切傷に怯むことなくパワフルな敵役は細身の相手をつかみ上げ投げ飛ばす。

もつれ合い、なだれ込んだ近くの小屋にの中で勝負が決着し出てきたのは -

白装束を血で染めた若侍。 そして首を手に口上する。

 

象徴的な江戸歌舞伎のオープニングから急にリアルな仇討ちシーンに雪崩込み、

芝居小屋から出てきた庶民ばかりか、映画として観てる者も息をのむしかない。

それもヒーロー時代劇のようにキレイバッサリでなく、敵役は体躯体力上回り、

仇討ちが安直にできない処にリアリティを感じ、尚更引き込まれてしまう。

 

 

そして一年半後、主人公の田舎侍 加瀬総一郎(柄本佑)が芝居小屋の森田座を訪れる。

主人公の知る、仇討ちを遂げた菊之助(長尾謙杜)は虫も殺せぬ気弱な者。

それゆえ、腑に落ないことを木戸番(瀬戸康史)はじめ関係者に尋ねながら物語は核心に迫ってゆく。

詮索のしつこいありさまから藩の監察方だろうと、観る者は察してしまうが、

本人は廻りに遠山藩から所払いにされた浪人と称し、多くを語らない。

ただ、討たれた作兵衛(北村一輝)に線香を手向けたいと言う主人公だが、

藩の江戸中屋敷に出入りしていた所を芝居小屋スタッフが見ていたというくだりもある。

そう、上屋敷でも下屋敷でもないのがミソ。

(中屋敷は公的立場でないご隠居等、つまり殿さまプライベート居所から隠密を想定)

だが、実は殺害されたとする菊之助の父の部下であり、作兵衛と志を共にする者。

まぁ最後のエンディングに繋がるストーリーを、ここで述べても詮無き事だが、

美談化され芝居の演目にさえなる仇討、ならぬ今回は ”あだ討ち”。

本作の中でも 仇討ちを徒討ちと描き違える短いシーンがあったと思うが、

大勢が目撃者となったいたはずの”あだ討ち”がどう仕組まれたものだったのか?

最後まで目が離せないとはこの事だ。

 

元々 掴みどころない感ある柄本佑、本音を明かさぬ主人公に丁度いいのは当然だが、

今作は配役の妙がすごく効いている。

そう、配役が良いだけでなく、身体をつくった滝藤賢一、腰を落とした瀬戸康史、

母性愛まで感じさせる高橋和也、皆々リアリティ追求した演技が素晴らしい。

(ムロツヨジョークに終始した幕末維新伝も新境地を目指したのかも?でも、やはり時代劇はこうでなくっちゃ)

 

菊之助の父・清左衛門は、実直で私心無い武骨さを山口馬木也がそのイメージのまま演ずる。

侍タイムトリッパ―同様、江戸時代の武士をそのまま感じさせる。

 

幇間から木戸芸者となって一座を盛り立てる一八役、瀬戸康史は意外と言っては失礼だろうが、

キレイで女性的なチャーミングな顔立ちとアンバランスな男性的で低い声のハンサムさを消し、

今回の作品では腰の低さや喋り方までとても似合っている。

 

江戸歌舞伎の立師、相良与三郎滝藤賢一が、私感乍ら今回渋い新境地を得たかのように見えた。

それは人情味ありながら芯の強い役柄を演じたからだけではない。

確か約10年前の番組XXダンディズムの飄々としたマイペース中年のイメージはもはや無い。

元道場師範代らしい出で立ちは、上腕二頭筋より三頭筋(つまりプルよりプッシュ側)を作り上げ、

私には主人公役の佑(との対峙を相討ちか?と想定するシーンもある)を軽くねじ伏せそうにさえ見えた。

 

時折でてくる料理を食すシーンも関東人には親近感あるものばかり。

ツルツルの江戸(二八)そばや、どぜう(柳川鍋)は勿論、

久蔵(正名僕蔵演ずるお茶目はハラハラながら終盤息抜きできる)の妻、およね(イモト)の手料理もいい。

私が小松菜と揚げのオヒタシが好きなのは江戸っ子ルーツのせいかと思ってしまう。

(実は、最近コマツナノオヒタシで残念な事もあったが、別コラムで)

 

(本作のどぜう鍋には青菜がのっていたようだが、浅草は駒形どぜうでは

これでもかというくらい刻んだ長ネギを別盛りでくれた。)

 

また、二代目女形兼衣裳方のほたる(元アイドル高橋和也)が菊之助へ感受移入するのもホロリとさせてくれる。

そんな演出は枚挙に暇がないが、やはり渡辺謙の出演は全てをピリッと江戸っ子好みに締めてくれる。

演ずるは芝居小屋一座を束ねる篠田先生、このあだ討ちを謀る立作者。

石を投げれば芸能人に当たる今の世でも、他に本役が敵う方は思い浮かばない。

 

まぁそうした味わいを楽しみつつも、今回の映像美には”やられた”としか言いようがない。

勿論、その映像を引き立てる印象的な音響も同様。

囃子方への敬意から和楽器は使っていないそうだが、そう聞くまで和太鼓のようなイメージを自分は 勝手に持ってしまった。

映画館と云う音響設備ならでは楽しめた、と云うことかも知れない。

 

オープニング、雪洞(ぼんぼり)も素晴らしくひとつも欠けることなく並び、江戸の街並みはこんなに美しかったのかと思う。

現在同じ事やったらコストかかるだろうな、などと思ったのは、明治生まれで火消の纏持ちだった祖父や 歌舞伎など芝居見物好きだった祖母から聞いていたイメージを膨らませてしまったからだろう。

だが、単に整然としている街並みがキレイなのでなく、そのライティングから彩色バランスまで微に入り細に入り耽美的な映像。

自分にとっては三十数年前、H.フォード主演のブレードランナーを見た時以来だと思う。

一緒に観た家人の印象も、昨年評判になった”国宝”より明らかに華やかで美しいとのこと。

渡辺謙もスケールは兎も角、緻密な創り込みや爽快感を評価している。

きっとガイジンには見知らぬエキゾチックな光景と、そしてネイティブな日本人にとっては奥底にある心象風景と重なるのではないだろうか。

勿論、ストーリーも建前優先の日本社会、ましてや封建社会の江戸時代が前提だが

そんなホーケン的ストレスを爽快にブッ飛ばす人情味あふれるものだ。

久しぶりに、時代劇に感動した。

 

PS  小松菜のお浸し、残念だったのは

  ⇒ OKストアの惣菜 ご参照下さい